和尚さんのさわやか説法361
曹洞宗布教師 常現寺住職 高山元延
この度、古都は京都の超名刹・「清水寺(きよみずでら)」の貫主(かんす)様 森(もり) 清範猊下(せいはんげいか)が 八戸に来られることになった。
それは 「八戸の漢字一文字」を ご揮毫され、それに因(ちな)んでの仏教のお話しを八戸市民の方々に御講演をなさる為にである。
森 清範猊下は、今や、年末を飾る日本の風物詩ともなった「今年の漢字」を あの清水(きよみず)の大舞台(おおぶたい)で堂々と書き上げられる現代の名僧中の名僧といえる方だ。
6月11日 八戸市公会堂で、一般公開の予定であり、詳細については本文中の「さわやか説法」で お伝え申し上げる。
―てなことで―
まず、「清水寺(きよみずでら)」とは、一体、どんなお寺なのであろうか?
そこから 始めることにしよう!!
京都の「清水寺」(きよみずでら)!!
皆さんは先刻、御承知のことであろう。
古都京都の代表的な寺院であり、日本国内の観光客のみならず、世界各国のインバウンド(訪日客)が訪れる。
私自身、初めて訪れたのは 昭和41年3月、高校の修学旅行の時であった。
記憶に残っているのは、仏像や本堂伽藍というよりは、祠(ほこら)の頭上より流れ出る三本の滝で、その水をガブ飲みしたことである。
この滝は「音羽(おとは)の滝(たき)」と称せられる 清水寺の起源ともなる霊水だった。
それは、和尚になった今だからこそ知り得たことであり、高校生当時は 霊験があるとか、由来とかは、知らぬ存ぜぬことで、この三本の水はそれぞれに「健康長寿」「恋愛成就」「学業成就」の三つの御利益があるというバスガイド嬢の解説を鵜呑みにしてのことだった。
八高在学当時、学業に低迷し、恋愛なんぞは、もっと低迷し、とんとご無沙汰の限り。更には不健康・不健全を送る私にとってはまさに「ワラにもすがる思い」で、三つの成就を願って我れ先にと「音羽の水」にすがった。
―しかしながら―
飲めばいいと、いうものではない。
本来ならば、三本の中から一つを選んで、一つだけ願いをかけることが基本的な祈願作法だそうだ。
飲み過ぎてしまうと欲深さを観音様に見抜かれてしまい、どんな願いをしようとも一切、叶わないということだ。
道理で、私は その霊水の御利益なるものは一向に効き目もなく、その後も、ずうっと学業も恋愛も成就することなく低迷の一途をたどり、不健康の限りを尽くすばかりであった。
トッホッホッホ💧💧💧
―さてさて―
清水寺(きよみずでら)の本題に戻して、その由来縁起について語ろう。
抑々(そもそも)、その起源は 先述したアホな八高生がガブ飲みした「音羽の滝」によると云われる。
宝亀9年(778)、奈良・大和国で修行を積んだ「賢心(けんしん)」なる僧が霊夢において「ここより北に向かえ」とお告げを受けたことが始まりとされる。
僧・賢心は、そのお告げに従い、北へと歩みを進めた。つまり現在の京都方面なのだ。
やがて、「音羽山(おとはやま)」と呼ばれる山麓に至り、金色(こんじき)に輝く水流を見出したという。
賢心は、その源(みなもと)をたどって行くと、「清(きよ)らかなる水(みず)を湧出する滝を見つけ、そこで「滝行」を一心不乱に行ずる「行叡居士(ぎょうえいこじ)」という老仙人と出会ったのだ。
老仙人は 賢心と出会うや否や―。
「おぉー!!あなたが来るのを、ずうっと待っていた。私は東国に修行の旅にでる」
「後を頼むぞ!!」と言い残し、立ち去ったという。
この老仙人こそ、賢心の夢に現われた観世音菩薩の化身であったのだ。
賢心は、そのことを悟り、行叡居士が残していった霊木(れいぼく)に観音像を自ら手刻(しゅこく)しては
「この地は、観音菩薩の霊地なり」と、老仙人の草庵に安置し守り続けた。
この老仙人が滝行をしていた滝は「音羽山」に因み、「音羽の滝」と後に称せられるようになったとのことである。
その二年後の宝亀11年(780)に、鹿を捕えようとして「音羽山」に入り込んだ「坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)」が、この地で修行する賢心と出会ったのだ。
田村麻呂は、妻の高子の病気平癒の為に、その当時、薬となる「鹿の生き血」を求めてのことであったが、賢心より「殺生の罪」を説かれたことにより、観音菩薩に深く帰依し、その菩薩を祀(まつ)る為の御堂を寄進建立したのであった。
この時、まさしくこの御堂は、観世音菩薩の霊場となり、音羽山(おとはやま)の「清(きよ)らかなる水(みず)」の湧き出ずることから、「清水寺(きよみずでら)」と名付けられたという。
以上のことから、清水寺においては 行叡を高祖、賢心を開山、そして田村麻呂を本願と位置づけ「音羽山(おとはざん) 清水寺(きよみずでら)」として、1250年の歴史と幾多の住職の連綿護持する誓願によって、古今東西、多くの信仰と参拝を集め親しまれている。
この「音羽山 清水寺」の現貫主(かんす)住職様が
今般 八戸仏教会の要請を受けて御来八される「森(もり) 清範(せいはん)」猊下(げいか)、その人であった。
森貫主様の名を世に広しめたのは 公益財団法人日本漢字能力検定協会(略して「漢検」)が、年末に全国から公募した「今年の漢字」の一文字を堂々と一筆揮毫されるお姿が、その選ばれた漢字と共に、ニュースとして全国放送されてからであった。
「今年の漢字」は、年末の「12月12日」に発表され揮毫される。
なぜ?「12月12日」なのか?
それは、「いい字、いち字」の語呂合せで、12月12日を「漢字の日」として制定しているからだそうだ。
この「今年の漢字」の第1回目が発表されたのは、30年前の平成7年(1995)であるとのこと。
皆さん!!平成7年といえば、どんな年であったろうか?
思い出してみてもらいたい!!
―そう―
阪神淡路大震災の年である。八戸においては、前年の12月28日に「三陸はるか沖地震」があり、1月7日には、その大きな余震に見舞われた年である。
その10日後の1月17日、関西地方に巨大地震が襲来したのだ。
その第1回目の「今年の漢字」に選ばれたのが、まさに「震(しん)」だったのだ。
「東日本大震災」の年は、「絆(きずな)」であった。
爾来 令和6年まで30回を数え、昨年は「金」という漢字だったことは まだ記憶に新しい。
31年目が今年である。
その「今年の漢字」が決まる前に、八戸において
「八戸の漢字」一文字を 清水寺の貫主様がSG GROUPホールはちのへ(八戸市公会堂)で ご揮毫してくださるというのだ。
―しかも―
その「八戸の漢字」を選ぶのは、私達、八戸市民であり、八戸を愛する県内外の皆さんなのである。
どうぞ このページに添付してある 公募コードを スマホでクリックして応募していただきたい。
「あなたが選ぶ 八戸の漢字一文字」なのだ。
そして その一筆揮毫される日が、
来る6月11日(水)夕方の17時頃であり、続いて御講演をされる。場所は八戸市公会堂だ。
まさに その日は、公会堂のステージが「清水の大舞台」に化すのではないだろうか!!
どうぞ 皆さん、二次元コードにアクセスして
あなたが「八戸の漢字」を選んでいただきたく存じます。
―そして―
公会堂の大舞台で、公開される生(なま)の一筆揮毫の姿を見てみたくはありませんか?
合掌
※入場チケット(千円)は、お近くの市内各寺院にてお求めください。あるいは、常現寺まで。
※参照/・清水寺公式HP ・公益財団法人日本漢字能力検定協会公式HP