曹洞宗 魚籃山 常現寺 青森県八戸市
 『月刊ふぁみりぃ』 2013年12月21日(土)
  あまちゃんの「地元に帰ろう」から学んだこと  パートⅡ
  
和尚さんのさわやか説法249
曹洞宗布教師 常現寺住職 高山元延
 今年も残すところ、あと十日・・・。
 私は、いまだに「あまロス」の状態である(T_T)
 少しは薄れてきましたけど・・・・・・(笑)
—しかし—
 本年の流行語大賞で「あまちゃん」の「じぇじぇじぇ」が選ばれた時は「そりゃあ!!今でしょ。」と、叫び小踊りするぐらいに嬉しくなった。
 と同時に、あの「あまちゃん」のいろいろな場面や、夏ばっぱ、春子ママ、そしてアキちゃんや海女さん軍団の笑顔や驚きの表情が彷彿としてくるのであった。
 「あまちゃん」のドラマで一番最初に「じぇじぇじぇ」が登場したのは、確か東京にいる春子ママに、大吉駅長がメールした顔文字だったと記憶している。
 つまり、アルファベットの「J」が横並びに三つ重なり(JJJ)と画面に表示され、そこで同時に東京と北三陸が一体となって「じぇじぇじぇ」の世界に入った瞬間だった。
 私は、このシーンを見た時「それは、『じゃじゃ』だべ」と思った。普段は使わないが、幼き頃の記憶の中にあった。
—そこで—
 そのことを、八戸は南部弁の第一人者である柾谷伸夫氏に聞いてみた。
 「それはですね。南部弁では『じぇじぇ』ではなく、『じゃじゃ』と発音し、驚くというよりも、あきれかえった時の表現かな」と教えてくれた。
 例えば、子どもが雨に濡れて帰宅した時なんか、「じゃじゃ、こったに、すっぱね上げでぇー」とかの母の嘆きだったそうである。
 ついでに、私は当の岩手県は久慈、田野畑そして小袖海岸付近に檀家さんを持つお寺の住職さん方に聞いてみた。
 すると、一様に「じぇじぇは使わないな」「じゃじゃだけど、これも、今はあんまり使われてないよ」との回答であった。
—てなことで—
 もしかすれば、岩手の「あまちゃん」の舞台地である小袖地方も「じゃじゃ」だったかもしれないが、脚本家の宮藤官九郎氏には「じぇじぇ」と聞こえたかもしれないし、あるいは、これを「じぇじぇじぇ」「JJJ」とデフォルメしたかもしれない。
 たぶん、彼のひらめき的に光を放つ、この地方の特殊な方言として、脳裡に突きささったのではないだろうか。
 以上のことは、あくまでも私の推測であって、その真実は脚本した「宮藤官九郎」氏が知っていることである。
—ともあれ—
 「じぇじぇじぇ」は「あまちゃん」ブームの中で全国に拡がっていき、地方を題材にした方言が、中央の言葉となり、アキちゃんの訛りが、ドラマでの北三陸の方言として全国の人々から愛されるようになった。
 これは、まさに地方と中央の一体感であり、共有化でもあり、地方発信の「魅力」を宮藤官九郎氏は「あまちゃん」を通して語りたかったのではないだろうか。
 このことは、今、「ご当地キャラ」という「ゆるキャラ」が全国的に各地方において生まれ、脚光を浴びていることや、八戸の「せんべい汁研究所」が火点け役となって展開されている「B1グランプリ」にしてもそうだ。
 ひところは、中央の「食」を地方が求めていたが、今は、地方の「食」が中央に進出し、そしてそれがまた全国の地方に伝播している。
 TVの「秘密のケンミンSHOW」や「ナニコレ珍百景」の番組なんかも各地方の食材や題材をバラエティーとして全国の人々を楽しませている。
—今—
 地方はおもしろい。地方は楽しい。地方はおもしろいものがある。地方には楽しいものがいっぱいある。
 そして地方の風土や人情や思いがたくさんある。帰りたくなる地元がそこにはあった。
—それが—
 「あまちゃん」のドラマであり、劇中歌であった「地元に帰ろう」(注1)ではなかったろうかと、私は思った。
 先月号の「さわやか説法」で、作曲した大友良英氏の「地元」についての彼の思いを述べたが、それは・・・。
 「出身地のことではない、それは、その地に親しみ、帰りたくなる所、帰りたい所、それが『地元』なんです」とのコンサートでの語りであった。
 ここで、この「地元に帰ろう」という意味を、今月号では、私なりに仏教的視点から述べてみたい。いささか暴論的説法になりそうで、すみません、お許し下さい。

 仏教に「帰依」という教えがある。
 これは、「仏を依り所とし信じること」の意味で、仏教を信仰する上での重要なキーワードである。
 仏の道を歩む上での初心であり、保ち続ける信心であるのだ。

 この「帰依」について、こんな思い出がある。千葉県のある寺院の説法会場でのことだった。
 お説教が終わったら、聴講をしていたその寺の檀家さんが、突然手を上げて、
 「質問があります」と叫んだ。
私はビクッとした。
 「先程、布教師さんは講演の始めに『帰依』について話されましたが、この『帰依』って一体、何ですか?」
 私は、「なんでェー最初の話を聞いてないのかよ!!」と思ったが、「それはですね、仏を信じ、仏の教えを信じてという仏法僧の三宝を信じる心とその行いのことですよ。」と再度言うと、「その内容は分かってますが、私の聞きたいのは、『帰依』という言葉そのものの意味です」
 私は、「うっ」と唸ってしまった。
 それは、素朴な質問ほど答えに窮するものだからだった。
 その時、私は、どうやってこの意味を説けばいいのか、どうすればと頭の中が白紙状態になった。
—その時だった—
 私は咄嗟に黒板に「帰依」と大きく書いた。そして「帰」と「依」の間に、漢文で表記する時に用いる「レ点」、つまり返り点を打って、「これは下から読んで、依り所に帰る。ということです」と言った。
 「この依とは、依り所のことで、自分の依って安らぐ所ということです。例えば、仏であったり、あるいは皆様の家庭かもしれません」
 「皆様にとって、ホッとするところ、帰りたくなる所のことです」
 このように説明すると、その檀家さんは、「なるほど。安らぐ所に帰るということですね、それが帰依であり、信心ということなんですよね」と笑顔を見せてくれた。

 まさに「地元に帰ろう」とはそのことなのだ。
 安らぐ所、それが自分にとっての「地元」なのだ。大友良英氏が言うように出身地のことではない。
 自分が信じれる所、愛せる所、安心する所、自分が「地(ぢ)」となり、「元(もと)」になれる依りどころ。それが地元とも言えるのではなかろうか。

 お釈迦様が説かれた「法句経」の中にこういう教えがある。
 
 これぞ
 安穏(やすらぎ)の依りどころ
 これぞ
 無上の依り(より)どころなり
 ここに
 帰依するものこそ
 すべてのくるしみを
 のがるべし


 きっと、「地元」は、私達の苦しみや悲しみを癒してくれる所である。 
 だから帰りたくなるのだ。皆なに「帰ろう」と言いたくなるのではないだろうか。
 今回は「あまちゃん」の劇中歌をムリやり仏教的展開にしてしまいました。
 お許し下さいませ。
 読者の皆様に取りまして、この地元「八戸」において、来年が安らぎのある新年でありますことを心より祈念しております。
  合掌  
 参考文献
注1/詞 宮藤官九郎
    曲 Sachiko M、大友良英
    あまちゃん歌のアルバムより
参考/NHKドラマ・ガイド あまちゃんPart2
    ミュージックマガジン 2013年9月号 特集 音楽から見た「あまちゃん」
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