和尚さんのさわやか説法277
曹洞宗布教師 常現寺住職 高山元延
今年も、あと残すところ十数日。皆様にとりまして、それぞれにいろいろな出来事があったことでしょう。
私にとっては、今年の11月。思ってもいない大事件が起きた。
人生初めての経験であり2度とない、まさに衝撃的な出来事だった。
—それは…—
「藍綬褒章受賞」という大事件だ。
その伝達式はもとより、「皇居参内(こうきょさんだい)」「陛下拝謁」という栄に浴することは、恐れ多いなる「大事件」としか言いようがなく、私的には「今年の10大ニュース」どころか、たった一つの「重大ニュース」だった。
—てなことで—
今月号の「さわやか説法」は「藍綬褒章受賞顛末記」と題して、そのいきさつ、その様子を物語することにしよう。
発端は、ここから始まった。
夏8月、私は「教誨師(きょうかいし)」としての任務で「青森刑務所」に赴いた時のことである。
それは、私は曹洞宗の和尚として坐禅の教義を基に、少年院あるいは刑務所における被収容者に対して「坐禅と講話」による「宗教教誨」を、継続的に行っているからだ。
出迎えの車に乗ると、刑務官がいきなり
「高山さん!!刑務所に到着したら、教育統括からお話があるそうです」
「えっ?何かあるんですか?」
「今、ここでは言えません。統括から直接、お聞きして下さい。」
私は、何事があったのかと、戦々恐々として後部座席に深々と座り直していた。
到着し、いつもの控室に通され、坐禅用の法衣に着替えると、受刑者への教育担当刑務官の「統括」が部屋をノックして入るやいなや。
「高山先生!!おめでとうございます!!」
私は、「えっ?」と息を飲み込み、「何が?何で?」と、対面する統括を仰ぎ見た。
てっきり何かのお叱りがあると思っていたからだ。
「この度、法務省から連絡があり、先生に藍綬褒章を授与したいとのことです」
「それで受けてもらえるかとの打診であります。」
「えっ?私にですか?」
「はい!!そうです!!」
「長年の矯正教育功労に対しての褒章です」
—もう—
びっくりしたのなんのって、絶句し、困惑するしかなかった。
その大事件報道後、多くの方から、「教誨師って、なあ〜に?」と、よく訊ねられた。
—教誨とは—
矯正施設である全国の刑務所、拘置所、少年院等々の被収容者に対し、各教宗派の宗教者が、それぞれの教義に基づき、文字通り、「教え誨(さと)す」ことである。
そこには、宗教心を伝え、罪を犯した被収容者の徳性を涵養するとともに、心情の安定を図り、被収容者には自己を洞察し、人間本来の健全な心に目覚め懺悔し、更生の契機を与えることにある。
よって、被収容者が自らが立ち直り、遵法の精神を培い、健全なる人間として社会に復帰してもらいたいとの願いを以ての矯正教育を「教誨」というのである。
—教誨師とは—
その矯正教育の一翼を「宗教教誨」という活動を担う「宗教者」のことをいい、この活動を国の矯正施設からの要請を受けての純粋ボランティアとして行っている。
現在、全国で1862名が教誨師として任命され、教宗派別的においては、仏教系、神道系、キリスト教系、諸教系の宗教者が、それぞれの教義に基づき活動しているのであった。
私も、その中の一人で、平成元年より現在に至っている。
教誨師は、その性質上、社会的認知度は低い。それは陰に隠れた活動であるからである。
それだからこそ、宗教者が成すべきことであり、宗教者でなければ出来ないことだと私は思っている。
そこには、「人を救う」「人の心をも救う」という宗教本来の使命があるからに他ならない。
以上のように「教誨師とは?」を概説してみたが、ここからは、私の体験した当日の「伝達式」や「皇居参内」での模様や、私ならではのハプニングの連続があり、それらを実況生中継的に「さわやか説法」してみたい。
11月15日、晴れの式典の朝、私は原稿を片手にホテルのフロントに立っていた。
—そう—
私は前日夜まで、「さわやか説法11月号」の原稿書きをしていたのだ。
準備に追われ、なかなか書き上げきれずに、上京の新幹線の中で、そしてホテルに着いても、まだ悪戦苦闘して机に向っていた。
奥様は、厳かな皇居参内の夢を語り合い、静かな夜を過ごしたがっていたが、私は、そっちのけで「蘭渓道隆禅師の鋭き眼光」を執筆していた。
奥様の「やれやれ…」というため息が聞こえた。
その原稿を「ふぁみりぃ新聞社」にFAXする為にフロントに行ってみて驚いた。いや、笑ってしまったのだ。
—なんと—
フロントやロビーには、モーニング姿、また美麗な和装のおばはん方でごった返し、チェックアウトしていたのである。
今まで、モーニング姿というのは、結婚式の仲人さんとか、入学、卒業式の校長先生ぐらいしか見た経験がなかったのだが、その光景は、南極のペンギン達の隊列風景としか見えなかった。
おまけに朝だから「モーニングだよな」と思った瞬間、笑いがこらえきれなくなった。
—法務省での—
教誨師への褒章伝達は午後2時20分からで、1時40分まで来庁せよとのこと。
無事、原稿を送り、私もモーニングに着替えた。奥様は予約していた美容室へ。
「俺も、朝見た光景と同じになるんだなぁー」とため息まじりに鏡の前にいた。
「あぁー。やっぱり法衣の方が良かったかも?」と嘆き節が出たが、「後の祭り」!!
「馬子にも衣裳」!!「和尚にもモーニング」だ。トホホ💧💧💧
法務省に到着するとそこは、まさにペンギンのコロニーだった。
モーニング以外がかえって目立つのだ。
法務省関係の受賞者145名、配偶者113名の総勢258名であふれていた。
教誨師、篤志面接委員の矯正関係は、たったの16名であるが、保護司、人権関係は、なんと100名を超えての方々だ。
担当職員司会が伝達式の次第を説明し、皇居参内での注意事項を詳細の上に、詳細を尽くして説明する。
国歌斉唱のあと、分野別に受賞者の氏名を読み上げ、そして褒章伝達。それが延々と続き、終って法務大臣からの祝辞等々があって、いよいよ陛下拝謁への皇居参内だ。
—さあ—
これからが大変だった。受賞者、配偶者約250名が、それぞれ8台のバスに振り分けられ、隊列を組まされる。一糸乱れずの行動を求められる。いやが上にも緊張感が高まってきた。
皇居「豊明殿(ほうめいでん)」での拝謁は夕方5時の予定だ。順次、隊列の中バスに向うが、私の前の方で御高齢の御婦人が足を引きづり歩きずらそうにしているのが見えた。
—なんと—
御婦人の履いていた草履の皮底が剥げて、「カバの口」が開いたようにガバガバしていたのであった。
マイクで法務省職員が「受賞者は通路側へ、配偶者は窓側へ」と指示をする。
私が席に着くと、その通路側隣りに座ったのは、遅れてやってきた、くだんの御婦人だった。その御婦人は受賞者だったのだ。
そして、座るや、あの草履を脱いで手に取って困り果てていた。
私は、見るに見かねて、咄嗟に手を伸ばし「私が直して上げます」と言ってしまっていた。
また「やれやれ…」という奥様のため息が聞こえた…。
—これが—
私の藍綬褒章受章ハプニングの始まりだった。トホッホ💧💧💧
—この続きは—
来月の「新年号」で…。乞うご期待!!
来年の酉年、皆様にとりまして、良き年であることを祈念しております。
今年も「さわやか説法」御愛読ありがとうございました。
合掌