和尚さんのさわやか説法305
曹洞宗布教師 常現寺住職 高山元延
新年 明けましておめでとうございます。
令和2年の本年、子年(ねずみどし)が、皆様にとりまして良き年であり、日本も、そして世界が 平和で繁栄の年であることを願ってやみません。
今月号の「さわやか説法」は新春号に因み今年の干支である「子年」(ねずみ年)を、チュー、チュー、中心に物語を展開します。
―てなことで―
昨年12月号の続き「アニサキス ストーリー」のパートⅡは、来月号で…。
(誰も、正月からアニサキス寄生虫の話なんて読みたくもありませんよね…(><))(やっぱり、年の初めは縁起の良い話からじゃないと……(^^))
子年は十二支、つまり「子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥」の最初の年であり、このことから新しい運気サイクルの始まりとされ、上昇運の年であるという。
それとともに、古代中国の『漢書』にては、「子」は「繁殖する」「生む」という意味をもつ象形 文字である「孳(じ)」が語源とのことだ。
この漢字は、植物に例えると「新しい生命が種子の中に、きざし始める状態」を表わしているという。
―なるほど―
それで繁殖する、繁栄のきざしと云うわけだ。
それ故に株式相場においては干支を用いてこう表す。
「辰巳(たつみ)天井、午(うま)尻下がり、未(ひつじ)辛抱、申酉(さるとり)騒ぐ、戌(いぬ)笑い、亥(いのしし)固まる、子(ねずみ)は繁栄、丑(うし)つまづき、寅(とら)千里を走り、卯(うさぎ)跳ねる」
ここには、先程の「新しい生命のきざし」や「ねずみ」は子をたくさん産むことから、子孫繁栄は勿論のこと、いろいろな産業に新しいきざしを生むこともあって、「子年は繁栄」の年であり、「運気上昇の年」であるというのだ。
皆さん!!今年は明るい年になりそうですよ!!
夏には、東京を中心に四年に一度のスポーツの祭典「東京オリンピック パラリンピック」が開催される。
まさに、本年は「オリンピックイヤー」であり、否が応でも日本国中が盛り上がることは間違いない。
世界の国からも、その観戦の為に日本を訪れるし、その波及効果は測り知れない。
また迎え入れる私達国民一人一人も「お・も・て・な・し」の心で世界の人々と心と心の交流が盛んとなり、更には、その「おもてなし」が様々な経済効果も生み出すことにもなろう。
このオリンピック効果は東京ばかりではない。きっと日本全体のものとして、地方にも色々な恩恵をもたらすことになることは確かなことだ。
―またー
ねずみは「寝(ね)ず身(み)」とも表現されることから、この年の生まれの人は、真面目にコツコツと寝ないで身を削るように働く性格だともいう。
また、「チュー、チュー」鳴くことからも「注意(ちゅうい)深(ぶか)く」「勘も鋭く」周りを見通すこともでき、更には、どんな所でも住み、子沢山でもあることから非常に「適応力」や「順応力(りょく)」があり、コミュニケーション力があるというのだ。
―このことからも―
本年の「子年」は運気上昇、景気上昇、適応上昇、コミュニケーション上昇の「きざしの年」となりそうだ。
それと、多分、今年は「少子化」に歯止めがかかるかもよ。
子沢山、子孫繁栄の「ねずみ年」ならばこそ、 出生率がアップに転ずることを期待しても良さそうだ。
(この予想は、当たるかなぁー。(><))
―ここで―
ねずみに因んだ「昔話」を紹介したい。
題目は、「ねずみお経」だ。
むが~し。むがし。ある小さな村に、1人の婆さまがいだずもな。
この婆さま、先だって爺さまを亡くしたばっかりで、もう寂しくて寂しくて一日中、仏壇さ向かって拝んでいだずもなす。
そこさ、ある日1人の旅の坊さんが、やって来たんじゃそうな。
「どうやら、道に迷うてしもうた。今夜一晩泊めてくださらんかの?」
「はい。はい。いいですとも」
「それは助かった。ありがたいことじゃのぉ」
婆さま、その坊さんを大層おもてなしをしたそうじゃ。
坊さんに腹一杯、夕ご飯を御馳走すると、婆さま手を合わせてお願いをしたそうじゃ
「なあー。お坊さま!!頼みがあるんじゃが、うちの爺さまに御経を上げてくれんかのぉー」
「えっ!!おっお経…」
実は、この坊さん!!じつにいい加減な坊さんでな。御経なんぞ暗唱(そらん)じてなんかいない。
(まことに小中野の高山和尚みたいです💧💧💧)
しかし……。そうとも言えず、仕方なく仏壇の前に座った。
「ナムナム…」
「チーン」と鐘を打った。
「爺さま爺さま これから、このお坊さまが御経を唱えて下さるそうな。どうぞ成仏してけろ」
「チーン」「ううむ」
「しからば……。」
「ナムナム…」と唱えたはいいが、次が出てこない。
もじもじナムナムをしていると、ちょうどそこに「ねずみ」が壁の穴から顔を出しているのが見えたそうな。
―その時だ―
うなるような声が出た。
「南無南無…。オン!!チョロチョロ 出て~こ~ら薩婆訶(そわか)…」
すると婆さまは有難そうに手をすり合わせたそうな。
調子に乗った坊さんは続けて
「オン チョロチョロ チューチュー薩婆訶(そわか)…」
いつまでも同じように唱えてられないのでねずみの様子を、そのまま御経にして唱えたそうな。
「オン チョロチョロ穴のぞき薩婆訶」
「オン 何やらチューチューささやき薩婆訶」
「オン チョロチョロ出て行き薩婆訶」
その朗々たる声は婆さまの心に響いたそうな。
そしてまた覚えやすい御経でもあった為、婆さまも一緒に唱えたそうな。
次の日、坊さんが帰ると、婆さまは毎日、あの御経を唱えた。
爺さまを慕う御経は無心のお唱えだった。
ある晩、泥棒が婆さまの家に忍び込んだ。
泥棒が金目のありそうな場所を捜してうろちょろしていると、婆さまの声が聞こえたそうな。
「オン チョロチョロ出てこ~ら薩婆訶」
泥棒はびっくりして障子の穴からのぞくと、
「オン チョロチョロ穴のぞき薩婆訶~」
「なんじゃあ~。あの婆さま、俺のいること知ってるんじゃねぇ~かぁー」
「オン チューチューささやき薩婆訶~」
「げぇげぇー。」
「何でもお見通しだあ~」
泥棒は震え上がっていると
「オン チョロチョロ出て行き薩婆訶~」泥棒はもう肝をつぶしてスタコラ逃げて行ったそうな。
どっとはらい……。
私はこの昔話「ねずみお経」を教えられた時、お釈迦様の説かれた『法句経(ほっくきょう)』の一節を思い出した。
無益(むやく)の句(く)より成(な)る
百(ひゃく)の詩偈(うた)を
口に諳(そらん)ぜんより
ききて
心のしずかなるべき
一法句(いちほっく)を誦(ず)せんこそ
はるかにもまさる
私のようないい加減な坊さんが百の御経を唱えるよりも、あの婆さまのように、それを聞いて心を静かに、無心にて唱える一つの御経のほうが、はるかにもまさっているということである。
この昔話に登場する「ねずみ」もスゴイ「ねずみ」である。
きっと「子年(ねずみどし)」のような「ねずみ」にちがいない。コツコツ寝ず身の努力家ねずみだ。
そんな「心しずかなるべき」無心の努力があってこそ運気上昇にも景気上昇にも、つながるのではないか。
本年が皆様にとりまして、そのような「はるかにもまさる」上昇運気の良き年であることを願ってやみません。
合掌