和尚さんのさわやか説法351
曹洞宗布教師 常現寺住職 高山元延

 先月、5月28日13時34分、東北新幹線・下り「はやぶさ19号」に乗車した。
 目的地は、新函館北斗駅を経由して、北の都は
♬「虹の地平を 歩み出て~」♬
 ロマンあふれる街「札幌」だ。
「明日の研修大会の受付は お昼の12時だ」
「当日行きは 時間的にも無理である」
「ということならば」
「前泊して 余裕を持って研修大会に臨むことにしよう!!」
-実は-
 これは、建前であって、本音は、「早目に行って大歓楽街の『すすきの』で、飲んでみたい!!」であった。
「花のお江戸は 新宿 歌舞伎町」
「杜(もり)の都(みやこ)は 仙台 国分町」
「秋田は おばこ芸者の川反町(かわばたちょう)」
 そして、
「北の都は札幌 すすきのニュークラブ」
なのだ。
 八戸だって、昔は、東北一の歓楽街と言われたこともあった。
「青い灯(ひ) 赤い灯(ひ) ともる頃 行こか 戻ろか思案橋」と唄われたように、浜の漁師どもが札束を胴巻きに突っ込み、「今日は どこのお店へ行こうかな?」と、迷ったと云われるのが、あの湊橋だ。
 中心街の「長横町」だって、昭和の時代は喧騒渦巻き賑わった。
「南部八戸 菊花乱舞の 長横町」
-しかし-
 令和の現代、かつての長横町は、「南部八戸 菊花落葉 閑古町(鳥)(かんこちょう(ちょう))」となってしまった。💧💧💧💧💧💧(涙)

 だからこそ、私は往年の面影を求めて?ラベンダーの脂粉ただよう 夜の「すすきの」界隈を目指し宿泊ホテルも、そこのど真ん中を予約した。
-ところが-
 この私の思いは、儚(はかな)いまでの「夢の中の夢」であったのだ。

 その日、ユートリー駐車場に車を置き、八戸駅改札口に向かった。
 飛行機で行くべきか新幹線を乗り継いで、札幌までの列車の旅か、あるいは、苫小牧経由のフェリーにしようかと迷ったが、結果的に「列車の旅」を選択したのだ。
 この選択が、「大凶の旅」「不運の旅」の始まりになるのであった。

 八戸駅の改札口からエスカレーターでホームに降りている時、左足首あたりに何か違和感を覚えていた。
 それは、ユートリー回廊から、キャリーバックを引きずりながら歩いている時から感じていることだった。

 下り「はやぶさ号」がホームに現われた。
 乗り込み、座席に着くと、違和感のある左足首を見る為にズボンの裾をたくし上げた途端、びっくり驚いたのなんのって……。
 左足首周辺が赤黒く熱を帯び、象の足のように異様に膨(ふくら)み、むくんでいるのだ。
「アリャアー」
「蜂窩織炎(ほうかしきえん)になったのかぁー」
 蜂窩織炎とは、あまり聞き慣れないが、その名の如く「蜂の巣」のようにぶっくりと腫れる化膿性炎症のことだ。
 静かっこに触れると踝(くるぶし)のあたりが強く痛む。
「ここから バイ菌が入ったなぁー」
-実は-
 そこの痛んだ箇所から思い当たることがあった。
 それは、今朝方、朝風呂に入った時、湯舟の中でその左足首あたりを、ガリガリと引っ搔いたことが脳裏に浮んだからだ。
「あちゃー」
「まさか、そこからバイ菌が入るとは?」
「よりによって こんな時に……」
 がっくりうなだれて、ズボンを元に戻して座席に深々と背中を沈め目をつむった。

-どうしようもない-
もう、諦めの心境だ。
「はやぶさ号」は新青森はとっくに過ぎて、青函トンネルに入ろうとしていた。
 この化膿性炎症は、新幹線と同じく、病状の進行がスピードアップしていた。
 座席に座わり、足を下に降ろしていると、血流悪化からか、ますます足が膨張し、痛みが増幅してくるのだ。
 それに、熱が上がってきていることは自覚できた。
 それは、頻繁にトイレに行きたくなるからだ。
 貧尿頻発なのだ。

 やっと、新函館駅に着いた。
 しかし、これからがまさに「大凶の旅」本番となった。
「はやぶさ号」は、序章にすぎなかった。
 札幌行きのホームに立って、乗り継ぎの列車を待っている時だった。北海道の風が、私の身に襲い掛かってきたような気がした。
「ブルブル」と私は、震え始めたのだ。旅支度は、春の装いである。

 JR北海道、特急「北斗号」は快適な旅のつもりだったが、
-あにはからんや-
 遅い、遅い、遅いのなんのって。ヤケに遅く感じるのだ。それに横揺れがすごい。
 この札幌までの4時間は、まさに苦悶、苦痛に、苦寒と苦尿の連続だった。
 乗って間もなく、手が震え、歯が小刻みに鳴る。
「こりゃあー!! 39度を越えたなぁー」
 そうは思っても、体温計は無いし、温める方策も無い。
 他の乗客は暑いのか上着を脱ぎ始めた。
 ところが、私は寒い。
 私は、列車の網棚に毛布が上がっていないか、目で確かめた。
「新幹線ならあの辺りにあるはずだ」
 近寄って確かめると、それは乗客の紙袋だった。
 ガクッと肩を落とし、今度は、乗務員を何とか捜し出して、毛布の用意はないかと、尋ねた。
 そしたらである、
「ありませんよ!」と素っ気ないのである。
「毛布ぐらい 用意しておけよ」
「北海道なら寒さ対策を考えろよ!!」
 心の中で叫んでも、徒手空拳に、のれんに腕押しだ。
 黙って腕を組み悪寒に耐えるしかなかった。

-その時だった-
「そうだ!!」
「今日、すすきのに行ったら着ようとしていたジャケットがあったよな」
「それに 明日の研修会では背広の上に正装しての改良衣という黒衣(くろころも)を キャリーバックに入れておいた」
「ジャケットを下脚にかけ 改良衣を毛布のようにして かぶろう」
 取り出して そのようにすると、
「何とまあー」
 御衣(おころも)の温かさに包まれたのである。
 私は、こう思った。
「仏様が守ってくださる」
「御本尊様の あたたかさに包まれている」
 本当に温かく感じた。
「御本尊様!!ありがとう!!」私は思わず呟いた。

 お釈迦様の説かれた『法句経』には、こう述べられている。

 あしきを作(な)す者は
 いまにくるしみ
 のちにくるしみ
 ふたつながらにくるしむ
 「あしきをわれなせり」と
 かく思いてくるしむ
 かくて
 なやましき行路(みち)を歩めば
 いよいよ心くるしむなり (17)

 きっと、お釈迦様も御本尊様も、バカな和尚の私を戒めたくなったのであろう。
 この一節を、その時の私に当てはめて超訳してみると分かる。

 札幌に行き「すすきの」で遊ぼうと「あしきを作そうとする者」は、
 今に苦しみ、後に苦しみ、二つながらに苦しむことになる。
 「悪しきを我、なせり」と
 かく思いて、ますます熱と痛みに苦しむのだ。
かくて
  悩ましき すすきのの行路(みち)を歩めば
 いよいよ心は 苦しむなり

-ずばり-
 言い当てられている。
「高山和尚、お前は、大事な研修大会を前にして、悪しきことを作そうとしている」と……。💧💧💧💧💧💧
 トッホッホッホ

 「すすきの」は狸小路と称されるアーケード街の、とあるホテルに到着して、私は、すぐさま、近くの薬局を訪ねた。
 そこから、またまた「大凶の旅」が続く。
 まさに札幌は「狸小路」に迷い込んだのだ。
 この、札幌「大凶の旅」騒動記の顛末は来月号にて……。
 アイタッタッタ

合掌     

参考/
※「虹と雪のバラード」
  歌:トワ・エ・モア
 作詞:河邨文一郎 作曲:村井邦彦
※『法句経』友松圓諦訳 講談社学術文庫