和尚さんのさわやか説法178
曹洞宗布教師 常現寺住職 高山元延

 トリノオリンピックが始まった。たくさんある種目の中で読者の皆さんが見たいのは、どんな種目であろうか。
 私は、何といっても一番興味を惹かれるのは「スノーボード」である。
 すっかり「スノボー」にはまってしまったからである。
 去年の冬までは興味の対象外。あの独特のスノボファッションとも言えるダボダボのウェアにズボンで街を歩く若者を見たり、またTVで、その競技中継なんかを目にすると
「よくまあ!!あんな格好でエー」と拒否感そのものが先立っていた。
—ところが—
ところがである。今年の冬だ。突然に、あのダボダボの格好が、それこそ「カッコよく」見えたのだ。
 そしてまた、あのスノーボードの競技が俄然面白く、手に汗して見入るまでになった。 例えは悪いが、八戸名物の海産物である「ホヤ」。子どもの頃はあの苦味や臭いがイヤで、当然食べる気はなく拒絶反応を示していたのだが、大人になった、とある日、酒のおつまみに出された「ホヤ」を口にしたとたん「ホヤって、こんなにうまいもんだったのか」と感激し、それから大好物となってしまった。
 その感覚と同じで、この冬、「スノーボード」が突然に好きになってしまったのだ。
 理由は無い。本当に突然なのだ。
 好きになれば、TVを見るだけではすまなくなり、私の体がムズムズしてきた。実際に滑ってみたくなってきたのであった。
 私も若い頃、お遊び程度のスキーはやっていたから、何となく滑れそうな気もしたからである。
 早速、奥様に私の決意を話すと「何、言ってんの!!」<`ヘ´>の一喝。
「和尚さんがスノーボードなんて滑れるわけないし、第一、似合わないでしょ」との二喝!!
 私も反論した。
「何も御衣(ころも)や着物姿でスノボやるわけじゃないし、誰だって初めから、ちゃんと滑れるわけないじゃん」
「やってみなきゃ分からないし、とにかくやってみたいんだよ」と言い放つと、
「私は大反対の猛反対!!」と三喝をくらった。
 でも、この念やみがたく、誰ともなく知人友人に、その決意を話すと皆な笑いころげて
「やめておけ。やめておけ」の大合唱!!
「両足骨折だよ。俺の職場なんか一冬に二、三人は松葉杖を抱えながら仕事しているんだから!!」とオドシをかける。
—でも—
 私はやりたかった。

 大本山永平寺を開かれた道元禅師(どうげんぜんじ)様は「正法眼蔵随聞記(しょうぼうげんぞうずいもんき)」の中でこう言われている。
「ものごとは、聞くよりは実際に見るがよい。そして、見るよりは実際に経験するがよい。まだ経験せぬことなら、せめて見るがよい。まだ、見ぬなら、せめて聞くがよい。」
と、修行に対する心構えを説かれている。
 つまり、私達が分からない事や、知らない物事に対する時は、まず聞いてみよ。しかし聞くよりは実際に見てみるのがいいのである。
 そしてまた、見るよりは、自分で実際に体験することが大切なのだということだ。
—だから—
 私は「スノボー」をやってみたかったのだ。
 人から、その楽しさを聞くよりは、本やTVでやっているのを見るよりは、自分で、ともかく一回でも、あのボードに乗ってゲレンデを滑走してみたかったのである。

—でもねエ—
 道元禅師様の教えは、正しい修行に対する心構えと取り組み方を示されたのであって、別に「スノボー」の遊びや楽しさの取り組み方を言ってんじゃないぞおー。
 高山和尚!!お前は、何かはき違えているんじゃないのか!!
「さわやか説法」に無理矢理、道元禅師様を登場させて、自分がスノボーをしたいことを正当化させようとしている。
スノボーよりも、しっかりと修行せよ!!<`ヘ´>

—もう—
 天からのお叱りが聞こえるのである。
 でも、でもね。
やっぱり「スノボー」がやりたくで、やりたくでしょうがないのである。
 道元禅師さまぁー。
お許し下さい。
—てなことで—
 先月1月15日のことである。日曜日でもあり、お寺の檀務が忙しく九戸村の若和尚様にお手伝いをお願いして来ていただいた。
 その時のことである。
「俺さぁー。スノボーやってみたいんだよな」
と、言うと。「へエー方丈さんがですかぁ」
と感心するというより呆れた物言いである。
「うん。50歳代にして、初挑戦!!おもしろいんじゃない」と返事するやいなや、
「アッハッハッ」と笑いころげてしまった。
「それで、ボードとかウェアとか用具一式あるんですか」と聞かれたから
「何にもないよ。スキー場へ行ったら、きっとレンタルがあるよ。」
「まあ。そりゃそうですけど…」
「それで、方丈さんは滑れるんですか?」
「いや、初めてだし、ともかく、やってみたいんだよ」と並々ならぬ決意を披露して、次にポツンと呟いた。
「ただね。どうやってやればいいか教えてくれる人がいないのさ。」
「スノボー教室でも入ろうかと思ってる」
—すると—
 彼が、こう言った。
「じゃぁ。私が教えて上げますよ」
「なに!!あなたスノボーやってるの!!」
「はい。だって私の寺の目の前は、九戸スキー場があるんですよ」
「今年は、まだ滑ってないから、近々に行こうかと思ってたところです」
「ほう。そりゃいいなぁ。是非お願いしますよ」
「なんだったら、今日お寺の檀務が12時で終わるから、昼御飯食べたら、行こうよ」と強引に言うと、
「そりゃまた、急なことで」(苦笑)
(シブシブ頷いてた)
—そんなことで—
 午後2時には、九戸スキー場に着いた。
 早速、レンタル所に行ったのだか、苦労したのはウェアとズボン選びだった。なにしろ私の腹回りの体型に合わせると腕はダボダボに余り、怪獣「モスラ」の幼虫みたいになり、ズボンは、映画「忠臣蔵」の松の廊下に出てくるシーンの如く、引きずるばかりの長さであった。
 もう、若者達の格好いいダボダボファッションを通り越して、TVの「ウルトラマン」に出てくる珍獣○○にそっくりなのであった。
—そうこうして—
 ゲレンデに出た。両足をボードのビンデングと呼ばれる装置に固定すると、身動きが出来ない。両足をコンクリートで固められたような感覚であった。
 その上、あのダボダボウェアと腹回りが邪魔して立ち上がれないのである。
 立ち上がっては転び、ボードがちょっと滑っては転び、バランスをぜんぜん取れないのだ。
 一番大変だったのは腹筋の無さと腹回りのせいで起き上がれないことだった。
「人生、七転(ななころ)び八起(やお)き」と言うが、七回転んでもすぐには八回起き上がれないのだ。やっと手を差しのべてもらって起き上がる状態だった。
 それこそ「七転八倒(しちてんばっとう)」なのだ。尻もち、前のめり七回も八回もただ転びっぱなしの倒れっぱなし。
—でも—
 楽しかった。面白かった。頭の中が真白になるぐらい夢中になり爽快感に満たされた。 転げ回り、起き上がれない私に、あの若和尚は笑いながら、こう言った。
「方丈さん。スノボー始める前に、ダイエットして腹の脂肪を落としたら…。」と、
「トッほっほ。そのとおりだね」素直に私は頷くしかなかった。
 聞くことも、見ることも、経験することも大切だが、「自分を知った上」での「経験する」ことが、より以上に大切なのだ。

合掌