『月刊ふぁみりぃ』 2015年4月18日(土)
=鯉する奮闘記= 忘れられない鯉の味
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和尚さんのさわやか説法261
曹洞宗布教師 常現寺住職 高山元延 |
今月号の「さわやか説法」は鯉する奮闘記である。
「恋する」ではない。
それは忘れられない恋の味でもなく、「鯉の味」だ。実は今回のテーマはTVのグルメ番組で鯉の活け造りが放映された時、突如として若き時代のある光景が甦ったことによる。
「たったっ高山くん!!黙って頭を下げろ!!」
「でも、オレ・・・」
躊躇している私に、隣りの腕っ節の強い男の右手が私の後頭部を押さえると、その勢いで畳に一緒に突っ伏した。
「すみません!!お許し下さい」
「なんだぁ〜!!この小僧は!!」
「あやまって 済むことかぁ〜(怒)」
「ごめんなさいね!!まぁまぁ お客さん、そんなに怒らないで下さいな」
今度は、私の右隣りにいた女性が、身振り手振りで笑みを含ませて客の怒りを鎮めようとする。
—ところが—
酔った客の怒号は収まらない。私は、こみ上げる悔しさを押し殺しながら、ただただ額を畳に擦り付けていた。
—そう—
この状景は、私が学生時代、東京は世田谷区駒沢にある「枝川(えだがわ)」という料理屋の宴席での出来事だった。
私の左側の腕っ節の強い男性とは、その料理屋の「板前さん」であり、右側の女性は、店を切り盛りする「女将さん」だった。
私は、その料理屋に丁稚的な学生アルバイトをしていた。
昭和40年代、駒沢大学の仏教学部に在籍はしていたが、ともかく貧乏学生で、いつも腹を減らしては下宿の天井をながめ、「ハラ減ったなぁ〜」が口癖であった。
—てなことで—
学校からの帰り、下宿の近くの「枝川」なる料理屋で「求む!! 学生アルバイト!! 食事付き!!」の張り紙を見た瞬間、私の思考は停止し、足も停止し、その暖簾をくぐっていた。
私の仕事は、皿洗いから雑用係の板場修行であり、特に出前専門であった。
そこのアルバイトは私にとっては快適であった。ともかく御飯は腹いっぱい食べさせてくれるし、しかも大学の授業は自由に行かせてくれる。その上、わずかではあるが給料ももらえる。
私は徐々に学校へ行かなくなり、店にいる時間が長くなっていた。
仏教を学びに駒大に入ったのはいいが、いつの間にか、それはそっちのけで板場修行を学び、接客修行を学んでいた。仏教学どころか、一般社会学に励んでいたのだ。
—ある時—
「今日の2階の宴席は鯉の活造りが御所望だ」
「高山くん!!すぐに準備をするように!!」
久し振りの上客に板前さんの声が甲高く板場に響いた。
私は活造りを載せる「舟」を取り出すと、お湯を沸かし、角氷入れた冷水を大きめのボールに準備した。
そして、タモ網を持つと裏庭の池に向かった。
実は、これが最大の準備だった。
池に飼ってある食用の鯉を生捕りするのだ。
これが、なんたって悪戦苦闘することになる。鯉だって、学生アルバイトの丁稚小僧に捕まっちゃいられないと逃げまわる。追っ掛け掬い上げようとするとバシャンバシャンと私のタモ網を撥ね除ける。
池の見えるテーブルに座った客が笑い転げていた。
「何をモタモタしてるのだぁー」との板前さんの気合に促されて、やっとのこさ、ズブ濡れながら捕獲し、タモ網の中で暴れまくっている鯉を差し出した。
板前さんは待ちかねたかのように、鯉を両手で掬うと、まな板に乗せ、左手で眼をふさぎ、右手で頭から尾びれの方にスーと撫でる。すると、あれだけ暴れまくっていた鯉がピクンとも動かないのだ。
まさに「まな板の鯉」だった。
—さあ—
ここからが、板前さんも丁稚の私も勝負だ。
板前さんは、鯉の内臓、頭を傷つけることなく、身の部分だけを見事な包丁さばきで切り開き、それを刺し身状態にタッタと手際よく仕上げる。
その時の私は、一方に熱いお湯の入ったボール、もう一方に冷水だ。このお湯の温度は手を入れて「一、二、三」で「熱い」と手を上げたくなるような熱さなのだ。
熱湯だと鯉の身が煮えてしまう。かといって温度が低いと生で川魚の雑菌が死滅しない。この温度調整が実に難しいのである。
板前さんは、そのお湯の中に刺し身状に切った鯉の身をくぐらすと間髪を入れず、もう一方の冷水でササッと洗うと、シャキンとした「洗い」ができる。
それを、身をそがれて口をパクパク動かしている鯉の体の部分に、また美しく、きれいに、盛り付ける。
これが「鯉の活造り」だ。
宴席の客に、それを板前さんが、うやうやしく持っていくと、皆なは喜んで歓声を上げ拍手した。
宴もたけなわ、私は追加注文のお酒とビールを持って2階のフスマを開けたとたん、酔った客らが、口をパクパクさせている鯉に、なんと盃を当て、酒を飲ませている光景が私の目に飛び込んできた。
回りの連中は、それを見ながら囃し立てている。
—その時だった—
私は叫んだ。
「やめろよ!!」
「何てことをするんだ」
「鯉が可哀想じゃないか」
そしたらである。その場が急に静まり返ると、その盃を手にしていた客が「何を!!(`へ´)」「お前、アルバイトの分際で、客に文句をつけるのかぁー」と怒号が走った。
私は負けじと「客であろうが、やっていいことと悪いことがある」とやり返したものだから大変な展開となってしまった。
—いやはや—
ゲンちゃんの若気の至りには困ったもんだ…・。
その後の顛末は、冒頭の如くであった。
女将さんと板前さんが何とか取りなしてくれ、宴席は散会となった。
—しかし—
板前さんも女将さんも、私を決して叱らなかった。
「ちゃんと2階の後片付けをしろよ!!」としか言わなかった。
私はわだかまりのある思いを殺して無言で食器を片付け始めた。
ほどなく、宴席の掃除を終えて2階から降りて来るといい匂いする。
暖簾を中に仕舞い、誰もいなくなった1階の客席テーブルの上に鍋が乗っていた。
板前さんが「開けてみろ」というのでフタを取った。
ビックリした。
なんと、あの鯉の頭があったのだ。
「これは、さっき高山くんが可哀想だと言ってくれた鯉だよ」
「さぁー今日は、これを食べて鯉を成仏させてやらなくちゃな」
と笑ってビールを差し出した。
「いや、オレ…は…」
「さあー飲め!!」
冷たいビールが、つっかえていた喉元の思いと共に腹の中に落ちた。
その瞬間、はからずも涙もボタボタと胸の上に落ちた。
「オレ、女将さんや板前さんに迷惑かけて、店にも迷惑かけて…」
あとは声にならなかった。
「いいんだよ、高山くん、あれで…」
「食べられてしまう鯉だけど、アンタはちゃんとエサをやり、可愛がってたもんな」
「客が、無理やり鯉に酒を飲ませてるのを、黙っていられなかったんだもんな」
「それでいいそれでいい」
と、板前さんも、やおらビールをグイッとやった。
「料理はな、生きてる物を、生かしてお客さんに出すんだ」
「それを、お客さんは美味しいって満足して食べてくれる。」
「それが料理を作る料理人も、食べてくれるお客も、そして食べられる食材も、例えば鯉でも、生かし生かされることなんだな」
「だから、食べるものを、もて遊んだり粗末にしてはいけないんだ」
「さあー!!食べよぉ!!ちゃんと食べて上げないと、鯉が可哀想だぞ」
板前さんのこの「鯉のあら汁」は、私には忘れられない味となって、今でも口の奥に残っている。
私は、この丁稚修行、社会学を通して、学問ではない生きた仏教学、仏教修行を学んでいたのではなかろうか。 |
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合掌 |
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