『月刊ふぁみりぃ』 2010年5月15日(土)
芝居版 「創作 ぼくざん物語」 パート二十
第五幕 エピローグ(最終回) 金英和尚 初心に帰るⅡ
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和尚さんのさわやか説法218
曹洞宗布教師 常現寺住職 高山元延 |
「金英和尚。ただ今故郷南部から帰山致しましたぁー」
江戸は牛込「鳳林寺」の山門の前に立つと、渾身の力をふりしぼるかのようにして叫んだ。
道中の疲れもみせずいや、かえって何かが振っ切れた爽やかな一回りも二回りも大きく成長した若き金英和尚の姿が、そこにはあった。
本堂や境内で待ち構えていた檀家衆や近所の連中は、笑顔と涙でクシャクシャとなって迎えた。
「おかえりなさぁ〜い」
ある者は飛び上がり、ある者は駆け寄り、ある者は手を合わせていた。
数ヶ月ぶりに見る自分達の菩提寺の住職はたくましくなって戻って来たことを、檀家の皆なは実感した。
確かに、目の前にいる金英和尚は、暖かく包み込む、その人柄は変らないのだが、気高さというか、凛とした姿というのか、全身から光漲(ひかりみなぎ)るものを感じとっていた。
「きっきっ金英和尚さんー。」
熊さん、八っつあんは言葉にならない言葉を発していた。
「ちがう!!ちがう!!前の和尚さんとはちがう。とてつもなく、大きくなって帰ってきたぁ!!」
「故郷で、何があったか知らないが、どんなことがあったのか分からないが、前とは違う」感激と、言いようのない胸の鼓動が高なっていた。
「皆様!!留守中、まことにありがとうございました。おかげさまでこうして無事、江戸に帰ってまいりました」と、旅装を解き、皆なに感謝の心を述べながら、次にこう言った時皆なは、どよめきの声を上げた。
「実は、こんなに早く戻りましたのは、母親から追い出されましてぇー」と、頭を掻いて合掌すると、本堂に集まった連中は、やんやの喝采を浴びせては、囃し立てた。
—しかし—
何故、追い出されたのか。
何故、母は我が子を追い出そうとしたのか。
その「母の心」を聞き、その「母の愛」の深さに思い巡らせた時、堂内は、波が引くかのように急に静まりかえっていった。
そして、その静けさが頂点に達すると、みんなの心の波動が一挙に爆発した。
「すごい!!母上様じゃぁ」
「金英さんのおっ母さんは 素晴らしい女じゃぁー」
「この母ありて この子ありじゃあ〜」
口々に皆は誰ともなしに叫んでいた。
—その時—
誰かが言った。
「おっ母さんは、金英和尚さんの母様は、南部八戸の住職にはならず、江戸に帰って修行せよ!!と おっしゃったんだよな」
「てェーってことは、このまま鳳林寺にいるってことじゃないですかぁー」
「そうだゝ」
「金英さんは、ずうっと、私らの住職さんでいてくれるんですよね」
「こりゃぁー。いいぞぉー。おっ母さんに感謝!!感激!!雨アラレってんだぁ〜」
みんなは、てんで勝手に「母の心」に感激するやら、喜びに湧き立った。
「ちがいます!!ゝ私の母の思いは、初心に返り、『一子出家すれば』の心に立ち戻れよとの厳しい鉄槌でありました」
「私の慢心を戒めたのであり、真の出家者たれとの思いであります。」
「幼い時、出家を決意した母との誓いの為には、更なる修行を積まなければならないとの教えです。」
金英の切なる言葉にまたまた本堂内は静まりかえっていった。
「ですから、私はゝこの鳳林寺の住職も辞して修行の旅に出たいのであります」
「皆様、私自身、江戸の寺で住職を勤めることも、慢心を増長させることでもあり、また皆様に甘えることでもあります。」
「これは、八戸の寺で住職をし、母親の側で孝行することと同じことなんです」
「母は、私自身のそんな心の弱さを見抜き、もっと強くなり、出家者としての本分たる仏家の修行に精進しなければならないと、強く叱ってくれました」
熊さんも、八っつあんも、皆ながみんな一様に首をうなだれ、金英和尚の本分としての覚悟に打ち震えていた。
母の慈愛を…。
子の親心を…。
それが、みんなにも分かり過ぎるほど分かった。
—でも—
だからこそ、立派な和尚様であるからこそそんな金英さんだからこそ、自分達の寺に居て欲しかった。
その気持は、金英にも痛いほど伝わったが意を決して声を上げた。
「皆さん!!どうぞ、お許し下さい。私は幼き時の母への誓いを果たすべく初心に立ち帰り一から修行したいのです!!」
「母を極楽に行かすべく、真の出家道を歩みたいのです」
「私自身の出家道は、母ばかりではなく、きっと皆さんも極楽に導くことでもあると思うのです」
金英の声は涙声となっていた。
「分かったよぉ〜。金英さんよー。」
「大丈夫だよ!!俺達は!!金英さんが居なくても、しっかりお寺を守っていくし…」
「しゃぁねェーなぁー俺達は江戸っ子よ!!すぱぁーっと別れてやるよ」
「てゃんでぃー。こんな修行未熟の和尚なんて、こちとらから願い下げだぜぃ!!」
「さっさと行ってしまいなぁー。」
熊公、八公が叫ぶとみんなは、ワーッと金英和尚の脚下(あしもと)に駆け寄った。
もう言葉はいらなかった。皆はすがり寄り金英は皆なを抱きかかえた。
「どこに行っても俺達を忘れんなよー」
「私達を、必ず極楽に行けるようにして下さいねぇー」
金英は、皆なの心を母の心を胸に熱く受け止め、厳しき修行への志に燃えていた。
曹洞宗開祖、道元禅師は修行僧達にこう示されている。
「先(ま)づ 欣求(ごんぐ)の志の切(せつ)なるべきなり。…切(せつ)なるもの、とげずと云ふことなきなり。是くのごとく道を求むる志、切になりなば、只管打坐(しかんたざ)の時、古人の公案に向はん時、もしくは知識に向はん時、実(まこと)の志をもて なさんずる時高くとも射つべし、深くとも釣りぬべし…」
金英和尚は、このお示しの如く「切(せつ)なる志(こころざし)を胸に秘め、ある善知誠のもとに参じようとしていた。
ひたすらに坐禅に打ち込み、ひたすらに禅の公案を参究し、そして教え導く本師のもとにて修行研鑽し、初発心(しょほつしん)を成就せしめんとしていた。
その道は険しくとも、高くとも、いや深くとも必ず「仏法」を射る、あるいは釣り上げんとする切なる思いであった。
それが「母への心」に応え「母の思い」を遂げることでもあるのだ。
金英は、鳳林寺を辞し、東海道をひたすら西に向かっていた。『正法眼蔵』の大家と称せられる、ある老人を尋ねようと…。
江戸では遠くに見た「富士のお山」が、大きく聳(そびえ)え立っていた
「これが、日の本一(ひのもといち)の富士山かぁー」
まばゆいばかりに天に頂きを突き、大きく裾野を広げる山を仰ぎ見た時、金英和尚、後の穆山は期せずして声を上げざるをえなかった。
「おっ母さぁ〜ん!!」
「おっ母さぁ〜ん!!」
—そう—
富士の山に懸かる雲が母の笑顔と重なっていたのであった。 |
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合掌 |
=完= |
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※今回で芝居版創作「ぼくざん物語」は終了致します。長い間、御愛読まことにありがとうございました。厚く御礼申し上げます。
尚、来月号からは、従来通りの「さわやか説法」に戻ります。
金英和尚さんと同じく「初心」に返り、頑張る所存です。 |
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