詩集「いのち咲く」とは

和尚さんのさわやか説法180 平成18年4月号 曹洞宗布教師
常現寺住職 高山元延

 小さな小さな詩集が、送られてきた。
 始めは、いつも大量に届くダイレクトメールぐらいの感覚で、無雑作に封を開け、最初の1ページ冒頭の一節を読んだ。
—その時—
—その場から—
 私は動けなくなり、そのページをめくり続けて読んだ。
 その詩集はページ数わずかに30ページ。B5版を二つ折りにした小さくて軽い本であった。
—ところが—
 その一つ一つの詩の語るものは、重く、大きく、読む者達に衝撃を与える内容だったのだ。

 ちょうど、それを手にして読んでいた時、障子の向こうから声が響いた。
「和尚さん!!時間が過ぎてますよ」
「あっ!!すみません。すぐ行きます」
—そう—
 檀家さんの年回供養があり、そのおつとめが始まる少し前に封を開け、読み始めたのであり、いつしか時間が経つのも忘れて読んでいたのだ。
「どうも、おまたせしてしまって…。」
 その自分の声に、私は、びっくりしてしまった。
 自分の声が、うるんでいるというか、涙声になっていたのだ。
 本堂で、墓地での御経を無事終わると、私は、小走りに茶の間に帰ると、御衣
(ころも)を着けたまま、また、あの詩集を手に取った。
 表紙は、デザインも何も無い、横一行で『いのち咲く』と印字されてあるだけの詩集。
 序章の「はじめに」には、こう書かれてあった。
「皆様しばらくの間、両眼を閉じて 両手で両耳をふさいでみて下さい。……そこに開かれる漆黒
(しっこく)の闇(やみ)と静寂(せいじゃく)の世界を感じてみて下さい。蓋(ふた)付きの壷(つぼ)に入れられ 深海に沈められたような体感を得る事ができようかと思います。これが盲ろう者=視覚・聴覚二重障害者の住む世界であります。」
—そう—
 この詩集の送り主は全国盲人援護会という福祉団体であり、全国的に障害者の方々への支援を展開している団体なのだ。
 そして、この詩集の原作者は、病
(やまい)から視聴覚の感覚を奪われたある少女であり、その内容は、彼女の悲しみから希望へと歩む「心の軌跡」であり、「生命(いのち)の叫び」であり、また私達、現代社会に対する「共生きの世界」への提言であった。

 今回の「さわやか説法」は、私、高山元延和尚がするのではなく、この少女の「詩」を通して、少女の「生命の説法」として読んでもらいたく、ここに原文のままに掲載し、私自身のコメントは、控えめにすることとしたい。

 プロローグの一節
「ひとりの少女が病気になった。頭の中にいくつかの腫ようがあった。開頭手術をして取り除かれた。
 しかし、助かった命とひきかえに 少女の目と耳の感覚は失ってしまった。

 やさしいお母さんお父さんの顔も、笑ったりけんかして遊んだお友達の顔も、もう見ることはできない。家族団らんの楽しい会話もすばらしい音楽も騒々
(そうぞう)しい車の音も
もう聞くことはできない

 けれども少女の心に詩を書くことで、苦しみ悲しみをのり越えた豊かな心の ひろがりが生まれた。

 少女の名前は、千葉かをる。
 彼女の生きてきた"いのちの証"をここにのこす。」

 このプロローグで彼女の輪郭を、そして詩集の深さの意味を御理解できるであろう。
 では彼女に「心の詩」を語ってもらおう。
 視ること聴くことを失った彼女は自らに言う。


 『鏡』

 鏡に写った私の黒い影
 それに問いかけるの

 まねをしているのかどうかもわからない
 私の黒い姿

 問いかけても答えてくれないのにね

 だけど、いつか鏡に写った黒い私の姿が
 見えるようになるよって
 心の中に、そうと答えてくれたらな

—そして—
 少女は現実の自分を知り、たくさんのたくさんの涙を一杯流し、涙の本質を詩にたくす。


 『涙の味』

 涙の味をはじめて知った

 悲しい時流す涙とは違うの
 本当の涙って違うんだ

 涙の味をはじめて知った


 『心の涙』

 心の涙
 それは人に見せて泣く涙とは違う
 見せて泣く涙は一時
(いっとき)だけ

 心の涙はずっと泣いている

 ハンカチふくことも
 手でぬぐうこともできない
 心の涙はいつ泣き止むの

 この詩を読んでいると、彼女の切々たる思い。流す涙がどれほどのものであったか。
 本当の涙を、心の涙を流したことのない私には、「涙の味」を知ることができない。ただ「今の涙」を流すしかなかった。
 彼女は病気のことを、自分のことを、いろいろな人達を責めたにちがいない。


 『どうして?』

 治してなんかほしくなかった
 こんなに辛い思いをするんなら

 治してなんかほしくなかった
 いっそほっといてほしかった

 どうして治してくれたんだろう

 苦しい病にある時、どん底の苦しみの中にいる時、死んでしまった方が、よっぽど楽なのにと、誰もが思う。
—でも—
 お父さんもお母さんも周りの人達皆は、やっぱり生きていて欲しかったと思うし、彼女の生命が、生命自身が癌を克服して生きたかったのだと思うのだ。
—やがて—
 少女は、その苦しみ悲しみから、自分を励まし頑張っていこうと希望をもち始める。


 『祈り』

 太陽

 それが昇るときに、大空にお願いするの
 そうすると、そのお願いごとが
 叶うような気がしない?

 かなわなくとも、ただその日その日が
 無事でありますようにって
 神様にお願いしようね

 そして彼女の心に、「春の心」が包むようになったのだ。


 『春』

 私が一番好きな季節
 それは春

 目がみえなく、何にも聞こえないけど
 花の香りと花のおしゃべりが
 聞こえそうだから
 私は春が一番好き


 『心の目と耳』

 心の目と耳で、見たり聞いたりするの
 美しいものを触って 
 それを心の目で見て 

 風の音や木のざわめきを
 心の耳で聞くの

 何とすごい詩なんだろう。彼女の生命の躍動、心の鼓動が伝わってきます。
 
 この詩集は、いや少女の「心の詩」は、私なんかより、ずうっとすごい説法だ。
 だからこそ、この「さわやか説法」の中で紹介したかったのである。ではまた、来月号で彼女の詩を聞いてください。


合掌

 ※本文中の詩は=かをるのノート=「いのち咲く」より抜粋 
     


 

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