「トリビアの泉」
出演騒動記パートⅡ

和尚さんのさわやか説法176 平成17年12月号 曹洞宗布教師
常現寺住職 高山元延

 今月の「さわやか説法」は、前号に引き続いての「トリビアの泉」出演騒動記の第二弾である。この前はフジTVのスタッフから出演依頼を受けて、てんやわんやの出来事を話したが、今号では、その収録時のこと、そして実際に放映された時の騒動の模様を説法することにしよう。
 前号を読まなかった方、あるいは忘れた読者の為に、何故、私が「トリビアの泉」に出演することになったのか概略を説明すると、それは、八戸のベンチャー企業であるJHSという会社が独自に開発した「古塔婆処理機」が「ヘェー」だからであった。全国の珍しいもの、皆が「ヘェー」と驚く物や現象にスポットをあて、それを視聴者の方々に紹介をする全国ネットの番組が「トリビアの泉」である。
 その「古塔婆処理機」なる代物は、古くなった塔婆をその機械に入れると、シュレッダーのように細かにチップ状に砕き、それが肥料のもとになるという画期的な機械であった。
 その処理機にスイッチを入れ、古塔婆を差し込んだ時「和尚の御経」が流れるようにとアイディアを出し改良を加えさせ、その第一号機が取材の対象となったのだ。名づけて「古塔婆供養読経機」である。
—さぁー。当日のことである—
 フジTVのスタッフは、朝一番の「はやて1号」で八戸駅へ到着するやワゴン型のタクシーを貸切り、色々な機材を積み込んでやってきた。
 スタッフの面々は、取材をとりしきるディレクター、カメラマンと音声録音マン、そしてADの総勢四人。まさに精鋭のTV取材班という雰囲気をただよわせる面々だった。
 まず、打ち合わせである。「今日は、こういう行程で、こういうセリフを和尚さんが言う」とのシナリオを渡され、私は、そのビッシリと書かれたコピーを見て胸がワナワナと震えた。
 彼らがカメラ準備をし、その塔婆処理機をあっちの角度、こっちの角度と撮影をしていると、近所のヤジ馬おばちゃん連中三十人ほどが集まってきた。
 それもそのはずである。私は前日、そのおばちゃん達にスピーカーしているのだから。 機械の撮影が一応めどがついたところで、私の出番となった。
「さあ、和尚さん!!この塔婆を機械に入れて下さい」
「はぁーい、いきますよぉー。サン、ニー、イチ、キュー」と合図をくれて撮影の開始である。こちとらは「コチコチ」である。動作がぎこちない。なんたってフジTVだ。トリビアの泉だ。全国放送だ。はたまた近所の連中が固唾を飲んで見入っている。
「はぁーい。カット!!」
「もう一回!!和尚さんもっとリラックスしてね」と、NGの連発である。その上、立つ位置、目線の位置、歩き方まで、こと細かに指導される。
 そうこうしているうちに慣れてきたのか私にも少し余裕が出てきて、スタッフと軽口を交わすまでになってきた。
 その時ひょっと、ある考えが浮かんだ。
「あのさ。ただ私が塔婆を機械に入れるんじゃなくて、ちゃんとした物語がなくてはダメじゃないの」
「つまりね。本堂で御経を上げたあと、新しい塔婆をお墓に持っていって、古い塔婆と交換し、その塔婆を檀家さん自ら差し込んで、そこで機械から御経が流れて供養される」
「こういうシチュエーションがいいんじゃないの」と提言した。
—すると—
「そりゃ、いいすね」
「じゃぁ、やりますか」
「ところで檀家さん達は?」とディレクターが言った瞬間、私は、
「ほら、ここにいっぱいいるじゃない」と近所のヤジ馬おばちゃん達を指さした。
 そしたら、皆一様に、ニコッと笑って一斉に
「おらんども、TVさ、うつるのげェ」と顔を見合わせた。
 急遽、本堂でエキストラを集めて読経風景の撮影となった。
 皆は緊張の面持ちで待機していると、ある一人が「おらぁー普段着だべェ」「こったら時は、ちゃんと黒服着て拝
(おが)まねェば、供養にならながべェー。」と言うと、一斉に皆は頷(うなず)いた。
「オラ!!家
(え)さ行って、着替えでくる」と立ち上がると「ほんだなす」と呼応した十数人が自分の家に一目散に走った。
 ディレクターと私は「はあぁ〜」と絶句して思わず苦笑した。
「まあ、どうぞ!!じゃぁ、また集まるまで小休止」となった。
 戻ってきた彼女らはビシッと着こなし、銀色のパールネックレスまでしてくる者もいれば、明らかに鏡に向かってきたなと思われる者もいた。
 そしてまた撮影が始まった。私は御経を読み、エキストラ達は、本堂で、あるいはお墓の前で、そして塔婆処理機に古塔婆を入れて手を合わせるシーンを何度となく厳しい注文に耐えながら頑張った。
 皆は俳優になったような気分となり、勿論この私も役者になったような気持でいた。
 私なんかはそれぞれ異なる三パターンのセリフを覚えさせられ、必死な思いで暗記した。
 カメラが回り、身振り手振りで表情豊かに話そうとすると、NGが出る。
「体を動かさず、カメラから目線をはずさず語り掛けるように話す」と何十回と撮り直しをするのだ。
 それと古塔婆を入れるシーンは、かのおばさん連中も私も、これまた何十回も何シーンもカメラを回し続ける。
 結局二日間に渡り、計十二時間の収録となった。
 放映日は九月七日午後九時と決定、かのエキストラ達に知らせ、また全檀家、知人に「トリビアの泉」出演のお知らせを印刷し、葉書を送付するまでした。
 とうとう待ちに待った「その日」が来た。
 お寺のお墓の塔婆風景が写しだされテロップが入り、ナレーションが語られる。
 そして我が常現寺の本堂、門柱の「魚藍山常現寺」なる揮毫がTV画面いっぱいに広がった時のこと。
 東京や全国各地にいる檀家さんの子供や孫達が、何の気なしに「トリビアの泉」をいつも通りに見ていたが、「その瞬間」であった。
「オラほのお寺だぁー」
「オラほの和尚さんが出てるじゃ」と叫びながらそれぞれが電話口に向かい携帯を握りしめて、一斉に故郷八戸の実家に電話を掛けたという。
 その時、NTTの電話回線は「三陸はるか沖地震」の時のように一時的にパンクしたそうだ(陰の声、そんな大袈裟なぁー)(^o^)
—ところが—
 私も、かのエキストラ達も、その放映を見て一様にガックリと首をうなだれた。
—それもそのはず—
 写ったのは機械ばかりで、私達が写ったのはたったの三十秒。あの本堂やお墓での御経風景は全てカット。私の三パターンのセリフもワンシーンだけ。
 一体、あの十二時間の収録は何だったんだろうと、どっと疲れ込んでしまった。
—でも—
 その反響はすごかった。
 全国の友人やら寺院から電話が掛ってくるのだ。製造元のJHSは百数十件の問い合せがあったという。

 今年も、あと十数日。私の寺の今年の重大ニュースは、この「トリビアの泉」出演騒動記だった。
 来年は騒動
(そうどう)なしに、静かに「曹洞宗(そうとうしゅう)」でいきたいものである。
 
 どうぞ皆様にとりまして、よいお年を迎えられることを祈念しております。


合掌

    
     


 

戻る