和尚さんのさわやか説法350
曹洞宗布教師 常現寺住職 高山元延
今月号も、またまた「銭湯物語」説法だ。
ここ数年来、毎朝、毎夕、あちこちの銭湯巡りをしていると、いろいろな風呂好き人間というか、「風呂好き男」達の生態が見えてきた。
本当は、風呂好きの女性客の生態も見てみたいが、今まで、一度たりとも見たことがない。
「見た!!」となると、事件になることは必須だ。
多分、翌日の新聞、第三面を華々しく飾ることは間違いない。
見出しは、こうだ!!
「和尚!! 女性風呂に乱入!!」とか?
「高山住職!!女性客の生態 見たさに!!」とか?
-もう!!-
とんでもない大事件となり、テレビのワイドショーにも登場しかねない!!
-ですからね-
私は、今まで絶対に見たことはありませんよ!!
-てなことで-
いつも見ている男性客の生態というか、行動についての「銭湯物語」を展開しよう。
朝風呂は、どちらの銭湯も、大体が毎日の常連客が訪れる。
朝の開店時間は、結構混み合うのだ。
とある銭湯は、早朝5時前の4時45分だ。
とある風呂屋さんは、5時、あるいは5時15分だ。
はたまた別の銭湯は、5時半とか6時開店のところもある。
こちとらは、その時間帯に合わせたり、気分次第やら、回数風呂券の有無やらで、あちこちの銭湯となる。
それを毎日繰り返しているある日のことだ。
-どの銭湯においても-
訪れる常連客の行動が一定化していることに気づいた。
何気ない行動パターンが、それぞれのお客さんにとってのセオリーというか、お決まりコースなのだ。
-それは-
脱衣所に入るや始まっている。
服を脱ぎ入れる脱衣籠から、脱いだ衣服を仕舞うロッカーも大体同じ場所である。
そして、風呂場に入ると、オケに風呂イスを取って座る場所も、大体が同じ所に陣取る。
それからの、シャワーの浴び方、湯舟に入る順序から、その湯舟の場所も、不思議と同じなのだ。
この同一行動パターンは、まさに「銭湯ルーティン」とも言えるものではないか!!
私は、そう確信した。
-今から-
15年前の夏だった。
長者山の夏は、早起きした子ども達の歓声や笑い声が杜(もり)の木々に響く時から始まる。
♬「朝日がきらきら のぼるころ お伽の森の子どもらは みんな お目々を さまします……」♬
-そう-
「森のおとぎ会」だ。私も「八戸童話会」のメンバーの一員でもあり、夏休みが始まると同時に、長者山に早朝5時半前には訪れる。
その日は、暑かったぁー。
朝のすがすがしい空気には包まれていたが、やはり汗がにじむ。
終るや、家路を急いだ。その時だった。
「そうだ!!」
「長者山の近くに、朝風呂をやっている銭湯があったよな…」
風呂道具の準備もなかったが、タオル一枚番台で借用しては、ザブーンと湯舟につかった。
なんとも爽快だった。
夏の汗が、夏の暑さが「お湯」の中に吸い取られていく。
-翌日-
今度は、風呂道具を準備して「森のおとぎ会」に向かった。
勿論、帰りは、その銭湯に立ち寄るからだ。1週間、毎日通った。
-そうしたらである-
その朝風呂の主(ぬし)というべきか?
親分と呼ぶべきか?
ある古老が、湯舟に入っている私の前にやってきた。
-開口一番-
「この頃、よく朝風呂に来るようになったな」
「ハァー?」
「感心!!感心」
「では、私の後(あと)に ついて来なさい!!」
またまた私は
「ハァー?」と疑問符を投げ掛けた。
「まぁー。ともかく ついて来なさい!!」
仕方なく 私はその古老の後に従った。
-すると-
-開口二番-
「ここの場所を、今日から あなたの指定席にする!!」と
古老の指先は、洗い場の一画を差していた。
「いやぁー」
「別に 私は、ここでなくても 他の場所でいいです」
「それに、他の誰かが座っていたら、どうするんですか?」と、やんわり断ると、
-なんと-
-開口三番-
「その時は、空くまでじぃっ~と、待っていろ!!」
「ハァー?」
同じ「ハァー」でも疑問符から感嘆符の「ハァー?」になっていた。
「恐るべし!!」
「この古老は、徳川家康か?」と思った。
それは、戦国時代の三英傑、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康の性格を表わした、あの有名な句が思わず、脳裡に浮かんだからだ。
題材は「ほととぎす」だ。
織田信長は、こう詠んだ。
「鳴かぬなら 殺してしまえ ほととぎす」
秀吉は、
「鳴かぬなら 鳴かせてみよう ほととぎす」
そして、家康は、
「鳴かぬなら 鳴くまで待とう ほととぎす」である。
-咄嗟に-
「この古老は、家康かぁ~」と思い、こう心の中で唸った。
「空かぬなら 空くまで待とう 風呂の席」。
私は、古老の指示に従うしかなかった。
トッホッホッホ💧💧💧
-爾来(じらい)-
その洗い場の席は、その銭湯に行く毎に、座わらざるをえなく、私の行動パターンになった。
-では-
この銭湯ではなく、他の銭湯に行くとどうであるかというと、
やはり同じく、その銭湯は銭湯なりの、同じ場所に陣取るようになっていた。
それと同じように、湯舟に入る場所や、入る順序、水風呂で頭に水をかぶる回数まで、いつの間にか、同一パターン化していっているのだ。
-まさに-
「ルーティン」化しているのであった。
では「ルーティン」とは一体、どういう意味なのか。
それは、私達人間の決まった所作 動作 場所を繰り返すことであり、その効果としては
一、平常心を保つ
一、緊張感の緩和
一、集中力の向上
等々のメンタルに好影響をもたらすとのことである。
-そうなんだ-
あの古老の洗い場の指定や、多くの常連客の朝風呂での生態や同一行動は「銭湯ルーティン」そのものだったのだ。
まさに、「銭湯ルーティン」は、単に風呂に入るということだけでなく、メンタル的要素もある、心と身体のリフレッシュ相乗効果があるのだ。
この「ルーティン」視線で 朝風呂光景を見ると、実に「おもしろい生態」が見えてくる。
来月号は、その一端を紹介することとして、今月号は これで…。
「お・し・ま・い・」
「サブーン 」
お湯に入ります!!
合掌
※参照/『森のお伽会の歌』 八戸童話会
吉島栄蔵 作詞
鬼柳 寿 作曲