和尚さんのさわやか説法200
曹洞宗布教師 常現寺住職 高山元延

 今月号で「さわやか説法」は、200号となる。
 思い返すに、第1号は平成元年の9月であり、第100号は平成9年の12月であった。
 よくもまぁ、この20年間書き続けてきたものだと思うし、読者の皆様も、よく飽きないで御愛読してくれたものと、ただゝ感謝するばかりである。
 本当にありがとうございます。皆様の寛容な心と愛情のおかげで書き続けてこれました。

—さてさて—
 この記念すべき200号は、郷土八戸の名僧「西有穆山禅師」様の芝居版の物語である。
 まさに恥知らず、大恥をかいての所業であることは間違いない。
—で〜も でもでも—
芝居版「創作ぼくざん物語」が完結するまで何とか頑張って、来年の穆山様百回忌を迎えたいものと思っている。
 先月号では、第一幕でのプロローグ的なものであった。
 穆山様の生家である笹本家は豆腐屋を営み、通称「うど屋」と呼ばれていたという。
 その語源、意味するところを笹本家子孫の方々に聞いたが不詳とのこと。しかし、湊町界隈では、今でも言われているということであった。もしかすれば、当地方では大きい穴のことを「うど」と言うことから、大きい穴の井戸から屋号になったのであろうか?
 穆山様こと万吉少年が生まれたのは、江戸期文政4年(1821)の10月23日のことであった。
 その当時の笹本家「うど屋」は小中野村から湊村へ渡る唯一の橋「湊橋」を下がった所にあり、寺坂(てらじゃか)と呼ばれ、湊村から浜須賀、大沢を経て三島、白銀村へ通る出発点の要所にあった。
 しかも、「うど屋」の裏手には良質の水が沸く井戸があった。 そう!大きい穴の井戸だ。
 というような立地条件なのだから、当時の笹本家は豆腐を買い求める人、あるいは井戸に飲み水を求める人に、野菜や魚を洗う人、家事洗濯に訪れる人と、常に街道の往来と商売や水を求める近所のおばさん達や船乗り達の「溜り場」でもあったのだ。
 そのようなことからまさに幼少期から俊抜で、末はどんな人物になろうかと期待を寄せられた万吉少年が、こともあろうに、江戸は牛込のお寺の住職になるというんだから、これは近所のおばさん達や水を汲みに来る連中の格好の話題なのだ。
 
 「やっぱりなぁ、万吉だば、生まれだ時から
  立派な大和尚様になるがもしれねェって噂だったもの!!」
 「へェー!!それは、たまげだ!!生まれた時がらがぁ〜?」
 「あんだ!!知らねェのすかァ」
 「したって!!ワだば、昔は、ここさ居ながったもの」
 「しだば、教せでやる!!万吉が赤ん坊(あかんぼう)の時だ。
  あの母親のなをさんが 乳(ち)っちをやるべして、万吉を抱いだ時のごどだ」
 「なをさんだば、びっくりしでしまったのっす。」
 「なっなにが、あったのがぁ?」
 
 「なんと!!赤ん坊の握りしめていだ手っこの中から、何かが光っているっす」
 「なあ、そんだべ!!なをさんよー。」
 「はいはい。そんなことがありましたねェ」
 「そんで、それは何だったのよぉー?」
 「なをさんだば、慌(あわ)てて父っちゃの長次郎さんば呼んでさ」
 「2人で、赤ん坊の指ば広げようどしだのさ」
 「しだんども、ギッチリ握ってるもんで、中々、指を広げられねェのよ」
 「そんで万吉だば、何を握ってらっのさ」
 「待でじゃ、話っこだば最後まで落ち着いで聞くもんだ!!」
 
 「やっと赤ん坊の手を開けだらさ」
 「なんと、豆腐の豆だったのよ」
 「なんたって、うど屋の商売は豆腐屋だべー」
 「何でェー。豆腐屋の赤ん坊だば、トーフの豆ば握って、当(あだ)り前だべな」
 「それが違んだなぁー。その豆が光ってらのよぉー。」
 「はぁー?豆が光ってらってがぁ?」
 「そうなんだ!!その光っている豆を、よぐよぐ見だら、ナント!!ふやけた豆に
  シワがよって観音様の姿をしてらんだとっ」
 「へェー!!そりゃ、たまげだべなぁ」
 「そうなんだ!!長次郎さんも、なをさんも腰が抜げるぐらい、どんでんしてしまい、
  占い師の玄伯さんの所さ駆け込んだのよ」
 「それでそれで どうなったのさ」
 
 「湊村でも占いがよく当(あだ)るって評判の玄伯さんが、赤ん坊の顔っこだの、
  手っこだの、そして、その豆ば、じっくり見てらっきゃ」
 「手を叩いで喜んだということだ」
 「そりゃまだ、なしてよ」
 「この赤子だば、大層な人物となる。
  赤子にして、この人相!!この眼の輝き!!ましてや握った豆が観音の相を
  あらわして光り輝くように我々に見えるとは、何かしら不思議な力を持っており、
  未来無限の相を現わしているからじゃ!! とおっしゃったそうだ」
 「そんでなぁ、こうも言ったそうだ」
 「この子は、末は立派な学者となるか、
  あるいは人を導く天下の大導師になるかもしれん!!とな」
 「へェー。そうだったのがぁ〜」
 「そればがりではねェーんだ」
 「いっぱい、いろんなごとがあって、
  どれもこれも大和尚様になるようなことあったのさ」
 
 「そうゝ。万吉ったら度胸あるってが、子どものくせして肝っ玉座ってたんだよね」
 「六歳(むっつ)の時だったよね。なをさんの実家に子どもがなかなか授からないと
  いうことで万吉が養子に入ったけんど、そごさ、男の子が生まれると、
  自分はここに 居てはいけないと一人で考えたらしく、
  万吉だば八戸の二十六日町から黙って歩いて、この湊村さ帰って来たんだよ」
 「童(ワラシ)のくせして、養子先の家(うち)のことを考えだり、
  自分の父母(ちちはは)に 迷惑を掛けたくないって、
  たかが六歳(むっつ)で、そったらごと考えるてっか!!…」
 
 「人の気持ちが、よぐわかる子どもなんだね」
 「だから、その辺の童達(ワラシだぢ)と全然ちがうのさ」
 「八戸から帰ってくるにはさ。淋しい所だばいっぱいあるべし、
  迷わねェで、よく一人で帰って来たもんだなす」
 「ホントホント。万吉だば普通の子とは、まるっきり違うのっす」
 「親孝行だし、小さい時から店の仕事は手伝うし、
  オラんどの言うごとも素直にきく子だったもんなぁ」
 「その万吉が、花のお江戸さ修行しに行って、玄伯さんが占ったように
  立派な大和尚になって、この湊村さ帰ってくるっていうんだべ」
 「そりゃ、めでてェーなあ」
 
 「しかし!!なんぼ、玄伯さんが占ったって、
  何があって、和尚様になろうと決心したんだべ?…」
 「はりゃまぁ、あんだ知らねェーのがっす」
 「万吉だば、母親のなをさんに連れられで、実家の菩提寺さ、
  お参りに行った時、地獄極楽の絵図ば見て、決心したのさ」
 「そっそれは!!どうなことでぇー?」

 その万吉少年の決意とは?続きは、来月号のお楽しみということで。
 201号から始ります。

合掌