『月刊ふぁみりぃ』連載中
芝居版 「創作 ぼくざん物語」 パート十四
第四幕 金英和尚 故郷へ帰るパートⅡ
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和尚さんのさわやか説法212
曹洞宗布教師 常現寺住職 高山元延 |
江戸時代は牛込にある鳳林寺にありて、金英和尚は、何か胸騒ぎを覚えていた。
耳の奥というか、胸の芯に、母の悲痛な叫び声が響くのである。
「万吉やぁー。」 「万吉ー。」と自分を呼ぶ声が、涙にむせぶ声が聞こえるのであった。
「おっ母(か)っさん」
「おっ母(か)っさん 何かあったのかぁ〜」
故郷(ふるさと)をあとにし、江戸に上りて、もう十年の歳月が流れ、日々修行研鑽の道に邁進してはいたが、片時も母のこと、父のことを想わない日はなかった。
—しかし—
今日に限って、いつも思い浮かぶ母の笑顔ではなくして、悲しげな母の眼(まなこ)であり、涙の顔であった。
「どうしたんだべ」
「何か あったんだべが?」
思わず、ふるさとの南部なまりのまま、つぶやいた。
—その時—
嘉永二年(1849)金英和尚こと万吉、29才の時であった。
「万吉や、お父っつあんが亡くなったよ」
「お前のこと案じて、立派な和尚さんになってくれよぉーと、念じてた、お父っつあんが死んでしまったぁ」
母は、万吉のことを心の中で叫びながら、夫、長次郎に掌を合わせていた。
訃報を聞きつけ、集まっていた親類や湊村の近所衆も、なをさんの悲しみをこらえながらも祈るその姿に、一様に涙した。
「長次郎さんは、まっこといい死に顔だなす」
「さすが 仏、長次郎と言われただけはあるなぁー」
「働きもんで、朝早くから、夜遅くまで働き通しだったもんな」
皆は口々に、亡くなった長次郎さんのことを惜しみながらも、その徳行を讃(たた)えた。
「いっつも、万吉のことば心配してさ。」
「そんだゝ。万吉だば、江戸のお寺さんの住職になったと聞いた時だば、飛び上がって喜んでいたもんなぁー」
「万吉から時折、送られてくる手紙だば、なをさんと一緒に擦り切れるほど、何回も読んでいだしよ」
「まんずゝ。にっこりゝ笑いながら、顔をくしゃくしゃにして読んでらもな」
皆なは、元気でいたころの長次郎さんを偲んでは思い出話にふけった。
こんなことが起きているとは、父、長次郎が急逝したことなど、江戸にいる万吉には、知るよしもなかった。
ただ、妙に胸騒ぎを覚え、胸が傷む感じがするのだ。
平成の現代では、いろいろな情報がリアルタイムで、瞬時に伝えることができる。
電話や携帯電話はもとより、メールやパソコン、あるいはFAXに電報。手紙や宅急便等々は、交通網の発達により八戸、東京間だと翌日配達ができる用にまでなった。
通信や交通手段は速さが求められ、求められる側は、それを実現化させてきた。
家族の中で、皆ながいつでも、どんな時でも連絡したり、伝えたいことを、伝えることができるのが現代である。
しかし、何かを媒体としてそうであれば、あるほど家族間の心と心の交流が、どんどんと希薄化しているのが現実のようである。
—だが—
穆山禅師の生きた時代は、もちろんのことではあるが、そんな通信手段はない。
手紙を送るとて、人が歩き走るという人間の労力だけがたよりである。まさに即応性からは、かけ離れているし、何ら他の手段というものはない。
だからこそ、人間同士の「絆」が「交流」が、より強く、より濃く、それもごく自然に育まれていた時代である。
遠く離れていて、すぐに連絡を取れるわけではないし、安否を尋ねようと思っても、すぐに確かめようもない。
だからこそ、家族間の感覚が、より鋭敏になっているのかもしれない。
鋭敏であるが故に、胸騒ぎを覚えたり、耳の奥底に、親が子に、子から親にと思う「心の声」が聞こえるのではないだろうか。
まさに、江戸にいた金英和尚こと万吉がそうであったのだ。
耳の奥底に母の悲痛な叫びが、父の長次郎の笑う声が響く。
「おっ母っさん。何か、あったのかぁ〜」
「おっ父っつあんに 何か、あったのかぁ〜」
—その時、湊村では—
「早く、江戸の万吉に知らせねば!!」
「ほんだゝ。和尚様になってんだもの、万吉に、お弔いしてもらったら成仏するべ」
「そんだゝ。万吉さ早く帰ってきてもらうべよ」
皆なは、長次郎の妻であり、万吉にとっては、母である「なを」さんに言い寄った。
—しかし—
なをさんは、かたくなに首を横に振った。
何も言わず、涙を浮かべながらも気丈に、皆なの言葉をさえぎった。
「いや、万吉だば、帰ることなんかない。」
「万吉を帰してはいけないんだ」
「万吉だば、わらしの時、一子出家すれば九族天に生ずとの教えから『出家』したのっす」
「オラだちば、極楽さ行かせたいって、出家したのっす。」
「それでいいのっす。帰ってこなくても、オラだちの長次郎さんはちゃんと、極楽さ行ったのでがんす。」
なをさんの声ならぬ声に皆なは黙って聞いていた。
「したんども、それでも万吉さ教えたほうがいいべ」
「万吉だって、帰ってきたいと思うよ」
「長次郎さんだって、万吉のごと、いっつも心配して、あれほど会いたがっていだんでねェ〜がい」
口々に言う親類や近所衆の温かい思いにも、なをさんは、首を横に振っていた。
そして、呟いていた。
「オラだって、万吉だば帰って来てほしいよ。」
「オラだって、万吉が帰ってくれば、なんぼ安心するんだが」
「オラだって、万吉だば、会いたいよ……」
その呟き声は、皆なの耳には聞こえなかった。
「万吉だば、み仏様におあずけしたんだもの」
「万吉の修行の邪魔してはなんねェ!!」
まさに、母が子を想う切なる心であった。
一番帰ってほしいと願うのも「母の心」であり、しかし子の行く末を案じて、邪魔をしてはならないと想うのも「母の心」であった。
—その時—
親類のある者が強く言い放った。
「いや、やはり万吉さ知らせるべきだ!!」
「今から飛脚(ひきゃく)さ頼んだって、何日も江戸までかがるし、万吉だって、ここさ帰ってくるには何日もかがる」
「もし帰って来なくても、教えてやるだけでも教えてやらねェばならねェーべ」
皆なは一様に頷いた。
—その時—
万吉は鳳林寺の御本堂で御経を上げていた。
母のことを念じ、父のことを念じ、胸の響きを押さえるが如くに……。
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合掌 |
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