お彼岸特集号 |
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和尚さんのさわやか説法179 | 平成18年3月号 | 曹洞宗布教師 | |
常現寺住職 高山元延 | |||
暑さ寒さも彼岸までとか。今年の冬は、寒さも雪も厳しかったですね。 でも、もう春のお彼岸です。三寒四温をくり返しながら、木々は芽吹き、やがて花を咲かせることでしょう。 陽光うららかな春が待ち遠しいものです。 —先日のことである— 本堂に行くと、一人の幼い男の子が、中央にある住職が読経する導師席に、ちょこんと座り、手を合わせ何かをブツブツ唱えている姿が見えた。 近付いていくと、そばにいたお婆ちゃんが 「これ!!降(お)りなさい!!」 「早(はや)ぐ、降(お)りろ!!」 と、その子をだき抱えようとする。 「まあまあ」と私はその動きを制(せい)すると、 「和尚さん、どうも、すみません」 「うちの孫ったら、御経あげたいと言って和尚様の席に座りたがるもんだから…」 「つい…。」 「すみません!!」 と、平謝りである。 「ヘエー。ボクは、御経あげれるの?」 「すごいねエ」と言うと、嬉しそうに「うん!!」と大きく頷いた。 「なんもなんも。御経たって、御経じゃないっす。」とお婆ちゃんは言う。 「この前、孫が、何(なん)って御経読むのって聞くもんだから…」 「ナムナムって、おがめばいいよ。って教えたら、それがら、いっつもおもしろがって、『ナムナム』っておがむようになったのす。!!」と、恥ずかしそうに必死で弁明する。 「ふーん。そうなの」 「和尚さんも、ボクの御経を聞きたいなぁ」 「ボク!!和尚さんと御本尊様に、君の御経聞かせてくれないかなぁ?」と言うと、満面の笑(え)みをうかべて、「うん」と力強く頷いた。 側(そば)にいるお婆ちゃんは、手を横に何度も往復させ、「やめろやめろ」の仕草である。 「さあ!!やってごらん」 と促(うなが)すと、幼い声が本堂に響いた。 「ナムナム。」 「なむなむ」 「ナムナム」 「なむなむ」 このフレーズを、くり返し、エンドレスで唱え始めた。 私も、にっこりしながら手を合わせ黙って聞いていた。 「ナムナム」 「なむなむ」 その幼い声はまたまた本堂中に小さいながらも響き渡っている。 「ナムナム」 「なむなむ」 そして、この簡単フレーズが一向に止む気配がないのである。 私自身の思いは、こうであった。 「どうせ幼児(おさなご)が唱える『ナムナム』だもの、すぐ飽きるだろうし、すぐ終わるだろう」と…。 —ところが— すぐ終わるどころか、だんだんと声が大きくなりはじめ、何かしらその「ナムナム」御経が哀調を帯び、リズミカルな調べとなって私には聞こえてきた。 「こりゃあー。立派なお経になってるわい」 と思わず呟いた。 「ナムナム」 「なむなむ」 その子の声は、まだ続いていく。 —もう、どれくらいの時間が経過しているんだろうか— 私もつられて一緒に「ナムナム」と唱え出したくなってきた。 恐るおそるその子の声に合わせるかのようにして私も 「ナムナム」 「なむなむ」 と唱えた。 すると、その子は私をチラッと見ると、もっと大きな声で、 「ナムナム」 「なむなむ」と競争するかのようにして唱えるのだ。 私は、なんだか嬉しくなってしまい私も大きく声を出した。 エンドレス「ナムナム」御経の合唱である。 —そしたらである— なんと!!孫のお婆ちゃんも一緒に唱え始めたのだ。 「ナムナム」 「なむなむ」 三人の大合唱となっていった。 私は自分の合掌している手の中に汗がジワッと滲(にじ)んでくるのがわかった。 私には、その子が無心にして唱えている姿を見て、お経本にはない『南無経』であり、一称念仏の真のあり方であると思わざるをえなかった。 —そしたら突然— 「ちかれ(疲れ)たぁ」 「お・わ・り〜」 と、言うや、お婆ちゃんの膝の上にピョンと飛び乗った。 それもそのはずである。なんと!!十分はその『南無経』を上げていたのだから。 私は、あっけにとられながらも「フー」っとため息一つ。背中には汗が流れていた。 「すごいなぁー、ボク」 「すばらしい御経だったよ」 「和尚さんの御経よりずうっといい御経だったなぁ」 と、私は思わず拍手して、その子を抱き上げた。 「すげぇすげぇ。」と言いながら飛びはねると、その子は私の頭を小さな手でしがみつき、同じように 「すげぇすげぇ」と連発していた。 あの「ナムナム」のワンフレーズを唱えるのに一秒かかって、十分唱え続けると60×10で六百回。「ナムナム」は「南無」の二回くり返しだから、単純計算しても千二百回は唱え続けたことになる。 まさに「ナム」の世界であり、南無と一体となっていた境地だったかもしれない。 この『南無』とは、ではどういう意味なのだろうか。 皆さんは、興味ありませんか? この語は古いインドの言葉の「ナーモ」(namo)を漢訳した時に「南無(なむ)」とか「南謨(なも)」「那摸(なも)」等々と表記したものであり、その意味は「帰依(きえ)する」「頂礼(ちょうらい)する」ということであった。 つまり、御仏(みほとけ)に、仏法僧(ぶっぽうそう)の三宝(さんぽう)に心より帰依し、その自らの信ずる心のあらわれとして生ずる礼拝行(らいはいぎょう)であり、言葉としては「南無」の語を発するのである。 あの幼児(おさなご)は仏に帰依したから「ナムナム」と唱えたわけではない。お婆ちゃんから教えられたから、あるいは、お婆ちゃんがお家(うち)の仏壇(ぶつだん)の前で唱えている姿を見て、そうしたくなったかもしれない。 —でも— 声をだし、合掌し、そして十分も千回以上も唱え続けていくということは、まさに「帰依」の世界であり、「南無」という「仏の世界」の中にあって、「仏の世界」に到(いた)っているのであった。 道元禅師は「彼岸」のことを、こう説かれている。 「修行(しゅぎょう)の彼岸(ひがん)にいたるべしとおもふことなかれ。彼岸に修行あるがゆえに、修行すれば彼岸到(ひがんとう)なり。」 つまり、修行して彼岸に行くのではないよ。彼岸そのものに修行があるのだから、修行している、修行することが彼岸に到っていることであるよ。と言われる。 —とすると— あの子は、自分が気付くと気付くまいと、仏の修行をし、「彼岸」で修行していたことにほかならない。 現世に生きるあの子の「ナムナム」の世界は、まさに「彼岸」となっていたのだ。 「彼岸」とは来世の「彼(か)の岸(きし)」ではなく、現実にある自分の岸であるのだ。 だから、和尚の私もお婆ちゃんもつられ唱え始めたのであり、三才の童子に導かれて「彼岸」の中に到ったのだ。 どうぞ、この春のお彼岸!!あの幼児(おさなご)と同じように、あなたも「ナムナム」と唱えてみてはいかがですか。 きっと、あなたも「彼岸」の世界に入れますよ。 合掌
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