『月刊ふぁみりぃ』 2018年12月15日
和尚の「焼魚とカツ丼」物語 |
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和尚さんのさわやか説法296
曹洞宗布教師 常現寺住職 高山元延 |
先月号で私の奥様をダシにしての「魚女房出汁(だし)物語」の「さわやか説法」に対して、多くの方々から感想やらお声をいただいた。
「奥様の作る味噌汁はそんなに美味しいの?」
「今度、よせ豆腐を食べに行きたいなぁー」
「ウケましたねェー」
「面白かった!!」と・・・。
—ところが—
皆さんが面白ければ面白いほど、奥様は面白くないのである。
まっこと。ご機嫌が悪い。「さかな女房」ではなく「逆なで女房」となった。
奥様の逆鱗に触れてしまったのだ。
魚の鱗ではなく、竜の鱗を逆なでしたのである。
トッホッホ(涙)
—てなことで—
今月号はお詫びに私自身の「魚」の思い出をダシにして物語しよう。
それも、「魚」ばかりか「カツ丼」までダシにしてだ。
今年、八戸漁港ではイワシが大漁であるという。
その報道を見て、私は自分の子供時代のことを思い出していた。
小学校低学年の頃である。毎日の食卓は八戸前沖の収穫し立てのイワシかイカであった。
どちらも、いろいろな料理法があり、バラエティーに富み、どれもが美味しいことは美味しい。
あの頃、私の寺では父母に子供3人。それに住み込みの和尚さんやら、お手伝いのおばさんに下宿している親類の高校生と大家族であった。
それと、現代のように鰯を素材とした創作料理とか、アレンジした料理なんていうものは一切、食卓には上がらない。
生か焼くか煮るかであって、実に簡単レシピなのだ。
私自身、よく七輪で鰯を焼かされたものである。
その時、団扇をバタバタさせながら、小さな溜息がもれるのだ。
「嗚呼 今日もイワシかぁ〜。(涙)」
かと言って、何かが食べたいなんての気持ちが起きないのである。
あの当時は外食なんていうものは、よっぽどのことがないと出掛けることはない。
もちろん当時の小中野町は活況を呈して、お寿司屋さんから料亭や小料理屋に食堂とあったが、そこは大人が行くところであって子供は連れていってもらえなかった。
(そのように教えられていたのです・・・)
だから、どんな食べ物が食べたいとか、こんな料理を食べてみたいなんて思うことが頭に浮かばないのである。
でも、たった一つ食べてみたい料理があった。
あこがれの食べ物。それは「カツ丼」だったのだ。
—そんな時だった—
お寺に下宿していた、いとこの「富士人(ふじと)さん」が大学生となり、夏休みに帰省した時のことである。
富士人さんは、東京の駒澤大学に進学し、子供の眼から見れば、背が高く、りりしい青年であり、まさに、かっこいい兄貴だった。
その富士人さんが私達3人の子供達に、こう言った。
「今日は、お前達を食堂に連れて行ってやる」
「えっえぇー!!」
思いもかけない言葉に3人は声をそろえて驚き、富士人さんの回りを跳ね回った。
向かった先は、小中野は浦町にある「赤のれん」という食堂だった。
今は、海野理容店となっているが、昔は食堂であった。
テーブルに着くと富士人さんは、
「お前ら 何を食べてもいいぞ!!」
「好きなものを頼んでいいよ!!」
私達3人はお互いに顔を見合せ、同時に叫んだ。
「カツ丼!!」ってね。
でも、私は、心配になって恐る恐る聞いた。
「本当に カツ丼食べてもいいの?」
何たって、当時の食堂での最高峰に位置し、値段の高い双璧(そうへき)を成してたのは、「カツ丼」に「天丼」だったからだ。
でも、富士人さんはニッコリ笑って
「いいよ!!じゃぁ、カツ丼だな!!」
そこで私は聞いた。
「富士人さんは、何にするの?」
「カツ丼かい?」
「う〜ん。そうだな。何にするかな?」
ちょっと迷いながら張り紙に目をやると、
「じゃぁ!!今日の定食だな?」
「えっ?」
「定食・・・?」
定食の意味が分からなかった。
富士人さんは海野さんのお母さんに注文した。
「カツ丼3つに、それと今日の定食!!」
私達子供らは、もう嬉しくて嬉しくて
「カツ丼。カツ丼!」
「カツ丼。カツ丼!」
ハシを叩いて、大騒ぎだ。何たって、こちとらは、「門前の小僧、習わぬ経を読む」と同じで、御経の読み方は知らずとも、木魚の叩き方ぐらいは毎日、聞いている。知らず知らずにリズムの取り方なんぞは覚えているのだ。
「カツ丼!。カツ丼!」と叫んでは、ハシを木魚よろしく叩いて「カツ丼御経」を唱えていた。
—そこに—
お母さんがカツ丼と「今日の定食」とやらを私達のテーブルに運んできた。
私は、富士人さんの目の前に置かれた、その「今日の定食」を見て驚いた。
—何と—
それはイワシの焼き魚だったのだ。
「富士人さん!!何で、こったらの頼んだの?」
「オラんど、毎日、イワシ食べでるんで・・・」
そしたら、富士人さんは、こう言った。
「いやあー。八戸に帰って来たら、これが一番食べたかったんだよ」
「イワシが俺の御馳走なんだよ」
私は不思議でならなかった。
「えー?イワシが御馳走?」
「カツ丼が御馳走なのに・・・。」
そのカツ丼の美味かったの、何のって。
私達は子猫がミルク皿に顔を埋めるかのように、その「カツ丼」の底まで、むしゃぶり食らいついた。
あれから60年・・・。
私の口と心の奥底には、あの時のカツ丼の美味さと、その情景が今でも味わい深く残っている。
お釈迦様の説かれた『法句経』(205)には
「ひとりいの味わいと
こころ静める
味わいを嘗(な)め
法のよろこびを飲み
味わいたるものに
恐怖(おそれ)もなく
また罪(つみ)もなからん」との一節がある。
まさに、あの時は、この一節を捩(もじ)るならば
「こころ静め、カツ丼の味を嘗(な)め カツ丼のよろこびを味わえたるものに 恐怖(おそれ)もなく また罪もなからん」
であった。
—純真無垢な少年だったなぁ・・・。(笑)—
(注① 本来の意味するところは、こういう解釈ではありません。
お釈迦様!!すみません。お許しの程を・・・)
(注② この意味は一人、修行する者の心の有り様を味わいに例えたものです)
—ひるがえって—
あの時の富士人さんが「イワシの焼き魚が御馳走だ」と言ったことは私が本山修行を終えて八戸に帰った時に得心することになる。
本山修行中は毎日がお粥と漬け物であり、「腹いっぱい飯が食いたかった!!」
八戸駅に到着するや、駅前の食堂に駆け込んだ。
—なんと—
注文したのは「鯖の焼き魚定食」だった。(※イワシではなかったです。)
魚が食べたくて、食べたくて、それも脂の乗った鯖焼きなのだ。その焼魚の旨いの何のって!!「カツ丼」より「魚」が最高の御馳走に変っていた。
嗚呼、やっぱり私は八戸の小中野っ子だった。
小猫から大猫に変じて私は焼魚に食らいついていた。
故郷、みなと八戸の「魚」はやはり最高に美味しいなぁ・・・。
皆様!!本年大晦日には、どんな御馳走をいただきますか?
幼い頃の忘れられない一品が、一番の御馳走かもしれませんね。
どうぞ、その一品を思い出しながら、良きお年をお迎え下さいませ・・・・・・。 |
合掌 |
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