『月刊ふぁみりぃ』 2014年5月17日(土)
「てるてる法話集」ってどんな本?
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和尚さんのさわやか説法253
曹洞宗布教師 常現寺住職 高山元延 |
「てるてる法話集ってベストセラーになっているみたいですが、一体、どんな本なんですかぁ?」
こんな問い合せがあり、私は思わず嬉しくなってしまった。
—そうなのである—
この本は、3月のお彼岸に発売されるや、4月中にはベストワンに突如として躍り出ては、青森は成田本店、弘前は紀国屋書店、八戸はカネイリ番町店と木村書店に並べられ、各店の売り上げナンバーワンを数週間独占した。
—しかし—
5月に入ったならば、そのランキングに姿はなく圏外となってしまった。
実は、このことは、売れなくなったからではなく、全て売り切れ在庫がなくなったからに他ならない。店頭に並べたくても、完売してしまい、出版元には一冊も残っていないという。
—今や—
この本は、求めたくても求められない、読みたくても読むことが出来ない「幻の本」となってしまった。
私自身、執筆者の一人でもあり、百冊程、出版元から送付されてきたが、今、私の手元には二冊しかない。
—では—
この「てるてる法話集」とは一体どんな本なのであろうか。
ことの発端はこうである。現代社会におけるケータイ電話や、スマートフォンの普及により、誰でも、どこでも、いつでも電話番号をプッシュすると、即座に相手につながり、情報を聞く事が出来る。だからこそ、こういう時代であるからこそ、私たち「和尚さんのお話」。つまり「説法」を電話を通して「語り掛けてみたら面白いのではないか。」との発想であった。
実は、この企画は、全国的には事例があるが、当青森県においては、初めての試みであった。
青森県には曹洞宗寺院は全部で175ヶ寺あり、それぞれの地域寺院には住職さん、副住職さん約250名がおられる。
その中に「曹洞宗青森県布教師会」なる組織があって、布教師資格を有する住職、副住職64名から構成されている。
この和尚さん方による十日毎に一年間36名で電話による説法をしてみてはどうか、ということになった。
つまり県内、各地域の和尚さん方が、それぞれの思いを、仏教の話を、見えない電話の向こうの一般の人々に語り掛けるのである。
電話の向こうは、子どもなのか、青少年なのか、大人なのか、はたまた高齢者なのか分からない。
だから、誰にでも分かりやすく、簡潔に、しかも丁寧に「仏の教え」を説かなければならないのである。
ということで、時間設定は、紹介を含めて3分以内で実際の録音は、2分30秒。文字数にすると750文字、原稿用紙2枚以内という限定されたものであった。
つまり、私の「さわやか説法」みたいに長い文脈だとNGなのである。
(※すみません(T_T) 私の文章は、いつもダラダラ長くて)
一年間、それぞれの時期に、その和尚さん方36人が割り当てられると、事前に、それぞれの題名を提出し、各自が、自分の演題に添って原稿を執筆するのであった。
—そして—
今度は、その原稿を何度も読み返しては最後に「テープレコーダー」に録音をし、それを青森市にある「曹洞宗青森県宗務所」という曹洞宗の青森県統括機関に送付し、そこの「キー局」からNTTを通じて「電話説法」として発信するのであった。
—さて—
この「電話説法」を開始するにあたり、そのネーミングをどうするか、万民に親しまれ覚えやすく、しかも仏教的な意味合いも含めて・・・というような無理難題で、編集会議ではケンケンガクガクの論議が巻き起こった。
その上、電話番号そのものにも、語呂合わせをどのように表現するかも考えよ!!というのである。
—結果は—
その名も「てるてる法話」となった。
これは、電話のことを英語ではtelephone(テレフォン)であり、略してTEL(テル)と書くことから、それを重ねて「テルテル」としてはどうかということになった。
そして、その意味は電話を掛けて聞いてくれる皆さんの心が、聞いたあと、明るく照り輝き、更には御仏(みほとけ)様からリスナーの皆さんが照らされるようにとの願いを込めて、となった。
次に電話番号の017−774−6655も、仏教的に、017(ゼロイチナナ)を「オーいいな」、774(ナナナナヨン)を「南無のおはなし」とし、6655(ロクロクゴーゴー)を「こころ こころ いつもいつも」としたのである。
以上が決定した時、期せずして全員が「おー、いいなぁ〜」と声が上がった。
まさに、十日毎に、「南無のお話」が聞けることになり、聞くことによって皆様の心が明るく照り輝くのである。
「てるてる法話」はそのような内容で、平成24年元旦からスタートし、県内はもとより全国からもかかってくるようになった。
どうぞ、この「さわやか説法」をお読み下さった方々も、掛けて聞いてみてはいかがでしょうか。
「おらが村の」「おらが町の」「おらが菩提寺の」和尚さん方の「生声」の法話が聞けますよ。
説法というと、和尚さん方が、仏教の難しい言葉を話し、高所から言って聞かせるとか、こうあるべきである、というようないわゆる「お説教」のイメージではあるが、この「てるてる法話」は、逆に、皆さんから教えられたことや、気づかされたこと、あるいは和尚さん自身の体験や修行中の苦い思い出等々から導き出された「仏の道」の教えであり、「人生」の教えのお話であるのだ。
—例えば—
東日本大震災での被災地を訪れ救援活動をする和尚さんは、被災者の方々へは「頑張って下さい」ではなく、「頑張りましょう」の一言や「がんばらなくてもいいですよ」との一言が大切である。との体験談や
—あるいは—
あるお婆ちゃんが三才になる孫娘が仏壇の前で、自分の拝むお経を真似して、亡くなったお祖父ちゃんの写真に向かって「ハッピーバァースティツーユー ハッピーバァースティツーユー」と歌って、どうしたらいいのかという訴えに、その和尚さんは、「とても素敵な御経ですね」と感心し、亡き人を祈る心の純粋なあり方を子どもから気づかされた学びを、今度は法話として私達に語り掛けるのである。
—また—
ある和尚さんの入院体験で、同室のお祖父さんが家族のお見舞いからその優しさを通して「ほとけ様」の慈悲の心の本質を説いたり、
—更には—
「人間は一人では生きられない、今を生きる『あなた』は一人でないのです」との励ましや「縁」の尊さを語ったりもする。
そのような「ちょっと気になる。チョットいいお話」が、電話の向こうから聞くことができるのであった。
その和尚さんによる法話を聞くだけではなく、目でも読むことが出来たらというニーズに応えたのが、今春発刊された「てるてる法話集」という本なのである。
私自身、あらためて読み返して気づかされたことがあった。
ここには、和尚さんの話だからといって、葬式や法事のことが語られてはいない。
全編に通じているのは「生命(いのち)」のテーマのもとに、「生きる」ということ、「こころ」「幸せ」のあり方を明るく説いていることであった。
どうぞ 皆様、第一集は売り切れてしまいました。今冬は平成25年一年間分を編集した「第二集」を発刊する予定です。
どうぞ、お待ち下さいませ。待っている間は、電話を掛けて聞いてみてくれませんか。
017−774の6655です。 |
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合掌 |
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