開 基
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九歳の時、母方の菩提寺で地獄極楽の掛図を見て発心、十三歳で八戸長流寺金龍大和尚について得度し、僧名金英を授けられた。
師の金龍和尚示寂後、仙台の古刹松音寺に上り修行を続けながら漢籍仏書を読み尽くし、駒込の吉祥寺旃檀林(せんだんりん)門下生となる。愚禅和尚より『正法眼蔵(しょうぼうげんぞう)』の提唱を受け、儒学者菊地竹庵に入門し、研鑽にはげんだ。
また、新宿宗参寺曹隆和尚を法幢師として立職し、浅草本然寺住職泰禅師に嗣法して大和尚の位に昇り、牛込の鳳林寺十五世を嗣いだ。時に二十三歳であった。その後、住職の座を退きながらも修行を続け、小田原海蔵寺月潭(げったん)老和尚のもと十二年間、宗乗を学び、更に『正法眼蔵』を参究した。この時、師によって金英から瑾英に改名する。
更に前橋市の竜海院の諸獄奕堂(えきどう)師(後に大本山總持寺独住一世)より印可証明をいただき、伊豆修禅寺梅苗門下に於いては公案中でも最も深遠な『劫下洞然(ごうかとうねん)』を参究会得するなど厳しい修行を続けている。
その後、永平寺西堂、可睡斎住職、大本山總持寺独住三世、曹洞宗管長、明治天皇より勅特賜直心浄国禅師の号をいただく等々数々の要職を務めている。当寺が穆山禅師を開基とし魚籃山常現寺として、開山した年の明治43年12月4日に従容として世寿九十を以って示寂された。
横浜西有寺、八戸光龍寺等々を開山され、北海道中央寺と当寺常現寺二カ寺が禅師の開基となっている。
歴代住職
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当寺開山
上田(霊山)祖堂大和尚
住持 明治43年〜大正5年
寂年 大正9年10月1日
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特請二世
千葉(泰州)量光大和尚
寂年 明治39年3月26日
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三世
長山(一明)恵三大和尚
住持 大正5年〜大正13年
寂年 大正13年8月25日
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四世
上田(東圓)嶺月大和尚
住持 昭和2年〜昭和6年
寂年 昭和6年4月20日
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五世
上田(照山)頼石大和尚
住持 昭和9年〜昭和22年
寂年 平成3年7月30日
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六世
高山(省三)不言大和尚
住持 昭和23年〜昭和61年
寂年 昭和61年3月12日
※開基・歴住の頂相(ちんぞう)<肖像画>は今川和男画伯による