和尚さんのさわやか説法206
曹洞宗布教師 常現寺住職 高山元延

 さてさて今月号もまた「さわやか説法」は「創作ぼくざん物語」の続きであります。
 漢学者、菊地竹庵先生は穆山(ぼくざん)こと幼名万吉。そして今は金英と呼ばれる和尚の顔を、まじまじと見つめながら、こう言い切った。
「金英さん!!お前さんは、幼い頃から閻魔大王も唸らせるほどの『地獄心』というものがそなわっているのかもしれないな!!」
「そりゃあ!先生、どういうこって?」
 雁金屋(かりがねや)の主人が縁側から身を乗り出して聞いた。
「それはな!!」と竹庵はゆっくりと語り始めると、南部八戸から来た金英和尚の子供時代を知る3人衆も固唾を飲んで、耳を傾けた。
「この金英は、どんな所にあっても、どんな時でも、動ずることのない胆力がある。例えば、地獄にいても、その責め苦に遭遇しようが、平然とした揺るぎのない心があるのだ。」
 皆は確かにと、頷いた。
「そしてな!!その地獄心が何故そなわっているかと言えば、金英和尚の根底には、他を深く慈(いつく)しみ、救(すく)わんとする慈悲という「極楽の心」があるからなんじゃ!!」
「地獄心、極楽心は表裏一体のものじゃ!!」
 こう、竹庵は言い切って、金英和尚の澄んだ眼の奥底を見るかのように覗いた。
 その時、雁金屋の主人はピタッと膝を打つやいなや、
「てぇーてってことは、幼い頃、母親と一緒に地獄極楽の絵図を見た時、金英さんは『もし母様が地獄に堕ちるなら、自分が救って上げたい』と思ったと言うんでしょっ」
「つまり、これが万吉少年の極楽の心っていうことですかい?」
「そうじゃな!!その極楽の心は、出家者として他を救わんとする大いなる誓願であり、慈悲の心じゃ」
「一子出家すれば九族天に通ずの『九』というのは数を表すのではなく『無限の九』という意味じゃ」
「つまり、無限の人々を救うとは全ての人々を救わんとすることであり、その心が出家者たる菩薩(ぼさつ)の誓願(せいがん)ということになるのだ。」
「まさに、あの地獄極楽絵図を菩提寺の本堂で母親と一緒に見て、母親は子を想うが故に地獄に堕ちると言い、子は母親を想うが故に出家して母を救いたいとは、まさに仏にも閻魔にも導かれた『啐啄同時(そつたくどうじ)』の機縁(きえん)であり、小さな仏弟子、大きなる出家者の誕生とも言えるものであったな」
 竹庵の一言一句に雁金屋も湊村からの三人衆も驚き、当の金英和尚は、もじもじとするしかなかった。
「そういえば、こったらこどもありあんした。万吉だば、お師匠様の金龍(きんりゅう)和尚様が名久井の法光寺に住職されていた時のこどです。」
「万吉は、お側にお仕えして、一生懸命修行してあんした。」
「したんども、ある日、金龍和尚様が病に倒れだのっす。」
「ほんだほんだ。そったらごどあったなす」
 八戸湊村から来た連中は、またまた万吉の昔話を思い出して語り始めた。
「万吉!!あの時だば、大変だったなぁ〜」
「はい!!お師匠様の病が重くて大変でしたぁ」
「そんでなぐ、大変だったのは、お前さんもだったべな」
「そうそう。お師匠様の病気が早く治ってもらいたいと願って、寝ずに看病してさ!!その上、断食に、水垢離をして、神仏に祈願したんだよな!!」
「あれは確か、3・7・21日間だったがぁ〜?」
「どんどん病が重くなっていくものだから、何百返、いや何千返何万返、お経を唱えたんだが、そして何万返、裏の井戸の水をかぶったごどだが!!」
「あの時だば、万吉だば鬼の形相、鬼のようだったと、他の修行僧も近づけながったくらいで……」
「そしたら、お師匠様が快方へ向かわれ、危機を脱したら、まんずゝその時の万吉の笑顔だば、ニッコリして仏様の顔っこになったと、皆なで手を合わせだずよ」
「先生様!!万吉だば、師匠を思う極楽の心と自分を苛酷な地獄の修行に堕す確固たる心が知らずしてそなわっているということですか?」 湊村の連中は代わる代わる夢中になって言った。
「そうだな!!金英さんには本人は気づくと気づくまいと確かにそなわっている」
「先生様!!したんども金龍和尚様は、お年がお年なもんで、一旦快方したんですけど、まもなく黄泉に旅立たれたのです。」
「時に天保10年の8月のごどです。そりゃあ万吉だば悲しみのどん底でしたぁー」
「万吉!!あの時だば、つらがったなぁー(涙)(ToT)」
「はい!!どうしようもなく悲しくたまりませんでした。」
「先生様、だけど、万吉だば決心して、このお江戸に修行勉学に励むことにしたのっす。」
「はい!!実は師匠様からは、かねてより江戸旃檀林(せんだんりん)で修行せよと、言われておりましたし、師匠の恩に報い、母の思いを成就する為にも決心しました。」
「その江戸に行く旅の中でも、万吉だば地獄を見たのでやんす!!」
南部の3人は声をそろえて叫ぶと、
「えっえー。またまたですかい?」雁金屋は素頓狂な声を張り上げた。
「ただ、それは地獄極楽絵図に描かれているような鬼がいる地獄ではありませんが……。」
「そっそれは、どんな?」 皆はゴクッと唾を飲み込んだ。
金英こと万吉は、静かに、何か冥福を祈るかのように語り始めた。
—そう—
 万吉が江戸へ旅する道中は、数年来続く天候不順の影響で作物は実らず、特に寒冷地の東北地方は不毛の大地と化していた。まさに「天保の大飢饉」の中であった。
 人々は飢え、亡骸(なきがら)は、そのままいたる所に倒れているというが如くに誰もが疲弊(ひへい)していた。
 その惨状を目の当りにし金英和尚は、亡骸を野辺に手厚く葬り、読経しては村人と共に穴を掘り、掘っては読経したという。
 その金英たる金英、穆山たる穆山の所以は単に葬り読経したということだけではなくして、その野辺にありて、その墳墓(ふんぼ)の前にて、座禅を組み、無心無我の境界を以って、亡き人を極楽へ導かんとし、おのが「生死の苦」と受取したことにあった。
 まさに金英和尚の地獄極楽の「不動心」は、その地獄の様相を呈した道中にあって、ますます磨かれていったのである。
 この物語を聞いていた皆はシーンとなり、一様に万吉こと金英和尚の人間性に引きつけられていた。
『玉(たま)は琢磨(たくま)によりて器(うつわ)となり、人(ひと)は練磨(れんま)によりて仁(じん)となる』
彼が敬愛してやまない大本山永平寺御開山、道元(どうげん)禅師様の教えの一節である。
—ここに—
 万吉少年こと金英和尚、のちの穆山禅師は幼い時の母との地獄極楽絵図を前にしての誓い、あるいは少年期の体験、そして青年期の修行の中で、その大慈悲心たる不動心は練磨され、やがて光り輝く時代が来るのであった。

合掌

来月号からは第3幕が始まりますよ!!どんな風に展開していくのか、お楽しみに。

注:「さわやか説法/創作ぼくざん物語」の芝居が、「劇団やませ」主宰にて来る12月4・5日に八戸市公会堂文化ホールで上演されることになりました。
 ビックリ(^o^)!!