ワンニャン供労物語 |
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和尚さんのさわやか説法174 | 平成17年9月号 | 曹洞宗布教師 | |
常現寺住職 高山元延 | |||
今月号の「さわやか説法」のタイトルは「ワンニャン供労(くろう)物語」とした。 ちょっと奇妙である。ワンニャンは犬と猫のことだが、供労とは、供養(くよう)と苦労(くろう)の二つの言葉を重ね合わせた私の造語である。 その造語の裏には、二十数年に渡る供養の歴史と、多年の動物を愛する人達の労苦の積み重ねが込められたものがあり、それがやっと来月十二日に報われることになったのだ。 —何があるのか— それは後述することにして、その供労の発端は、こういうことから始まった。 今から二十四年前、昭和五十六年の六月のことである。 「和尚さん!!本堂裏の墓地で猫が死んでるよ」と、ある檀家さんが教えに来てくれた。 行ってみると、可愛い小猫が横たわっていた。 小猫は、お寺で死にたかったのか、ここが安住の地と思って来たのか、それとも誰かがお寺だったらと捨てに来たのだろうか。 ともかく、この小猫をそのままにしておくことはできない。 「お寺の墓地の片隅に埋葬するか、それともどうしたら?」と思案した時、ひらめくものがあった。 「そうだ、鮫にある八戸市清掃工場に動物を火葬してくれるところがあったよな」 早速、電話してみると、こころよく引き受けてくれるとのこと。 行ってみると、なるほど施設内に小さな煙突がある焼却炉があった。 私は、その小猫を焼却炉に入れる時、思わず小声で読経した。 その帰りの時である。私は、こう尋ねた。 「今まで供養した時あるんですか?」 「いやぁー。全然ありません。一回もやった時がないんです。」 「そうか。じゃあ、あともう少しすれば八月だから、お盆の入りの日に来てやろうか」 「えぇー。そりゃ、ありがたいことですー。」 その時は、この会話が、動物供養の長い歴史の始まりになるとは思わなかった。 昭和56年8月13日午前九時、私はそこに行き読経し、工場内の関係者だけで手を合わせた。 終わると、なんと!!職員たちの晴れ晴れとした笑顔があったのだ。 私は、それにつられて、「よかったね。じゃあ、来年もやろうか」と言うと、「そりゃ、願ったりで…」 ということで、一年後のお盆の入りに私はまたやって来た。 その時、工場長に、 「この一年分の総まとめの供養だから、一年間の焼却動物の数を教えて下さい」と頼むと、 「ちょっと待って下さい。今、調べますから」 持参してきたレポートを見て私は驚いた。 「こんなにあるのぉ」 「はい、結構な数で、トータルで八百は越えます」(注:現在は二千体以上) 「これじゃ。一年なんてことでなく、毎月やらないと可愛想だよ!!」 「えー。和尚さん、毎月来てくれるんですかあー」 その言葉に一瞬、「毎月だと大変だぞぉー」と迷ったが、もののはずみとは怖いもので、 「いいよ。毎月くるから、いつがいいかな」 「まあ、寺に帰って考えて、後で電話しますから…」 —てなことで— 帰ってから、私は「毎月かぁー」と、ため息がついて出た。 でも決めたことだからと気を取り直し、いつにしようか考えた。 「曜日で決めるか、日(ひ)にちで決めるか」 その時。ひらめいた。 「そうだワンワンとして11日がいいかな?」と考え、そのあと、「ワンワンで11日だと猫がひがむよなあ」 「そうかニャオニャオニャンニャンで2(に)だ。ワンとニャンで12日。これだと犬も猫も文句言わねェーだろ」ということで、鮫の清掃工場長に電話すると、工場長は腹を抱えて大笑いした。 「ワッハッハ。そりゃいいすねェ。12日で決定しましょう。」 「ワンニャンの日として、毎月12日にしましょう。」 「じゃ。来月9月12日から、毎月行くことにしますから…」 この時、昭和57年のことである。爾来二十三年、雨の日、風の日、曇りの日。猛暑の日は汗をふきふき、厳寒の日はふるえながら。台風、どしゃ降り、大雪の日、そして好天の日、色々な日々があった。 —しかし— 決して変わることのないものが、そこにはあった。 それは、愛する家族としてのペットを亡くし悲しむ人達がいて、手を合わせる人達がいるということだった。 本来、八戸市の清掃工場にある動物死体焼却場の役目は、道路で車に轢(ひ)かれたり、行き倒れの動物達を焼却し処理することにあるが、一般家庭にあっても、依頼があれば対応していた。 そこで、私は毎月ここに来ることに対して心するものがあった。 —それは— 供養する相手は動物であること。 この場所は八戸市が管理する行政施設であること。 集まってくる方々は、動物を愛する不特定の人達であること。 以上のことから、私は一切の金銭、物品は絶対に受け取らないことを決めたのだ。私自身の仏教者としての「慈悲の心」であり、言葉を変えれば動物愛護の心であるからだ。 また、その心は私自身の社会に対する「布施行(ふせぎょう)」。つまり、「施(ほど)こしの心」であり、これまた言い換えれば、「ボランティア」させていただくことになるからである。 この愛護とボランティアの心は、二十三年間、変わりもしないしこれからも変わらない。 ここに集う方々の悲しみが、少しでも安らぎ、私のお経や法話を聞いて癒されるのであれは、私にとっての無上の喜びであり、和尚としては「あたり前」のことをあたりまえに実践させていただいているということだった。その感謝の気持が、毎月12日、かかさず読経することの原動力なのだ。 ところが23年前建てた木製の慰霊碑だけは、その風雪に耐えきれずに老朽化していき、字もかすみ、横に傾き始めてきたのだった。 そこで、六年前に悲しみを共有する仲間達が集まり、この老朽化の現状を八戸市に提示し、この打開策を講じようとして、「ワンニャンの日に集(つど)う会」が結成された。 —そしていま— 募金活動の成果と墓石業者の篤志と市民の善意が結集し、八戸市行政が動き出し、皆なの熱意に応えてくれたのであった。 それが来月十二日、動物慰霊モニュメント「ワンニャン慰霊之碑」が建立され除幕式を迎えることとなった。 そのモニュメントは、単なる墓石というものではなくワンチャンやネコちゃん達が何匹も戯れ遊ぶ姿が表現されている碑であり、ありし日を彷彿させるものである。 まさに、今までの供養と苦労の「供労物語」がむくわれる日となったのだ。 どうぞ読者の方々も良かったらおいで下さいませ。 ワンニャン慰霊之碑除幕式 期日 十月十二日午前九時 場所 八戸市動物死体焼却場 TEL33—3044番 合掌
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