曹洞宗 魚籃山 常現寺 青森県八戸市
 『月刊ふぁみりぃ』 2011年10月15日(土)
  節電法話 「節電」の「節」ってどんな意味?
  
和尚さんのさわやか説法230
曹洞宗布教師 常現寺住職 高山元延
 「只今、我が家、我が寺、節電継続中!!」
 近年、夏場における電力需要は社会の問題となり、特に今年は3月11日の東日本大震災による大地震、大津波、そして原発問題に端を発し、電力供給の絶対量の不足から「節電」対策が大々的に図られ、国民にその協力と理解が求められた。
 もちろん私自身も、一人の国民として、市民として、いや一僧侶として、この節電に対しては大いに賛同するものであった。
 それは、ただ単に電力不足によるからではなく、小僧時代、修行時代から徹底して叩き込まれた教えによるものだからである。
 それは、仏道修行の根底には、常に質素を旨とした「節制」の実践があった。
 「ものを無駄にするではない!!」「ものを大切にせよ!!」とよく叱咤されたものである。
 衣食住。生活する全てが「節制の修行」なのだ。
 着るものも、着ているという行為も、食べることも、住まいするということも、つまり、「生きる」ということは、それらによって自分が「生かされている」ということに他ならない。
 だから、無駄にせず、感謝の心を持って大切にしていかねばならないということであった。
 このことは、全てを「生かす」「生かしきれ」との教えなのである。いわゆる節電問題は、まさに「住」の節制の生き方であり、その実践でもあった。

−かくして−
 この夏、私は今まで以上に意識的に節電に努めた。
 例年だと、お寺参りの方々の為に、本堂や位牌堂の電気は、明るくし、茶の間等の庫裡も、皆さんが訪れやすいように昼でも点けていたが、それらを消灯すると、寺全体が、ボワーッと昼でも暗くなり、何だか涼しげな感じがするのである。
 お寺であるからか、その涼しさは街中よりは余計に感じ、寒気すら覚えるから不思議である。
 だから、この節電消灯は、かなり効果的だったともいえる。
 とある日、その暗がりの本堂の片隅で、私が着物姿のまま、仏具の捜し物をしていたら、そこをお参りの方が通りかかった。
 その時のことである。私の姿を見たとたん、「ギャァー」っと声を飲み込んで、立ちすくんだのであった。
 こっちも、びっくりしたのなんのって…。
 私の顔を見るなり、いきなり悲鳴に近い声を上げるんだもん。
 そして次にこう言った。
 「なぁーんだ。和尚さんかぁー。」「おどろかせないでよぉー」
 私は思わず手を横に振りながら必死で、
 「なんもなんも 私は別にびっくりさせようとしたのではないっす。」と目をまん丸にして言い訳し、心の中でも叫んでいた。
 「俺はお化けでも痴漢でもねェーぞぉー」って。
 これも節電効果のなせる出来事である。

 こんなこともあった。お盆の前の日、私の奥様が仏間で電気をつけずに「盆提灯(ぼんちょうちん)」を組みたてていた時のことである。暑い日の夕刻でもあり、少しの化粧は汗で流れ、髪は汗と共に乱れていた。
 その仏間を通りかかった時、私を呼び止める声がした。
 その暗がりにいたのは奥様だが、奥様を見た途端、先の檀家さんと同じく、「ギャ」っと声を飲み込んでしまった。
 何しろシチュエーションは、仏間の盆棚の前で、盆提灯を組み立てている乱れ髪の女…。
 まるで少年時代に白黒映画で見た「怪談 牡丹灯籠」の情景とそっくりだったのだ。
 奥様はニッコリ笑って、優しく私に声を掛けてくれたのではあるが、私は肝(きも)を冷やしてしまった。優しい微笑みであるからこそ、暗がりで見れば見るほど、涼しさを通り越して「ぞぞぉー」っと寒気が背筋を伝わるのであった。
 −これも− お盆の節電効果のなせる出来事であった。

 −てなことで−
  我が家、我が寺の「節電」は思いの外、効果は上々で、それは昨年同時期(8月)の電気料金の通知書からも明白だった。
 昨年は3,084kwで今年は、なんと2,490kwとなり、約600kwの削減、20%の節電」であり、金額にして1万2千円の節約になったのであった。
 私は、この通知書を見た途端、お化けに間違えられたり、奥様を怪談牡丹灯籠の「お露さん」に見間違えたことなどスッカリ消し飛んでしまい、思わず「やったぁー!!」と叫んでいた。
 本当はこの節電の功労者は、御理解と御協力をいただいた参詣者の皆さんと奥様のおかげではあるが…。

 私は本稿の冒頭で仏道の根柢には、常なる「節制修行」の実践があると述べた。
 ということで、節電という意識行動もまた一つの「節制修行」という観点から、この「節する」ということを考究してみたい。『節』という文字は、1.竹や枝のふし、2.気候の変わり目や時期である季節や時節、3.物事のくぎりや歌曲、文章のくぎりである音節や文節、4.志や操を守る意味での節儀や貞節そして5.ほどよくすること、ひかえめの意味での節度、節約等々の意味合いがある。
 節電でいうところの『節』とは、この「ほどよく」「ひかえめに」という意味であって、同義語の言葉としては、今まで何度も表記している「節制」[節約」があり、「節限」「節減」「節食」「節酒」「節水」「節度」等々が上げられる。
 要するに、これらの言葉は、仏道修行はもとより私達の生活にとって至極当然の理(ことわり)なのである。
 「消費は美徳」とされた今までの消費文化、消費礼賛を反省し脱却する新たなる文化構築は、現代的アレンジした「節制文化」であるかもしれない。

 今から2千5百年前お釈迦様が言われたとする「法句経」という経典がある。
 その中に、次なる詩文がある。
 「身(み)の上に おのれを摂(ととの)うるは善(よ)く
  語(ことば)の上に おのれを摂(ととの)うるは善(よ)く
  意(おもい)の上に おのれを摂(ととの)うるは善(よ)く
  一切処(すべて)に摂(ととの)うるは善(よ)く
  かく摂(ととの)えたる比丘(ぴく)はすべての苦(く)より脱(のが)る」(法句経三六一)

 ここでいう『摂』とは「節制」の『節』に通じる。
 つまり『節』とは「ととのえる」ということであり、「節する」ことの本来の意味は、まさに、自己(おのれ)の「身口意(しんくい)」を「ととのえる」ことにあったのだ。
 それは、自己の生活の一切(いっさい)の処(ところ)でであり、人生の一切処(すべて)においてである。
−ということで−
 皆さん!!「節電」「節水」あるいは「省エネ」ということは、自分自身の心を「ととのえる」という「苦」をのがれる「安らぎ」の実践行動だということに気づいてもらいたいのである。
 単なる生活抑制ということではなかった。
 
 今号の「さわやか説法」は、「節電」をテーマにしながら真夜中に月の光ではなく、「電気」を明々(あかあか)と点(つ)けて書きあげている。
 一番、節度なき、「ととのえられて」いないのは、この高山和尚であることは間違いない。
 (涙)   
  合掌  
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