和尚さんのさわやか説法227
曹洞宗布教師 常現寺住職 高山元延

 「えっ!!このラーメン、ただなんですかぁー!!」
 私は電話の向こうの人間に叫んでいた。
 「ちょっとちょっと。待ってください。ただでいいって言ったって、1000食のラーメンですよぉ?!!1000食のぉー!!」
 「はい!!いいのです。こちらから提供させていただきます。」
 「和尚さんが、被災地の皆さんに、私達の八戸ラーメンを届けてくれるというのですから……。」
 「私達は喜んで提供させていただきますよ!!」
 そのはっきりとした口調に、私はグッと胸が詰り、絶句してしまった。
—そう—
 この会話は、どこかの食堂で、ラーメンを注文した時のことではない。単なる電話口でのことだが、その内容は大きく、そしてその心は八戸ラーメンと同じく温かい!!。

—ここにいたった、その背景とは?—
 さわやか説法226号で説明したが、あの大震災の後、私は3月23日〜25日、国道45号線を南下し、岩手県野田村、釜石から始まり宮城、福島県までそれぞれの被災地の避難所、特には被災寺院を訪れた。
 その時の私の心は、3月14日、停電が回復し、各地の状況、またかろうじてつながった電話での情報により、胸はギュンギュンと鳴り、いても立ってもいれなかった。
 どうにかして上げたい。でも、どうにもならない。
 何とかしてやりたい、でも、何ともできない。
 だからこそ、現地に行き、被災し茫然としている和尚さんや皆さんに一言でもいいから声を掛けたい。
 そんな衝動にかられていた。
 さて、行くと決意したのだが「自失している人々」の心を癒すには、どのように……。
—その時—
 なんとか通じた現地の和尚さんのカスレ声が思い浮かんだ。
 「避難している人達は皆な、今、温いものが食べたい。」
 「汁物が食べたい」と言っていることを!!
 「そうだ!!それはラーメンがいい。それも八戸から救援物資を持って行くんだから、八戸ブランドの『ラーメン』と『せんべい汁』だよな!!」
—しかし—
 思いついたのは良いが、どこに頼み、どういう手立てで短時間で用意することができるのか?
 何たって、持っていく数量はそれぞれ1000食分と考えていたからである。
 私は脱兎の如く飛び出し、近くのスーパーに走った。麺コーナーらしきところを捜した。そしてそこの前にやっとたどり着くと、
—なんと—
 その陳列棚は、ガラン洞のなぁ〜んにも無いのである。ただ空しく白く棚が光っていた。
—そう—
 八戸市民だって、温いものを食べたいのは当たり前のことである。
 ガックリ肩を落とし帰ろうとした瞬間!!片隅に、本当に片隅に「八戸ラーメン」のパッケージが目に入った。それも、たった1個である。
 「あったぁー!!」小踊りして喜び、そのラーメンを愛しく手に抱きかかえた。
—この一個の偶然が—
 思わぬ方向に展開していくのであった。
 早速、お寺に帰り、ラーメンの中味ではなくパッケージに記載されている製造元を調べた。
 千食分を用意できるのは製造元しかない。
 そこには「八戸ラーメン会 白鳥省吾」と書かれてあった。
 私は喜んだ。その白鳥省吾さんとは、八戸市の「子ども会」活動の重鎮であり第一人者の方である。私自身もかつては小中野地区での子ども会活動を通して知らない人でもない。
 昔の電話帳を引張り出すと震えるようにして電話した。
—しかし—
 その電話に出たのは息子さんであった。ことの子細を話すと、声が低くなり、「今、実は父は入院してまして…」と言う。私はヘタヘタと膝の力が落ち、うなだれ電話を切ろうとした。
 その時のことである。「ちょっ、ちょっと待って下さい。八戸ラーメン会の担当は八戸商工会議所ですから、そこに電話をすればいいかもしれませんよ」
—また糸が繋がった—
—まだラーメンの糸は切れていなかった—
「もしもし、八戸商工会議所さんですか?」
 私は被災地への思いを語り始めた。
 電話口に出た担当の職員の方はとまどいながらしっかりと私の話を受け止めてくれた。
 「1000食ですかぁー。今市内は、どこでもラーメンや麺類は在庫がないし、なにしろ原料の粉が流通ストップで入荷してないんですよぉー」
 まさに震災の影響でスーパーに麺類は無いことは捜しに行った時分かっている。そして東日本の道路は寸断され、ガソリンは底をついている。
 私はため息をつくしかなかった。「やっぱり、ダメかぁー」と。電話は切れた。
—ところが—
 糸は切れていなかった。
 お彼岸の中日の法要の後だった。
 一本の電話がかかってきた。「和尚さん!!大丈夫です。何とかそろえそうです」
 「えっえー。ほんとうですかぁー。」
 「明日には、大丈夫です。でも取りに来てもらわないと、何しろガソリンが無くて…。」
 「分かりましたぁー。取りに行きます。天国でも地獄でも!!」と、訳の分からないことを叫んでいた。
 「それで代金は、スーパーのパッケージを見ると2食入り・360円なんですが、何とか少しでもまけてくれませんか?」と、小声でおそるおそる値段交渉をした。
 「えっ!!和尚さんは八戸市の依頼で被災地に行くんじゃないですか?」と商工会議所の担当者は私に聞いた。
 「いえ!!個人的な行動です。だから1000食も用意してもらって、まけて下さいというのも、迷惑だと思いますが、そこを何とか!!」と受話器を握りながら平身低頭した。
—そしたらである—
 「八戸市でなく、個人的にわざわざ行くんですかぁー」と驚いた瞬間!!
 「いいです。提供します。がんばってきて下さい!!」と激励してくれたのである。
 こちとらは、びっくり、たまげたのなんのって、
 「ですけど、1000食で18万円ですよ、それを無料だなんて申し訳ないですよ」
 「いいんですよ!!こちらは、行けない分、商工会議所としてボランティアしますので」

 私は八戸人の「八戸の心」、末広がりの「八の心」、皆なを思う「温かさ」を感じざるをえなかった。
 私は受話器を切ることが出来ず、そこに立ちつくしていた。
 この物語の展開が今月号冒頭の絶叫であった。
 たった一個残されたスーパーの陳列棚のラーメンから、被災地への千食ラーメンへと「八戸の心」が継がり、切れなかったのである。しかも、ラーメン自体の製造元会社では、ガソリン不足の中、お寺まで届けてくれたのである。
 1000食は50食づつに分けられ、20個のダンボールには従業員の方々による、「がんばれ東北」「がんばろう東北」との寄せ書きがマジックで書かれてあるではないか!!
 私はそのラーメンとせんべい汁をトラックに積んで被災地に走った。
 その日は寒かった。45号線は吹雪の中を走った。
—でも—
 心は、とてつもなく暖かく、温もっていた。
 帰ってきてから、八戸商工会議所に連絡すると、却って、私に御礼を言うのである。
 「和尚さんのおかげで私達も、八戸各地の避難所の皆さんに暖いラーメンを食べさせたいということに気づき、市内全避難所を訪ねましたよ」「皆さんが喜んで食べてくれて、私達も嬉しくなったし、本当に救われました」 
 まさに、この八戸商工会議所の心は、『観音様の心』そのものなのだ。それは、「与楽抜苦(よらくばっく)」「人々に楽(らく)を、楽(たの)しみを与え、苦しみを抜く心」であり、人々を慈しむ「いたわりの心」だからである。
 私は、ここに八戸人の八戸人たる心とその実践行に感動せざるをえなかった。
 そして叫びたい。「八戸人って、スゲェーなぁ!!」「八戸人の心って、あったけェーなぁ!!」ってね。

合掌

  
被災地、石巻の避難所の子どもが送ってくれた八戸市への「感謝の絵」
石巻市洞源院避難所から送られてきた子ども達の「感謝の絵」