和尚さんのさわやか説法278
曹洞宗布教師 常現寺住職 高山元延
新年 明けまして おめでとうございます。
皆様にとりまして、本年が、干支の「酉(とり)」の如く飛翔・飛躍の年であることを祈念しております。
—さてさて—
「さわやか説法」新春特集号は昨年12月号「藍綬褒章受賞顛末記」からの続きである。
11月15日。その伝達式後「皇居参内」に向かうバスの中で、草履の皮底が剥げて困り果てていた御婦人に対して、私は咄嗟に手を伸ばし「私が直して上げます」と言ってしまった。
—でも—
今度は、私が困り果てた。
実は、これが私の「藍綬褒章受賞」ハプニングの始まりだったのだ。
「どう、直したらいいものか?」
「剥げた皮底を、どうくっつけらたいいのか?」
その草履を手に取り「う〜ん!!」と唸ってしまった。
私は普段いろいろなものを入れているドラえもん的「何でもカバン」はホテルに置いてきた。
法務省からは皇居参内には、何も持ってこないようにとの指示があったからだ。
「う〜ん?」(T_T)💧💧💧
「何か、接着するようなものが?」
「運転手さんとか、法務省職員が持っているかも?」と呟いた時だった。
その御婦人の窓側に座っていた老齢の男性が、「これなら、あります」と言ってゴソゴソと紙袋から取り出したものがあった。
—なんと—
それは、布製ガムテープだった。
その男性は、受賞者である御婦人の配偶者。つまり、旦那さんだ。
私は、「はぁ〜?」と息を呑み、「何で、ガムテープを持っているんですか〜?」と、今度は息を吐いた。
私は、「すごい!!」
「何であるのか分からないけど、ともかくスゴイ…!!」「あなたは内助の功労者だ。受賞者の奥様を支える旦那様じゃあー」と叫んでいた。
バスは皇居に向かって走り出す。
私は、そのガムテープを受け取ると、両面テープ使用に貼り合わせ、それを草履の踵(かかと)部分から中央、そして爪先部分へと皮底を接着させていった。
これが、思いのほか功を奏し、ピタッとくっついたのである。
あとは、これに重量を掛ける為に踏もうと思ったが、まさか人の草履を踏みつけるわけにもいかず、御婦人にその事を指示した。
御婦人はドンドンと足で踏むと、手に取って爪先の部分が、まだ少し開いていると私に見せた。
「なるほど、これなら歩いているうちに、また引っ掛かって剥げるかもしれない」
皇居の中は、我が寺の絨毯と違い、ふかふかとした絨毯である。
もう一度、その草履を受け取り、全体的に見回した。
「よし。だったなら本体と皮底のくっついている襞目(ひだめ)の部分をガムテープで合わせればいいな!!」
ガムテープを細く切り、その爪先部分の襞(ひだ)にくっつけた。
でも、これだと何となく心許無(こころもとな)い。
バスはもう皇居、坂下門二重橋前の広場に到着していた。
「早くやらねば…」
焦ってきた。
「そうだ!!」この草履全体を一周ぐるっと、ガムテープで隠してしまえ!!」
「そうすれば、草履の模様に見えるかもしれないし、誰にも気付かれない」
これがまた、殊(こと)の外(ほか)上手にいったのだ。
そうしたら、御婦人は、もう片方の草履を脱いで、「こちらもお願いします」と差し出した。
バスは二重橋前広場から動かなかった。エンジンを止めて待機している。
—そう—
後続のバス八台が揃うまで待っていたのだ。
私は、これ幸いにと、草履職人よろしく丹精込めて作業に取り組んだ。
両方が完成すると、御婦人は喜びの声を上げた。
「これで大丈夫!!」
「安心して歩けます!!」窓側の御主人にも笑顔が戻った。
—そうしたら—
私の隣りの奥様が、モーニングのズボンに付いていた土や砂を無言で「ポンポン」と払い落としてくれた。きっと「御苦労さま」と言いたかったに違いない。
—やがて—
バスはエンジンをかけ坂下門をくぐった。
—到着した所は—
「皇居宮殿」前に広がる「東庭(ひがしてい)」だった。
この場所は、陛下御一家が新年の際に一般参賀されるところであり、仰ぎ見ると、あのガラス張りのバルコニーが見てとれた。
なんと、そこには先着していた数多くのバスも整然と参列していたのだった。
20台も停っていただろうか。それは私達の法務省関係ばかりでなく総務省に、国土交通省やら文部科学省等々の各省庁の叙勲、褒章の受賞者、配偶者の方々も待機していたのだ。
最後に着いた私達のバス8台が加わると、各号車から皆さんが降り、隊列を組まされることになる。
前方部分は、受賞者。後方は配偶者の方々だ。つまり、前方部分の受賞者が天皇陛下と直接的な拝謁となるように配慮してのことだ。
実は私は、八戸を出発する前に、レクチャーを受けていた。
「並ぶ時は4列に編成されますからその時は、なるべく左側に並ぶんですよ」
「そうすれば、陛下を真近に仰ぎ見ることができますからね」
「但し、これは運です。皆さんバスから降りた順ですから」
私は、それを聞いた時、「いやいや、私はどこでもいいですよ」「中に挟まれようが、右側でも、どちらでもかまいません。別に左側にこだわりませんから」と見栄を切っていた。
バスから降りると、皆さんは先を競うかのようにして前列、そして左側に陣取ろうとしていたように感じた。
私は、後ろから押されるようにして立った所が、
—なんと—
後列ではあったが、左側だった。
「こりゃあ!!運がいいぞぉー」と内心ほくそ笑んだ。
実は、これがハプニングの第2弾だったのである。
あたりは、もう夕闇が迫り薄暗くなっていた。
それぞれのバスの号車毎に隊列が静かに動き出した。
皆さん一様に背すじを伸ばし、一点を見据えるかのように整然と歩かれている。
いよいよ緊張感が高揚してきた。
陛下拝謁は宮殿「豊明殿(ほうめいでん)」とのこと。
ここは宮殿内では一番広く「宮中晩餐会」等が開かれる豪装華麗なる場である。
「北車寄(きたくるまよせ)」なる玄関から足を踏み入れると、靴が「ふかっ」とした感触に襲われ爪先が沈んだ。
前方を見ると、あの御婦人が足元を気にすることなく歩いている姿が見てとれた。
粛々として隊列は、2階の「豊明殿」に吸い込まれていく。
中に入ると、その重厚・豪壮さに圧倒されるしかなかった。
広さ約280坪。高い天井には32のシャンデリアがキラキラと輝いている。そして壁面は織物で仕上げられている「豊幡雲(とよはたぐも)」なる金色(こんじき)の雲が光彩を放っていた。
「豊明殿」に入ると今度は、宮内庁職員からの指示に代った。
全ての受賞者、配偶者の方々が入り、横長に整列し終わると、
「皆さん、そのまま右の方を向いて下さい」とのマイクの声が響いた。
私は「右向け右だな!!」と思い、向いた途端のことだった。
—なんと—
前面に位置するはずだったのに、一番後(うしろ)になってしまったのだ。
「ありゃあ?」声にならない声が心の中で叫んでいた。
—そしたらである—
急に緊張感が解けてか肩がガクッと下がり、脚は「休め」の姿勢になっていた。
逆に前面となり、陛下の方向となった右側の受賞者の方々は、急に直立不動の大勢となっていた。
それだもんだから、私はお気楽気分となり、あちこちを見渡したり、配偶者列の方を向いたりして、奥様を見つけると軽く手を振ったりする余裕すら出てきたのだ。
—そうしていると—
別な宮内庁職員が歩くことの不自由な御老人の受賞者を手で引きながら椅子を持ってくるのが見えた。
受賞者なるが故に、私達の隊列の中に入るべく隙間を探しているようである。
—その時—
その宮内庁職員と目が合ったのだ。
皆さんは前の方を向いているのに、後(うしろ)を向いているのは私だけだったからである。トホホ💧💧💧
私は、ちょっと横にずれるような素振りを見せると、職員はすかさず椅子を置いた。
御老人は「どうも、どうも」と言いながら私の横に座わった。
—このことが—
また次なるハプニングの序章だったのだ。
私は恐れおおくも、陛下に……。
—この続きは—
次号にて、更なる思いもよらぬ展開が…。
合掌