和尚さんのさわやか説法293
曹洞宗布教師 常現寺住職 高山元延

 全国的に猛暑の夏だという。西日本各地では39度、40度を超える異常な暑さが続いている。
 しかし、北国八戸は西日本とは真逆の涼しさだ。きっと関東方面からの里帰りの方々や観光客の方々は、びっくりするにちがいない。
—でも—
 お盆は涼しい夏であろうが、やはり暑い。
 それは気温という意味ではなく「お盆」そのものが熱気を帯びるというか、人々の亡き人を偲び、御先祖様を尊ぶ日本古来からの熱い思いが込められているからである。
 私にとっては、この暑いお盆を迎える以前の7月に最も暑い夏を実感した。
 それは、先月号の「さわやか説法」で述べた如くの駒澤大学「竹友寮」の同期生たる悪友どもが、ここ八戸市に集結したからだった。若き青春時代を語り、共に酒を酌み交わし、高歌放吟、談論風発の暑くて熱い夜となった。

—てなことで—
 その竹友寮での入寮顛末記を語ってみよう。
 何故に語りたくなるのか?
 それは、その学生寮は、単なる学生寮ではなく、たぶんここにしかない特殊性があるからだ。
 例えば、東京大学の駒場寮、北海道大学の恵迪(けいてき)寮、あるいは八戸市出身の学生達の江古田寮等々の多くは、どこの学部であろうが一般学生に開放している学生寮だ。
 しかし、駒澤大学竹友寮の入寮条件は「得度した者に限り」とあった。
 つまり、将来的に和尚となり、仏の道を歩むことを志した学生のみが入寮出来たのである。
 駒大仏教学部は、仏教一般を学ぶ「仏教学科」と禅に特化した「禅学科」で構成されている。竹友寮へは先述した如く坊さんの卵たる学生だけにどちらかの学科で学んでいるのだ。
 故に、学舎も生活自体も常に一緒である。
 即ち大本山の僧堂生活を規範とする修行道場的な学生寮だった。

—このことは—
 全員が一律化した行動を取り、自我の主張という「利己心」を制し「お互いに」という「利他心」の醸成にあったのではないか。

 入寮1日目、古参の先輩方は温かく迎え、布団袋を開けるやら、日用品の整理を手伝ってくれた。新入生らは一様に、その温かさを感じ、これからの寮生活や学生生活に希望を膨らませていた。
—ところが—
 そんな生温かい印象など微塵にも砕かれるのであった。
 真夜中の午前1時!!突如として竹友寮全体のベルが、けたたましく鳴った。
 それと共にドアがドンドンと叩く音がする。
「起きろ起きろ」
「全員、廊下に出ろ、出ろ!!」
 私は受験の時に経験があるといっても、まさか夜中の1時だとは思いもよらなかった。
 新入生らは、おっとり寝ぼけ眼で、モゾモゾと廊下に出る。
 すると先輩らの怒声や叱声が寮全体に反響しては地震の如くに揺らぐのであった。
 竹友寮は6班あり、中央玄関に向かって左側が1班、そして右側が2班だ。そして2階が3班4班、3階が5班に6班だ。
 それが、一斉に同時刻なものだから、まさに喧騒の渦の中にいた。
「点呼!!」
先輩らの指示により、先頭の者から
「1、2、3、4」だ。ところが先頭付近に位置している当たりは、リズムがいいが、10番を越えて「11、12、13」なんてくると、どっかで間違ったり、つまったりもする。
 すると「元へ!!」だ。何十回も延々と繰り返される。
 そして、次に各階全員の点呼が終了すると食堂に集められる。
 夕刻、食事をしたテーブルは片付けられ、窓際には、そのテーブルの何脚かがステージのように仕つらえていた。
 そこには、強面の3年生の先輩らが仁王立で待ち構えている。2年生の先輩らが各部屋を点検した、その紙を壇上の3年生に渡すのだ。
 すると
「○班○号室、布団がたたまれていない」
「○号室、手を上げてェー」
「ハァーイ!!」右手を上げる。
 すると
「そのままにしておれ」
「絶対に下げるなよ」
 次に「窓に鍵がかかってない」とか「カーテンが開けっ放しだ」
 ありとあらゆる細かな点まで指摘する。
 私なんぞは、片手ではすまなくなり両手を上げる。それは私だけでなく、ほぼ全員だ。
 この両手を上げている間、これまた延々と説教訓示がなされるのであった。
 上げていた両手は、苦痛を伴い、逆八の字形に広がっていく。
「ベジッ!!」
先輩方の竹刀やら警策でその手の甲を打たれる。
 当初は直立不動だが次なる試練は「正座」だ。
 もうこうなると、両手の苦痛に顔がゆがみ、足はしびれるで、全身が震えてくるような感じがしてくる。
 かれこれ1〜2時間経ったろうか?
 ようやく説教も終り隊列を組んで部屋に戻っては、手や足をさすって、残り少き朝までの就寝をむさぼる。
—ところが—
 また4時ごろに、ベルが鳴り、ドアが叩かれる。
 点呼をし、また食堂で訓示だ。
 竹友寮は、この指導期間は一切、外出することができない。
 外出は大学の授業の時だけだ。先輩らの目が光らない、届かない時間は授業中だけだ。
 寮生は一様に授業そっちのけで仮眠に惰眠だった。
 この指導は日を追うごとにエスカレートしていく。
 この指導ベルはいつ鳴るか分からない、また日に何度もだ。夜中であろうが、朝方であろうがお構いなしだ。一日、4回ぐらいの時もあった。こうなると新入生どころか、先輩方もヘトヘトになってくる。
—いつまで—
続くのだろう?
 一週間後のことだった。全員が点呼のあと食堂で訓示を受ける。
—でも—
 この時は様子が違っていた。その訓示は怒声や叱声ではなく「激励」の言葉だった。
—直後に—
「これで 指導期間は終わる」
「皆な よくガンバッた」
と、先輩らが窓が割れんばかりの大きな拍手をした。
 先輩らが両側に分かれ、拍手をしながら肩を叩いたり、握手をしては、隊列を組んで進む私達一人一人を激励するのであった。
 新入寮生らは感極ったのか、涙がとめどもなく溢れて止まらなかった。

 竹友寮の正面玄関にこんな墨書が掲示してあった。
「乳水の如くに 和合して たがいに道業を 一興すべし」
 この語は曹洞宗開祖道元禅師が『正法眼蔵』で説かれたものであり、修行僧への僧堂生活への規範の一つである。
「諸君よ、乳と水が混り合い、和合するようにして、僧堂での学業と仏道に励んで 更に志を高く興しなさい」という教えである。

 あの先輩らの厳しい叱咤や訓示は、まさに学生としての和合の志を同じくし、僧侶の卵として切磋琢磨し、精進してもらいたいとの大きな慈悲であり、大いなる温かさでもあったのだ。

—故に—
 そういう同じ体験をしてきた、また困難に立ち向かってきた同期の竹友寮生は固い絆で結ばれ、悪友どもは全国各地でそれぞれの寺院活動を展開している。
 その素地は、駒大竹友寮で育成されたのだ。

合掌