和尚さんのさわやか説法367
曹洞宗布教師 常現寺住職 高山元延

「高山!!」
「お経本を出してみろ!!」
 先輩の声に 圧倒されながらも 風呂敷包みの中から 御経本を取り出して おずおずと見せた。
 その御経本とは 父親和尚が、不肖な息子が曹洞宗の宗立大学、「駒澤大学」仏教学部にやっとこさ入学し「竹友寮(ちくゆうりょう)」という学生寮に入寮するに当って、法衣やお袈裟と共に、持たせたものであった。

-そう-
 時は、昭和43年のことだ。
 この「竹友寮」という寮は、単なる学生寮ではなく、全国から入学した僧侶の卵だけを対象とした寮であった。
 つまり、入学前に「得度式」という「小僧さん」になる儀式を済ませた者だけが入寮できるのである。
 故に、新入生も先輩も、全員が僧侶であり その寮を監督する寮長先生や寮監先生もまた、駒大の教授先生でありながら、かつ 位(くらい)の高い大和尚様だった。

 当時、駒大の入学式は4月6日だった。
 なんと!!私が得度したのは、その前月の3月24日であり、わずか2週間前に誕生したばかりの「僧侶の卵」も「卵」であり まさに生まれたての卵だった。

 駒大竹友寮は、和尚の資格を有した学生だけを対象としているのは、大学で仏教学や禅学を学ぶだけではなく、本山並みの修行道場でもあり、坐禅や読経という僧侶の基本的修行を学び教えられる僧侶養成機関だったからである。
 故に、寮内には、お寺と同じく、「本堂」があり、そして、本格的な「坐禅堂」が完備してあった。
 その「竹友寮」は、堂々たる三階建ての寮舎で、正面玄関を中央に左右に班別構成され、合計6班。総勢150名なる学生僧侶のみで構成される厳格かつ大規模な寮であった。

 起床は、早朝4時。各班点呼のあと、即座に暁天坐禅(ぎょうてんざぜん)に 本堂での朝のお課(つと)め「朝課(ちょうか)」読経だ。
 更には 大学の授業が終って 帰れば帰ったで すぐに夕方のお課(つと)め「晩課(ばんか)」の読経である。

 先輩は言ったー
「高山!」
「般若心経を読んでみろ」
 目の前には その先輩のほかにも3年生の先輩方が車座になって、私を囲んでいた。
「ガンズザイ ボザヅギョウズン ハンニャハラミッダー」
 (観自在菩薩 行深般若波羅密多)
「お前!!御経まで ナマっているな……」
 先輩たちは 一斉に笑い転げた。
「すたんども……」私は顔をかきながら、うつむいた。
「悪かった悪かった。でもな、皆なと御経を読む時は、しっかりと口を開けて読めよ」
「そうすれば、きちんと読めるようになる!!」実は、この教えは75才になった現在でも、忘れてはならない読経における基本中の基本であった。
「はい!!」
「分かりあんすた!!」
「では……」
「今度は この御経のここの所を読んでみろ」
 「晩課で読む!!」
 御経のページをめくられ 見た御経の場所は初めて目にした箇所だった。
 分厚い御経本の中で、私は「般若心経」しか教えられていなかったし、もちろん読めなかった。
 それも そのはずである。わずか2週間前に小僧になったばっかりだ……。

 そこには とんでもない漢字が羅列してあった。
「先輩!!」
「見たこともないような漢字が書かれてあります」
「そうかー」
「でも その漢字の横に カナが振ってあるだろ!!」
「読んでみろ!!」
 私は 大きく息を吸って読もうとした。
「タッタッタッギャタ………」
「タッタッタッタ 」
 先輩達は大笑いした。
「ギャッギャッ ギャタ ギャタ…………」
 何とかして読もうとするが突っ掛かる。
「止めろ止めろ 」
「アッハッハッハッ」
 先輩達は 私が読めないことは 先刻ご承知!!
「先輩!!」
「御経ってのは ムズかすいもんですな…」と返答すると、先輩達は火に油を注いだ如く 益々笑い転げた。

 この先輩達が読んでみろと言った御経は、「甘露門(かんろもん)」という御経だった。
 そこには 古代インドの言葉「サンスクリット語」(梵語)を漢字に音訳されて表記されている。
 だから、初心者小僧和尚には上手に読めるはずもない。

 8月号の「さわやか説法」から始まった「如来・菩薩・明王・天部」とは?シリーズで、まず「如来」である「釈迦如来・阿弥陀如来」そして「薬師如来・毘盧遮那如来」を取り上げ、その意味内容を愚説させていただいた。
 この「如来」は 先述した古代インド、サンスクリット語では、「タターギャタ」と音訳される。
 この言葉が「甘露門」なる御経には 次から次へと出てくる。

 -故に-
 私は 今回の「如来シリーズ」を語るにあたり「禅学大辞典」を何度も開き調べて ハッと気づかされたのが、まさに、「如来」=(イコール)「タターギャタ」だったのだ。

 その時、走馬灯の如く、突如として甦ってきたのは、今から57年前の「駒大竹友寮」での冒頭のシーンだった。
 あの時から 現在に至るまで、御経「甘露門」を何度も唱えていながら、それも諳(そら)んじる程に唱えているはずなのに……。
 ただ読んでいるだけのことで、まるっきり その意味内容は分かっていなかったばかりか学びもしなかった。
 本当に アホな和尚である……。
 75の今になって やっと気づくとは……。
 トッホッホッホ💧💧💧

 「甘露門」とは、甘露の法門の略称で、甘露とは、仏教以前の古代インドから伝えられる「不死の霊薬」で、まさに甘~い「古代酒」とのことだという。やがてそれが転じて「不死涅槃(ふしねはん)」の理想郷を云うようになった。
 つまり、「甘露門」とは、仏の涅槃の境地に至る門であり また仏の教え(説法)の法門というのだ。
 そのことからか?この「甘露門」には「タターギャタ」(如来)の真言が各項目毎に列記されており。その如来に帰依し 如来の教えによって 地獄の飢(う)えと渇(かわ)きに苦しむ精霊を救うという内容が説かれているのであった。
 そこには まさに「五如来」という、東西南北の四方の如来仏、そして中央に位置する如来仏が登場し、その飢えたる精霊、餓鬼道(がきどう)にある衆性(しゅじょう)を救わんとするのであった。
 その五如来とは?

一、南無多寶如来(なむたほうにょらい)
一、南無妙色身如来(なむみょうしきしんにょらい)
一、南無甘露王如来(なむかんろおうにょらい)
一、南無廣博身如来(なむこうはくしんにょらい)
一、南無離怖畏如来(なむりふいにょらい)
である。

 そこで、この各如来様達は どの方角の如来なのか。はたまた どんな如来なのか?
 そして その如来はどのようにして衆生を救わんとするのか?その役割とは?それらを来月号で語ることにしよう。

 今般の「如来・菩薩・明王・天部とは?」の質問をしてくれた方には、心から感謝します。
 駒大一年生の時より現在の75になるまで、気づかなかったことを気づかせてくれました。

多謝合掌 

 ※参考『禅学大辞典』大修館書店