和尚さんのさわやか説法355
曹洞宗布教師 常現寺住職 高山元延
今月号の「さわやか説法」では、本題から外(はず)れて、脱線説法「知事という語は、なんと仏教用語だった」を急遽導入して語ってみた。
-なんたって-
関西地方の某県・某知事の一挙手一投足(いっきょしゅいっとうそく)ならぬ「一挙口一投語(いっきょくいっとうご)」のパワハラ、おねだり等の内部告発の問題が連日のように報道されては、世間を賑わしていたからだ。
本来は、南部昔っこ「わらしべ小僧」物語なのに、多くの方々から、
「読みましたよ!!」
「知事って 仏教用語だったの?」とか。
「脱線説法の方が、おもしろかったし、為になったなぁ~」とか。
「へェー。そうだったのかあ~」
「そうなんだ!!」と…。
まるで、ジャーナリスト池上彰さんのTV番組のような感想、御意見をいただいた。
本題の「わらしべ小僧物語」は、ぶっ飛んでしまい、誰も言わない…。本当はそっちの方を話題にしてもらいたかったのに…。
トッホッホッホ💧💧💧
先月号において、「知事」なる用語は、古代インド、サンスクリット語の「カルマ・ダーナ」の漢訳で、お釈迦様の時代、今から2500年前のインドの僧院での役職名だったことに由来すると語った。
その事実は、鎌倉時代、日本曹洞宗の祖である道元禅師(1200~1253)が著わした「知事清規(ちじしんぎ)」に記されている。
「仏(ほとけ) 阿難(あなん)に告(つ)げて、難陀(なんだ)を知事(ちじ)と作(な)す。阿難(あなん)、仏語(ぶつご)を伝(つた)う。難陀(なんだ)言(いわ)く、知事(ちじ)とは何(なん)ぞや。阿難(あなん)曰(いわ)く、寺中(じちゅう)において検校(けんぎょう)す」
意訳してみよう。
「お釈迦様が 釈迦十大弟子の一人 阿難尊者に告げて言われた。修行僧の難陀という者を知事とする。
そのことを阿難尊者は難陀に「お釈迦様からのお言葉です」と伝えた。
すると難陀は「知事とは 一体 何ですか」と訊ねたのだ。
すかさず阿難尊者は、「寺の中において検校することです」と答えた。
つまり、寺院における全てのことを点検管理する、いわば総務監督する役職であると示したのだ。
ここにお釈迦様の「知事」としての意味が述べられている。
では「知事」の役職には、どんな人物を選任するのがよいのか。
「知事清規」の冒頭において、こう切り出している。
「知事は 貴(き)にして尊(そん)と為(な)す。須(すべか)らく有道(うどう)の耆徳(きとく)を選(えら)ぶべし」
意訳すると、こんなふうである。
「禅寺における『知事』なる役職は、重要にして尊ばれる存在である。故に、すべからく仏の道に通じた徳をそなえた人を選任しなければならない」とのことだ。
もっと分かりやすくこれを、現代の県知事たる人物像に例えてみる。
「県政における知事なる役職は、重要であり県民や県庁職員より尊ばれる存在であることから、すべからく行政の道に通じた徳をそなえた人望のある人を選任しなければならない」であろう。
これなら、実に分かりやすい…。
『禅学大辞典』における「知事」の項目には、こう記されている。
「知事の知は主、つかさどること。禅門寺院の運営をつかさどる役位をいう。南宋時代には、知事に都寺・監寺・副寺・維那・典座・直歳の六知事がもうけられた」とある。
-なんと-
禅門寺院の運営をつかさどる知事は、六人もいるのだ。
それが、中国の南宋時代には確立していたわけだ。
道元禅師が説かれる『典座教訓(てんぞきょうくん)』の冒頭にこう著わしている。
「仏家(ぶっけ)に本(もと)より六知事あり、共に仏子(ぶっし)たり、同じく仏事(ぶつじ)をなす」
-では-
その「六知事」なる役職は、一体、どう読み、どんな意味なのか?
都寺は(つうす)と読み、監寺は(かんす)、副寺は(ふうす)。
更には維那は(いのう)、典座は(てんぞ)、そして直歳は(しゅっすい)と読むのである。
この六つの役職を現代の国の行政官庁に例えるならば、
都寺(つうす)の都は「すべて」の意味から、寺の総てをつかさどるので総務省であろうか。
監寺(かんす)の監は「監督」の意味から、法務省とか人事関係かな。
副寺(ふうす)は、「喜捨(きしゃ)」の会計管理であるからにして、財務省である。
維那は(いのう)は、修行僧の教育部門であることから、文部科学省であろうか。
典座(てんぞ)は、台所の食料調達から料理部門で、さしずめ農林水産省だ。
直歳(しゃっすい)は、寺や境内の建築物の造営や修繕に樹木の保護等々の任務から環境省とか昔の建設省である。
まあ、いうなれば禅門寺院における各省庁の大臣とも言える重要な役務であった。
このような寺院の「知事」の職に着目したのは、古代中国の「宋(そう)王朝」(960~1209)であったという。
古代王朝の中央集権下による地方統治の為に、府・州・県を置き、その治める長官を任ずるにあたり、この禅門寺院の役職を参考にしたというのである。
更に、この中国の制度を参考にして取り入れたのが、時の明治政府であり、廃藩置県によっての各都道府県における行政の長を「知事」と位置付けた。
それが現在の県知事なのだ。
その知事たる職務についても、道元禅師は説示されている。
「監院(かんにん)(知事)の職は為公(いこう)これ務(つと)む。いわゆる為公(いこう)とは私曲(しきょく)なきなり。私曲(しきょく)なしとは、稽古慕道(けいこもどう)なり。」と…。
即ち「知事の職は、公(おおやけ)に為(な)すことであり、公(おおやけ)に務(つと)むというのは、私利私欲の曲がった心で為すことではない。
私曲なしという公平公正なる心とは、先人の行履を学び、仏道を仰ぎ慕うことなのだ。」
-つまり-
知事たる職務は、県政という「公」の為に尽くし、私曲を持ってのパワハラとか、おねだりとか、ましてや公平公正さを欠いた行政をしてはならないということになる。
その私曲なき公平公正なる役務をすることとは、常に先人や先進の良き例を学び、そして先人の良き政治の道を仰ぎ慕うことであると示されている。
更には、その心とは何かというと
「凡そ諸々(もろもろ)の知事、職に当たるに及びて、事を作(な)し、務めを作(な)すの時節は、喜心(きしん)・老心(ろうしん)・大心(だいしん)を保持すべきものなり」(『典座教訓』)
この喜心(きしん)とは人々を喜ばせる心であり、老心(ろうしん)は思いやりの心だ。そして、大心(だいしん)とは大いなる広い心であり、全体を見通す心でもあるのだ。
まさに「諸の知事は職に当たって県政の務めを作(な)す時は、県民に喜びを与える心、思いを致す心、そして広大な心、大局的な心で県政を保持しなければならない」とも解釈できる。
その点、青森県の前知事も現知事のどちらも、まさに県民を喜ばす心や思いを致す心、そして県政の為の大きな心と展望を保持されていることは間違いない!!
今月号の「さわやか説法」は、「知事」なる仏教用語について道元禅師の教えを紐解きながら、知事なる語源の意味を考察してみた。
合掌
※参考『永平寺知事清規』
『典座教訓』
『道元禅師全集第15巻』春秋社刊
『禅学大辞典』大修館書店刊