『月刊ふぁみりぃ』 2012年8月15日(月)
お盆特集号
「お寺のバイト三ヶ条」 |
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和尚さんのさわやか説法238
曹洞宗布教師 常現寺住職 高山元延 |
「お盆」の時節である。この期間は、全国の寺院方それぞれに外なる気温は暑く、内なる心は熱くなっている。
八戸地方のお盆は、準備の日である「七日盆(なのかぼん)」から始まり、十三日の「迎え火」から十六日の「送り火」までの四日間。そして、二十日には「二十日盆(はつかぼん)」と言われる精霊送りの「灯籠流し」で締めくくられる。
この期間中、寺院にあっては、その御供養の為の準備に本番、また『棚経』と称する檀家参りをされているところもあり、和尚さん方のボルテージはまさに上昇気流と化してしまう。
その上、お墓では「火」を焚き、本堂の中は線香の火が、モウモウと煙り、ことさらに暑さと熱気が倍増に倍増を重ねるのであった。
ということで、このお盆中は、各寺院では和尚さんばかりでなく、家族総出で、かつまた、多くのお手伝いの方々が、お盆であるが故に、ボンボンと任務につく。
私の寺にあっても、それは同じで、お檀家の方々や、パートのおばさん方、そして応募してきた女子高校生達が大勢集まり、それぞれの仕事に頑張ってくれる。
早朝六時から仕事開始。位牌堂の御先祖様全員への「お仏膳(ぶつせん)」の盛り付けをし、その数は千を越える。終わってすぐさま本堂内の掃除やら、土間に外の清掃。そして日中は、参詣者の皆さんの受付に、お茶の接待、等々…。
更に夕方は、その上げたお仏膳の後片付けをして、明朝の配膳の準備と……。その内容は、この紙面に書き尽くせないほど多様多種で、時間も長い。
でも、高校生達は、不平不満ももらさず、汗だくの笑顔で懸命に与えられた以上の仕事をまっとうしてくれるのであった。
応募してくる女子高生は、大概一年生から採用し、お盆ばかりでなく、春秋のお彼岸に、お正月と、お寺の季節行事毎(ごと)に参加してもらい、卒業するまでの三年間を勤めてもらうことになる。
そうすると、あらゆることをテキパキとこなすまでに成長し、実生活や社会人となってからも案外、その経験が生かされているようである。
その女子高生達がお寺の仕事をする際の「心構え」として、学んでもらいたいことは、要約すると次の三点であった。
いうなれば「お寺のバイト三ヶ条」である。
一つ目は、「人は見ていなくても、仏様は見ていてござる。」
二つ目は、「仕事をする時は、自分は何をしているか、何をするべきかを常に考えよ。」
三つ目は、「人と同じことをしても、同じようにするな。」ということである。
つまり、お寺の仕事は、見えない仏様へ真心(まごころ)を尽くし、最善を尽くすということにある。
人から見られるから仕事をするのではない。第三者から注意されて仕事をするのではなく、自分で自分の仕事を注視し、見られてないからこそ、いい加減な仕事をせずに、キチンとやりとげる。という心を育てさせることにあった。
そのことは、仏様がちゃんと見てくれているのだという自覚に他ならない。
そしてまた、仕事は常に「自分で考えよ」なのだ。
ということは、自分の行動を、自分の与えられた仕事という行動に対して思考を停止させないことである。
そうすると、単純的な仕事を単純化することなく、より効率的に、また如何に機能的にするかを学び、そのことから「機に臨み、変に応ずる」姿勢が備わり、かつ自分の仕事を楽しめるようにとのことからであった。
そして、最後の三点目は、皆なと同じ仕事をするにしても、無目的に、他の人と同じようにしてはいけないということである。
つまり、仕事は「自分の仕事」であるという自覚と創造性なのである。
自己の仕事を思考停止せず考えて行動しているならば、同じことをしていても「同じではない」のである。
—若き頃—
こんなことがあった。
学生時代、八戸へ帰省した時のことである。
今のような本堂ではなく、立て替え以前の破れ本堂だった。
そこに、今は亡き父親和尚がホーキを持ち掃除をしていた。
私は、それを見て、お愛想をふりまきながら近づくと、こう言った。
「方丈様、私が代わって掃除をします。」
「どうぞ、ホーキを私に、よこして下さい」
私は、てっきり「そうかそうか」
「代わって、やってくれるか」とお誉めをいただくと思っていたが、あに計らんや!!
「何をするのじゃ!!」
「お前は、オレの仕事を取るのかぁー。」
「私の修業を邪魔するではない」と怒号の一喝が落ちた。
そして、続いてこう言った。
「今、ここで自分が何をすべきか考えよ!!」
「人の修行を取っかえして修行したとしてもそれは、自分の修行にはならぬ!!」
「同じことをしようとしても、同じことをするのではない。」
もう、こちとらは飛び上がったのなんのって……。
—しかし—
ここで、私だって、
「あぁーそうですか」なんて開き直る訳にもいかず、ましてや尻尾(しっぽ)を巻いて退散することなんて出来ず「今、何をするべきか」を考えざるを得なかった。
私は、もう一本のホーキとチリ取りを納屋から持ってきて、廊下を掃除し始めた。
そして父親和尚が本堂のゴミを一ヶ所にまとめた頃合を見計らって、私はチリ取りをサァーッと差し出すと、無言のまま、それに入れた。
そのあとのことである。その父親和尚は、私の途中で残していた廊下を掃き始めたのであった。
これには、私は、慌てた。
「そこは、私が……」
と言おうと口に出かかったが、言うことは出来なかった。
父親は弟子に無言の説法をしていたのである。
「修行の何たるかを」
中国で禅を学んだ「道元禅師」は若き修行時代、その中国での重い鉄槌を受けた故事(こじ)を残されている。
天童山という修行道場で炎天下の中、椎茸(しいたけ)干しをしていた老和尚様に対して、道元様はこう言われたという。
「こんな暑い日に、あなたのような老僧がせずとも、誰か別な若い修行僧にさせればいいのではありませんか」と気遣った。
すると、その老僧は「他は、これ吾にあらず」と喝破したのだ。
「人の仕事は、私の仕事ではない。」
「人の修行は、私の修行にはならないのだ。」と…。
まさに父親和尚は道元禅師の教えを私に教えていたのであった。
私は父親のような禅僧中の禅僧ではない。俗物中の俗なる僧であり、教えるべき何物もない。
しかしながら、せっかく、お寺にお盆のバイトに来ている女子高生達に、お寺ならではの、何かを学んでもらいたいことは確かなことである。
きっと、私達には見えない仏様方は、一生懸命働いてくれる孫のような女子高生達を温かく見守っていてくれているに違いない。 |
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合掌 |
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