和尚さんのさわやか説法159
曹洞宗布教師 常現寺住職 高山元延

 今年も残すところ、十数日、八戸市美術館で開催されている「西有穆山展」に至っては、あと数日となってしまった。(12/23まで)
 穆山様が亡くなられたのは明治43年、西暦1910年であるからにして、7年後には「百回忌」を迎えることになる。
 来年になれば、当然の如く6年後となる。うかうかしていると今年があっというまに過ぎたように、すぐ「百回忌」が来てしまう。
 今から何かしらの心準備をしておかなければならないことは確かだ。その意味においても、今回の2ヶ月間に渡った「穆山展」は、その端緒ともなるべき画期的なことであったと私は思っている。

 私は、この穆山展開催中、何度となく足を運ばせてもらった。
 思い立った時もあれば、近くを通りかかった時、あるいは会合や病院帰りのついでにと…。
—しかし—
 何度行っても、おもしろい。何度見ても感動する。その行く度ごとに見方や感じ方がまるっきり違うのである。
 同じ作品を見ているのだけれど、全然ちがう。
 「なんでだろう?」と今、流行の漫才コンビの口マネになってしまうのだ。

—確か—
 3回目の拝観の時だったかと思うが、突然、後方から声をかけられた。
「常現寺の和尚さんですか?」
「はい、そうです。」
「やっぱり!!よかった」「ちょっと、頼みたいことがあるんですが」、
「えー。何ですか」
 相手の方は、息せき切って、私に懇願するかのようにして迫ってきた。
「これから湊小学校の5年生の子ども達が、穆山展を見学にやってまいります。」
「どうか、子ども達に穆山様のことや、ここに展示されている掛軸のことを説明してくれませんか」
「えー!!私がですか。」「私なんかより…」
と相手の方の声をさえぎると、間髪を入れず、
「さっき、こちらの美術館の方とも相談したんですが、和尚さんがちょうど来ているから和尚さんの話の方がいいだろうと言うんですよ」
「とにかく、お願いします。お願いしますよ」
「5年生2クラスが来てますので、1クラスごとに2回説明して下さい」
 こう言うと脱兎(だっと)の如く会場から出ていった。
「えー!!」と私は言うなり、どのようにして子供達に対処すればよいのか放心状態になってしまった。
 時間は1クラス約10分間程度、それを2回くり返す。
 内容は、穆山様の生い立ちや、どんな立派な方なのか。
 そして、ここに展示してある書画のことをわかりやすく、手短かに話せ、とまあ無理難題オンパレードの御注文であった。

 外の方から騒がしい子供達の声が聞こえてきた。行ってみると、さっき息せき切って私に懇願した方が、子供達に向かって説明していた。
「今ねェ、小中野の常現寺の和尚さんが、皆なに穆山様のことについて、お話をしてくれるとのことで…」
 私は、その声をとって聞くと、「げっげっげぇー」と心の中で叫び、展示会場へ飛んでもどると、何をどのように、どんな順番で、話せばいいのか迷ってしまった。
 何しろ相手は小学生、時間は10分間、ましてや私自身、解読できない書もあり、いかに説明するか。
—そしたら—
「ピカッ」とひらめくことがあった。
 それは、穆山様の生き方、その教えを子供達にどう説かなければならないか。
 その最も証左たるものが、ここにちゃんと展示されているではないか。
 このことに気づいたのである。展示物を一つ一つ説明するよりも、一つで「穆山の全部」を説(と)き語(かた)る。それは、「慈誡文(じかいぶん)」と称せられる「屏風」であった。
 そこで、まず穆山様の人となりを知ってもらう為に、入口の年表のところで、その生い立ちを若干説明し、次に安田靫彦(ゆきひこ)画伯筆写なる画像の凛(りん)とした姿を見てもらった。
「みんな、湊小学校の前の校長先生は誰だったかな?」と聞くと、一斉に「伊藤勝司先生」と答えた。
「そう、その伊藤先生のお力で穆山様の絵が、八戸で見ることができるようになったんだよぉ」と話すと子供達は、皆な驚いたかのように感嘆の声を上げた。
「じゃ、次にこっちの方に移動して」と導いて、それぞれ腰をおろし、その場に座ってもらった。
—その前には—
 穆山禅師が明治27年、実家の笹本家に送った「六曲一双」の屏風(びょうぶ)があった。
 その冒頭の一節を私は指さしながら声を大きくして読み上げた。
「古人(こじん)いはく 孝(こう)は百行(ひゃくぎょう)の本(もと)なりと 仏(ほとけ)のたまわく孝(こう)を名(なず)けて戒(かい)となすと。」
 そして、こう解説した。
「穆山様は、自分のお母さんの13回忌の御供養の為に、この屏風の文を作られたんだよ」
「見ると、とっても長いね」
「でもね。穆山様がこの中で最も言いたかったこと、大事なところは、今、私が読んだ『孝(こう)は百行(ひゃくぎょう)の本(もと)なり』というところなんだよ」
「この『孝』という字は親孝行の『孝』だよね」と、子供達に問いかけると、一斉に皆はうなずいた。
「その親孝行の孝は、百の行い、つまり全ての自分の行いの、一番の本(もと)となるものだよ、と穆山様は教えられているんだ」
「じゃ、その孝とは、どういうことかというと、相手を『思いやる心』『相手のことを大切にしてあげる心』のことです。」
「ということは、お父さんやお母さんのことを思いやり、大事にしてあげたいと行動することなんだよ」
「じゃ、どうすれば、よいかということは、皆が一人一人考えて、行動することにあると和尚さんは思うよ」
「学校では、先生の言われることを守り、友達を思いやり、大切にすることも、それも『孝』ということでもあります」
「そうすれば、きっと『いじめ』ということもないし、皆なが仲良くできるよね」
「それは『友達孝行』とも言えるかな」
と、言うと、皆なは、またまた大きくうなずいた。
「穆山様が、若い頃から修行を積まれ、立派なお坊様になれたのも実は、大変な親孝行であり、特にお母さん思いだったんだね」
「それは、幼い時、お母さんから言われた厳しい慈誡(じかい)を一生、大切に守っていこうとしたからなんだよ」
「だから、皆もお父さんやお母さんの言うことをきき、皆な仲良くするんだよ」
と、しめくくると小さな手で大きな拍手が、この展示室に響いた。

—そうなんだ—
 穆山様が書かれた墨跡の一つ一つは、仏の教えであり、穆山様の心でもあり、皆なを幸せにしようとする「心の書」「孝行の書」でもあったのだ。
 読者の皆様には、この一年、どんな孝行をなさいましたか?
 どうぞ来年もまた、穆山様の「孝」にならい、湊小学校の子供達のように素直に「孝行の誠」をお尽くし下さい。
 では、よき御年とよき孝行を……。

合掌