和尚さんのさわやか説法356
曹洞宗布教師 常現寺住職 高山元延
「プハー!!何ともいえねぇー!!」
左手で顔や坊主頭をバシャバシャ撫(な)で、そして右手は、シャワーの柄(え)を掴(つか)み、勢いよく冷水(れいすい)を当てていた。
本当は水風呂に入りたかったが、他の湯客で一杯だった。
その銭湯の洗い場のシャワーは、蛇口の右側部分が強弱の調節、左側部分が冷熱の調節となっていて、固定式ではない。
だから私は、汗ダクダクでもあったことから、右側は全開し、左側は冷水にして「プハー!!気持ちえー」とシャワーを当て、浴びていた。
-その時だった-
背中に 熱いお湯がピシャピシャと掛かってくるのを感じた。
「何だろう?」と思って、後を振り向くと、若者が、こう言い放った。
「あんたのシャワーがこっちの湯舟まで、ブンブンと飛んでるぞぉ!!」(`^´)(`^´)怒(`^´)(怒)……。
私はハッとし、
「こりゃぁー。失礼しましたぁー」と叫んでいた。
まさに、冷や水を浴びさせられるのではなく、お湯を浴びさせられた。
「確かに、ここの銭湯のシャワーは 市内でも一番勢いが強いかも?」
「それを 顔面に当てていたら勢い余って、後までブンブン飛んでいたんだな」と、反省し弱めにして、またシャワーを坊主頭に当てた。
ところが、弱めのシャワーは、ちいっともおもしろくないのだ。
「やっぱり シャワーは勢いよくないと浴びた気がしねぇ~なぁ」
「さっきの客は、シャワーがブンブン飛んでいたもんだから、ぷんぷんと怒ったんだな!!」
「こりゃぁー。ブンブンには、ぷんぷんだな!!」と、今度はシャワーではなく、ダジャレを飛ばしていた。
「ブンブン!!ぷんぷん!!」ってね……。
-てなことで-
今月号の「さわやか説法」は、久しぶりに「銭湯物語」だ。
それも=怒られ編=である。
私は、朝夕の2回、銭湯に通っている。それも毎日だ。
だからだろうか?
結構、いろいろなアクシデントがあり、いつも他の湯客からお𠮟りを頂戴する。
以前の「さわやか説法」で紹介したような「銭湯大欠伸(おおあくび)事件」や、「銭湯お互いさま事件」もあった。(348号、349号)
銭湯の湯舟につかって欠伸(あくび)をしては怒られ、はたまた、洗い場の隣りの客からはクレームをつけられる。
きっと、私は怒られやすいタイプなのか、怒っても黙って受け入れてくれる、おとなしそうなタイプと思われているのであろうか……。
-実は-
さにあらず。多分?いろいろなことを仕出かすタイプであり、何かを やらかすタイプだからだ。
静かに、おとなしく石破(いしば)新総裁の掲げるキャッチコピー「ルールを守る」の如くに銭湯に入っていればいいのに……。
きっと 何かを仕出かしているに違いない。
-例えばである-
湊町のとある銭湯だ。
そこは、エレベーターで上る2階建ての銭湯だ。
その銭湯は浜が大漁の時は、朝風呂は漁師さんたちで大賑いだ。水揚げ後に、ひとっ風呂浴びにくる八戸ならではの銭湯なのだ。
お湯は熱く、水はその逆で、まっこと冷たい。
水風呂に入るや、「いち、に、さん」で上りたくなる程の冷たさなのだ。
そこに行き始めたばかりのことだった。
あまりの冷たさに、私は、こともあろうか!!
水風呂に隣接する洗い場のシャワーのホースを伸ばして、ドボンと水風呂に沈めた。
それも熱くしてだ。要するに、適度な水風呂の冷たさにして入ろうと思ったのだ。
-その時だった-
サウナに入っていた爺さん客が、突然ドアを開けて、水風呂に入ろうとした時だった。
「何で?水風呂にシャワーが沈んでいるのか?」
不思議がって、それを取った瞬間だった。
「アツゥー!!」
「誰でェー!!」
「水風呂さ、湯ば突っ込んだのはぁー!!」(怒)
私は、入っていた湯舟から、ガバッと立ち上がって、その爺さん客に向かって叫んでいた。
「すみませ~ん」
「すみませ~ん」
「バガっご!! 水風呂さ なして湯ば入れるのよぉー!!」(怒)
私に熱い湯が出っぱなしのシャワーホースを投げつけてよこした。
「いや、お客さん皆さんが入りやすい冷たさにしようと思って…」
という言い訳は 喉元でグッとつまった。
行き場を失ったシャワーは、床面をのた打ち回っていた。
トッホッホッホ💧💧💧。
やっぱり!!言い訳は言い訳にすぎない。
水風呂はやっぱり冷たいからいいのだ。
水の神様も怒ったに違いない。
-こんなこともあった-
これは、45号線とゆりの木通りの交差点付近の高台にある温泉銭湯だ。
やはり、水風呂でのことだった。
ここの水風呂は、程良い冷(つめ)たさと言うか。ものすごく入りやすく客の誰もが、ゆっくり熱くほてった身体を冷(ひや)す。
結構、大きいので、皆なで入る。
そこに、私も他のお客さんと共に入っており、上がる時だった。
フチに置いといたタオルをその水風呂にバシャバシャとやり冷たいタオルで顔を拭こうとした。
それを見てとった、爺さん客が激怒一発!!
「こりゃあー!!」
「タオルば、風呂の中さ入れるんじゃねェ!!」
「和尚さん!!」
「そったらごどしだらダメだべ!!」
私は、「和尚さん」と名指しで咎(とが)められたもんだから、ギクッと、その場で硬直してしまった。
爺さん客は、続けてこう言った。
「こごは、皆が入る風呂だ」
「そごさ、アンダのタオルを入れで、バシャバシャしだら、他のお客さんの迷惑だべ」
「和尚さん!!」
「分かるべェ!!」
私は「ハッハー」と頷くしかなかった。トッホッホッホ💧💧💧
まさに、言う通りなのだ。
「湯舟にはタオルを入れないで下さい」
風呂場入口のガラス戸には大きく注意書きが張ってあるではないか。
お湯の神様も怒ったのだ。
お釈迦様が説かれた真実の言葉『法句経(ほっくきょう)』
こんな一節がある。
すべてのひとは
幸福(たのしみ)を好(この)む
されば
おのれ自(みづか)らの
たのしみを求むる人
もし 刀杖(つるぎ)をもて
他人(ひと)をそこなわば
後世(のち)にたのしみ
あるなし (131)
意訳すると-
私達、全ての人々は幸福を好み求める。
だからこそ 自分一人だけが楽しみを求めんとして武器を持って
他の人を損(そこな)うようなことをすれば、後の世において幸福を得ることはないであろう。
このような教えである。
-これを-
私自身での「銭湯怒られ事件」に当てはめて超訳してみよう。
すべての銭湯好きの人々は、風呂に入ってその幸福を好み楽しむ。
だから、自分一人だけ風呂で楽しもうとする和尚が 何かを仕出かしタオルやシャワーを持って 他のお客を損うようなことをすれば 後に 銭湯の楽しみを得ることはない。
との教えに受け取れる。
-嗚呼…。-
きっと、お釈迦様、あるいはお湯の神様、水の神様は、このアホな和尚を戒める為に、それぞれのお客さんに成り代わって怒って下さったのであろう。
銭湯は、いろいろなことを私に教え示してくれる心の「修行道場」でもあり、怒られても楽しい、まさに「幸福道場」でもあるのだ。
合掌
※『法句経』友松圓諦訳 講談社学術文庫