曹洞宗 魚籃山 常現寺 青森県八戸市
 『月刊ふぁみりぃ』 2015年11月21日
  学生アルバイト物語 −無財(むざい)の七施(しちせ)−
   「房舎施(ぼうしゃせ)体験記」パートU
  
和尚さんのさわやか説法267
曹洞宗布教師 常現寺住職 高山元延
  「高山くん!!ちょっと、こっちへ来なさい」
 私は、アルバイトをしている配送センターの主任さんに手招きされた。
「だめじゃないか!!」いきなり怒鳴られる。
「昨日、あのプレハブに泊まったんだって」
「あそこは、従業員の休憩室であって、寝泊まりする所じゃないんだ」(><)
 私は、うなだれながら、「すみませんでした」と言い、頭では別なことを考えていた。
「なんで、昨日、泊まったことを知ってるんだろう」と…。

 先月号の「さわやか説法」で、私は仏教学部一年生から二年生に進級する春休みに、住まいする学生寮が閉鎖されたことによって帰省することなく、東京でのアルバイトを決め込み、叔父の家に転がり込んだ。
 しかし、居づらくなり、そこを飛び出し、行く当てもなく、アルバイトをしていた配送センターの前にあるプレハブ小屋に泊まった顛末を物語りした。
 今月号は、その続きである。

 主任さんの怒鳴り声は止(や)まなかった。
「どんな理由(わけ)があろうと、もう寝泊まりなんかしたら絶対ダメなんだ」(><)
「今日の昼、向いのじいさんが来て、昨日のことを話してくれたんだ」
 私は、「やっぱりな!!あのじいさん、喋ったんだ」と、クッと顔をそむけた。
「今日から、あのプレハブには鍵を掛ける」
 そう主任さんは、言い放ち、もう帰れとばかりに手を横に振った。
「主任さん。どうもすみませんでした。お詫び申し上げます」と、その場を去ろうとすると、
「ちょっと待て!!」
「じいさんが、こう言ってたぞ」
「帰りに、自分の家に寄っていけとな!!」
「しっかりと、お詫びするんだぞ!!」
 主任さんは、今度は慰めのつもりか、私の肩をポンと叩いた。

 仕事の後始末をし、帰ろうとすると倉庫前のプレハブ小屋の入口には、真新しい鍵が掛けてあった。
 私は、それを横目で見ながら、向いのじいさんの家に向った。

「ごめん下さい。高山です。」
 玄関先で叫ぶと、あの白髪姿が出てきた。
「昨日は、お世話になりました。あらためてお詫びに参りました」
「御迷惑をお掛けしましたこと心よりお詫び申し上げます。」
「すみませんでした」と、深々と頭を下げたままにしていると、頭上から、こんな言葉がのしかかってきた。
「おい!!おまえ」
「ハイ!!すみません」更に頭を深く垂れた。
「おい!!学生!!」てっきり、じいさんの雷が落ちると覚悟をした。
―そしたらである―
「今日、お前、どこか泊まる当てがあるのか?」と案に相違した言葉が返ってきたのだ。
「いえ!!ありません。どっか捜すか、さもなくば駅のベンチです。」
「そうか!!」
「だったら、今日も、この家に泊っていってもいいぞ」
 私は、ガバッと頭を上げて、じいさんを驚きの眼(まなこ)で見上げた。
「えっ!!いいんですかぁー」
「あぁ。いいぞ」
「ただし、寝るだけだぞ」
 また昨日と同じことを言った。
「お前は、昨日、自分の寝た布団をきちんとたたみ、部屋を掃除し、そしてまた、玄関前も掃除していった」
「だから、そのことを配送センターの主任に話をし、ワシの家に来るように頼んだのだ」
「それは、当たり前のことです。ご厄介になったんですから、少しの御恩返しです」

 駒沢大学の「竹友寮」は、仏教学部在籍の学生だけしか入寮できなく、そこは修行道場のように厳しい規律があった。
 それは、布団の上げ下ろしから、清掃作務や、坐禅、読経と日常の生活全てが仏教を学び、禅の道を学ぶことの基本を叩き込まれていた。
 だから、布団をきちんとたたんだり、掃除なんてのは、ごく自然なことであり、当たり前のことであったからだ。
―てなことで―
 私は図々しくも、またその家の敷居をまたいだ。

 「雑宝蔵経(ぞうほうぞうきょう)」という経典がある。これはお釈迦様とその弟子たちの時代に始まり、西暦6世紀のカニシカ王までの、さまざまな物語121話が説かれている経典である。
 その6巻第76話に「七種施」という七つの「布施」が説示されている。
「仏(ほとけ)、説(と)きたまふに、七種施(しちしゅせ)あり。財物(ざいもつ)を損(そん)せずして大果報(だいかほう)を獲(え)ん」とあり、これを称して「無財の七施」として現代にも通じる教えである。
 この七施とは、一つは「眼施(げんせ)」。二つは「和顔施(わがんせ)」。三つには「言辞施(ごんじせ)」。四つに「身施(しんせ)」。五つは「心施(しんせ)」。六つに「床座施(しょうざせ)」。そして七つ目が「房舎施(ぼうしゃせ)」との財物を伴なわない七つの布施をいうものであった。
―まさに―
 この七番目の「房舎施」という「布施」は、あの配送センターの前にある、白髪の老人しかり、また居候を許してくれた叔父さん夫婦しかりだった。
 困っている者に対して、手を差し伸べ黙って受け入れてくれる「無償」なる、その人の「心」そのものだった。

「房舎」の「房」とは、「へや、いえ」また「小部屋に区切られた形」を言い、それは厨房、山房とか蜂房、心房とも表わす。
 また、「舎」とは、「仮にやどる場所」また「住居などに使用する建物、家」を意味し、それ故に、客舎、旅舎とか校舎、官舎等とも表わされる。
―つまり―
「房舎」とは「仮に宿る部屋」ということになる。それを「施し与える」ことが「房舎施」ということなのであった。
 では何故に「房舎施」は「七種施」の一番最後の七番目なのであろうか?
 そこで、一番目の眼施から順に、その意味を分かりやすく紐解いてみよう。
 眼施は、あたたかい眼(まなざし)であり、和顔施は、和(やわ)らかなる笑顔だ。
 三つ目の言辞施は、優しい思いやりの言葉であって、身施は、それらを身をもっておこなう施しであり、心施は、その如くの心を施すことにある。
 六つ目の床座施は、疲れた人をもてなす床坐を分ち与えることであり、七番目の房舎施は前述の如くに寝泊まりする部屋を施すことなのだ。
―すなわち―
 この七種の布施は、いわゆる「おもてなしの心」であり、「思いやりの心」「慈しみの心」を相手に与えることなのである。
 房舎施が何故、七番目かというと、眼施からの全ての「施し」が究極的に煮詰ったものではないかと私は思っている。

 あのお釈迦様の時代。二千六百年前には、現代のようにホテルや旅館は無かったろうし、旅行(たびゆ)く人々や困っている人々に対してのもてなしを施すことが、他の人を救うことの「仏の心」であることを示されたのではなかろうか。
―まさに―
 あのアルバイトで体験した「宿なし学生」への叔父さん夫婦、そして見知らぬ白髪老人は、「仏の心」を以ってして、貧乏学生の私を思いやり、施し救わんとしたのであった。
 今から思うに、私の東京アルバイト生活は、大学では学べない、真の仏道、禅の教えを学ばさせられていた。

 3月31日。アルバイト最終日。私はバイト賃をもらうと「酒屋」へと走った。
 そして、私にとっては当時、最高の酒だと思っていた「剣菱」を二本買って、叔父さんと白髪老人の家それぞれに向かい、玄関先でこう言った。
―そう!!心を込めて―
「ありがとうございました。」
「俺の気持ちです!!」
  合掌  
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