曹洞宗 魚籃山 常現寺 青森県八戸市
 『月刊ふぁみりぃ』 2020年01月01日
 新春特集号 =子年(ねずみどし)に因み= 昔話「ねずみお経」
和尚さんのさわやか説法305
曹洞宗布教師 常現寺住職 高山元延
新年 明けましておめでとうございます。
 令和2年の本年、子年(ねずみどし)が、皆様にとりまして良き年であり、日本も、
そして世界が 平和で繁栄の年であることを願ってやみません。
 今月号の「さわやか説法」は新春号に因み今年の干支である「子年」(ねずみ年)を、
チュー、チ ュー、中心に物語を展開します。
—てなことで—
 昨年12月号の続き「アニサキス ストーリー」のパートⅡは、来月号で・・・。
(誰も、正月からアニサキス寄生虫の話なんて読みたくもありませんよね・・・(><))
(やっぱり、年の初めは縁起の良い話からじゃないと・・・・・・(^^))

 子年は十二支、つまり「子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥」の最初の年であり、
このことから新しい運気サイクルの始まりとされ、上昇運の年であるという。
 それとともに、古代中国の『漢書』にては、「子」は「繁殖する」「生む」という意味をもつ象形
文字である「孳(じ)」が語源とのことだ。
 この漢字は、植物に例えると「新しい生命が種子の中に、きざし始める状態」を表わしているという。
—なるほど—
 それで繁殖する、繁栄のきざしと云うわけだ。
 それ故に株式相場においては干支を用いてこう表す。
「辰巳(たつみ)天井、午(うま)尻下がり、
 未(ひつじ)辛抱、申酉(さるとり)騒ぐ、戌(いぬ)笑い、
 亥(いのしし)固まる、子(ねずみ)は繁栄、丑(うし)つまづき、
 寅(とら)千里を走り、卯(うさぎ)跳ねる」
 ここには、先程の「新しい生命のきざし」や「ねずみ」は子をたくさん産むことから、子孫繁栄は
勿論のこと、いろいろな産業に新しいきざしを生むこともあって、「子年は繁栄」の年であり、
「運気上昇の年」であるというのだ。

 皆さん!!今年は明るい年になりそうですよ!!
 夏には、東京を中心に四年に一度のスポーツの祭典「東京オリンピック パラリンピック」が開催される。
 まさに、本年は「オリンピックイヤー」であり、否が応でも日本国中が盛り上がることは間違いない。
 世界の国からも、その観戦の為に日本を訪れるし、その波及効果は測り知れない。
 また迎え入れる私達国民一人一人も「お・も・て・な・し」の心で世界の人々と心と心の交流が
盛んとなり、更には、その「おもてなし」が様々な経済効果も生み出すことにもなろう。
 このオリンピック効果は東京ばかりではない。
きっと日本全体のものとして、地方にも色々な恩恵をもたらすことになることは確かなことだ。

—またー
 ねずみは「寝(ね)ず身(み)」とも表現されることから、この年の生まれの人は、
真面目にコツコツと寝ないで身を削るように働く性格だともいう。
 また、「チュー、チュー」鳴くことからも「注意(ちゅうい)深(ぶか)く」「勘も鋭く」周りを
見通すこともでき、更には、どんな所でも住み、子沢山でもあることから非常に「適応力」や
「順応力(りょく)」があり、コミュニケーション力があるというのだ。

—このことからも—
 本年の「子年」は運気上昇、景気上昇、適応上昇、
コミュニケーション上昇の「きざしの年」となりそうだ。
 それと、多分、今年は「少子化」に歯止めがかかるかもよ。
 子沢山、子孫繁栄の「ねずみ年」ならばこそ、
出生率がアップに転ずることを期待しても良さそうだ。
(この予想は、当たるかなぁー。(><)

—ここで—
 ねずみに因んだ「昔話」を紹介したい。
 題目は、「ねずみお経」だ。
 むが〜し。むがし。ある小さな村に、1人の婆さまがいだずもな。
 この婆さま、先だって爺さまを亡くしたばっかりで、もう寂しくて寂しくて
一日中、仏壇さ向かって拝んでいだずもなす。
 そこさ、ある日1人の旅の坊さんが、やって来たんじゃそうな。
「どうやら、道に迷うてしもうた。今夜一晩泊めてくださらんかの?」
「はい。はい。いいですとも」
「それは助かった。ありがたいことじゃのぉ」
 婆さま、その坊さんを大層おもてなしをしたそうじゃ。
 坊さんに腹一杯、夕ご飯を御馳走すると、婆さま手を合わせてお願いをしたそうじゃ
「なあー。お坊さま!!頼みがあるんじゃが、うちの爺さまに御経を上げてくれんかのぉー」
「えっ!!おっお経・・・」
 実は、この坊さん!!じつにいい加減な坊さんでな。
御経なんぞ暗唱(そらん)じてなんかいない。
(まことに小中野の高山和尚みたいです
 しかし・・・・・・。
そうとも言えず、仕方なく仏壇の前に座った。
「ナムナム・・・」
「チーン」と鐘を打った。
「爺さま爺さま これから、このお坊さまが御経を唱えて下さるそうな。どうぞ成仏してけろ」
「チーン」「ううむ」
「しからば・・・・・・。」
「ナムナム・・・」と唱えたはいいが、次が出てこない。
もじもじナムナムをしていると、ちょうどそこに「ねずみ」が壁の穴から顔を
出しているのが見えたそうな。
—その時だ—
うなるような声が出た。
「南無南無・・・。オン!!チョロチョロ 出て〜こ〜ら薩婆訶(そわか)・・・」
 すると婆さまは有難そうに手をすり合わせたそうな。
 調子に乗った坊さんは続けて
「オン チョロチョロ チューチュー薩婆訶(そわか)・・・」
 いつまでも同じように唱えてられないのでねずみの様子を、そのまま御経にして唱えたそうな。
「オン チョロチョロ穴のぞき薩婆訶」
「オン 何やらチューチューささやき薩婆訶」
「オン チョロチョロ出て行き薩婆訶」
 その朗々たる声は婆さまの心に響いたそうな。
 そしてまた覚えやすい御経でもあった為、婆さまも一緒に唱えたそうな。
 次の日、坊さんが帰ると、婆さまは毎日、あの御経を唱えた。
 爺さまを慕う御経は無心のお唱えだった。
 ある晩、泥棒が婆さまの家に忍び込んだ。
 泥棒が金目のありそうな場所を捜してうろちょろしていると、婆さまの声が聞こえたそうな。
「オン チョロチョロ出てこ〜ら薩婆訶」
泥棒はびっくりして障子の穴からのぞくと、
「オン チョロチョロ穴のぞき薩婆訶〜」
「なんじゃあ〜。あの婆さま、俺のいること知ってるんじゃねぇ〜かぁー」
「オン チューチューささやき薩婆訶〜」
「げぇげぇー。」
「何でもお見通しだあ〜」泥棒は震え上がっていると
「オン チョロチョロ出て行き薩婆訶〜」
泥棒はもう肝をつぶしてスタコラ逃げて行ったそうな。

 どっとはらい・・・・・・。

 私はこの昔話「ねずみお経」を教えられた時、
お釈迦様の説かれた『法句経(ほっくきょう)』の一節を思い出した。

 無益(むやく)の句(く)より成(な)る
 百(ひゃく)の詩偈(うた)を
 口に諳(そらん)ぜんより
 ききて
 心のしずかなるべき
 一法句(いちほっく)を誦(ず)せんこそ
 はるかにもまさる


 私のようないい加減な坊さんが百の御経を唱えるよりも、
あの婆さまのように、それを聞いて心を静かに、
無心にて唱える一つの御経のほうが、はるかにもまさっているということである。

 この昔話に登場する「ねずみ」もスゴイ「ねずみ」である。
 きっと「子年(ねずみどし)」のような「ねずみ」にちがいない。
コツコツ寝ず身の努力家ねずみだ。
 そんな「心しずかなるべき」無心の努力があってこそ
運気上昇にも景気上昇にも、つながるのではないか。
 本年が皆様にとりまして、そのような「はるかにもまさる」上昇運気の良き年であることを願ってやみません。
                                                               合掌
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