和尚さんのさわやか説法279
曹洞宗布教師 常現寺住職 高山元延

 今月号も、またまた「藍綬褒章受賞顛末記」である。昨年12月号からの続きで「第3弾」となる。
—そう—
 この度の「皇居参内」での私のハプニング事件も第3弾目だ。
 その物語は、ここから始まった。
 宮内庁職員が歩くことの不自由な御老人の手を引きながら椅子を持ってきた時、職員は私と目が合うや、すかさず私の隣にその椅子を置いたことからである。
 私は、その受賞者である御老人がガニ股歩きで歩いてくるのを見た時、「どっかで、この爺さんを見たことがあるなぁー」と思った。
—なんと—
 その御老人は、私が「ふぁみりぃ新聞社」にFAXする為に、早朝、ホテルのフロントに行った時、モーニング姿でロビーを徘徊していた方だったのだ。(※昨年12月号参照)
—その時—
 私は「この人も受賞者だな。」
「でも、大変だよな。こったにヨタヨタしていれば、陛下拝謁の時、立っていられるべが?」と妙に印象に残っていたのである。
 その印象とは、背の高い御老人であるが故に、ガニ股の広がりようが、O脚どころか
「縦六角形型」に屈曲して見え、もっと具体的に言えば、平蟹(ひらがに)やタラバ蟹でなく、ズワイ蟹のような細く足の長い「ガニ股」だったからである。
—偶然とはいえ—
 私は「ありゃあー」と心の中で感嘆の声を上げていた。
 御老人は、私の隣に置かれた椅子に手を掛け、そして座ると「どうもどうも」と会釈した。
 そうこうしているうちに、いよいよ陛下の御拝謁となり、大きな襖が開いた。

 一瞬にして、皇居「豊明殿」全体が、張り詰めた空気におおわれた。
 隊列を組む受賞者全員が一様に背筋を伸ばし、手も両脇にピシッと延ばし、斜め45度的な姿勢となって、陛下をお迎えする。
 隣の御老人も椅子に座りながらも、同じ姿勢となっていた。
 約六百名の受賞者・配偶者がいようが咳(しわぶき)一つ聞こえない。
 透明なる静寂の中で陛下が歩まれるところだけの空気が動く。
 そして、壇上にお立ちになった時、受賞者及び参列の配偶者は姿勢を元に戻し、仰ぎ見たのである。
 陛下は、私達に対して、受賞への喜びと労をねぎらう「御言葉」を述べられた。
 そのお声は、おだやかな優しさで満ちあふれながらも、凛とした響きがあり、胸が打ち震えるばかりであった。
 それと共に、その場の空気が和やかな暖かさに包まれ、何とも言えない心地良い温もりに抱かれるのである。
 全員が「陛下の御心(みこころ)」に吸い込まれていくような感動を覚えていた。
—そして—
 陛下は御言葉を終えられた。受賞者に対してその前をお歩きになられて、労をねぎらってくれるのである。

—ここから一転!!—
 緊張の糸が切れたかのように、皆さんが笑顔となった。
 陛下は一人一人に、あの優しき微笑みで廻られ始めた。
 特に前列となって、直近で陛下と御対面できる受賞者は「これぞ光栄の極み」とばかりに飛びっきりの笑顔だ。
 私は「右向け右となった」ばっかりに、一番後ろだ。
 陛下の白髪しか見えない。まさかピョンピョンと飛び跳ねるわけにもいかず、その様子を遠目に見るしかなかったのだ。

—しかし—
 前列を廻り終ると、陛下は後列の方に向かって歩かれてきたのだ。
 つまり、受賞者と配偶者の間を歩かれ、内助の功たる配偶者の方々へも労をねぎらうとの御配慮なのだ。
 それと共に、前列ばかりでなく後列の受賞者にもという満遍(まんべん)なくとの陛下の御心配(おこころくば)りである。
 後列の受賞者方も、前列と同様に最敬礼をしながらも飛びっきりの笑顔になっていた。
—とうとう—
 私も真近に陛下を仰ぎ見ることが出来る。妙に胸が高鳴ってきた。
 それは、隣りの立つこともままならない御老人も同じだったかもしれない。
 いきなり、すっくと立ち上がって腰をかがめ最敬礼の姿勢となった。
 私は、和尚なるが故に、モーニング姿であろうが合掌をし、深く拝礼をしたのだ。

—そうしたらである—
 陛下が、私の方に近寄ってきて御言葉を投げ掛けられたのであった。
 ゆっくりとした御口調で「だ・い・じょ・う・ぶ ですか?」と……。
 私は、陛下から声を掛けられたと思い、こともあろうか咄嗟に「はい大丈夫です!!」と陛下に対して返答を発してしまったのだ。

—何のことはない—
 陛下は、私にではなく、隣りの御老人受賞者に対して、椅子に座っていたのに立ち上がった様子を見て取り、その御老人へのいたわりの言葉を掛けられたのである。
 陛下の御靴は、私の前を通り過ぎ、その御老人の前で立ち止まった。
 私は最敬礼をしていたこともあり、陛下の御靴の動きが、しっかりと見えていた。

 陛下が立ち去られ、隣りの御老人は椅子に座わり直し、顔を「クシャクシャ」にして感動の流渦の中にいた。
 それに反して、私の心の中は「グジャグジャ」になって羞恥と懺悔の滝底に落ちていた。
 「恐れ多くも、陛下に声を発してしまった」
 「それも、大いなる勘違いで……」トホッホホ💧💧💧
 これが私の「藍綬褒章受賞」ハプニングの第3弾目である。

—このようなことも—
ありながらも皇居参内は無事終わって帰途のバスに乗った。
 座席に着くと、「ありがとうございました。おかげさまで、草履は剥がれることなく無事でした。」
 満面の笑みを浮かべてあの御婦人受賞者が足元を指さした。
 私は、「それは、よかったですね」
「御無事で何よりでした」
 私は、この御婦人の感謝の言葉で、かえって救われた。
 それは、あの「はい。大丈夫です」の返答ハプニング事件で「グジャグジャ」になっていた滝底から、私は、やっと這い上がることが出来たからである。

 藍綬褒章受章のいろいろな顛末がありながらも、八戸に帰寺してまもなく、一通の手紙が届いた。そこには、こう書かれてあった。
「11月15日、皇居参内のバスの中で大変お世話になりました。
 当日、私にとりましては高価な草履であり、ただ久し振りの使用でありましたが、まさか底面の皮の部分が、はがれるとは全く思いも寄らず安心しきって履いておりました。
 慌てる私から草履を手にとって、見事に修理をして下さり、まさに「地獄に仏」の諺通りの尊い体験をさせて頂きました。
 晴れの日の思わぬ大失敗を見事に守って頂きました。
 お陰様で無事に皆様と行動できたことは、私の生涯の思い出の日となり、心に深く残りました。
 本当に心から厚く御礼申し上げます…。」

 あの御婦人からであった。

 私にとっても、このお手紙と、いろいろなハプニングの顛末は忘れられない生涯の思い出ともなる「宝物」となった。

合掌