和尚さんのさわやか説法181
曹洞宗布教師 常現寺住職 高山元延

 先月号で、小さな詩集「いのち咲く」の作品を紹介しながら「さわやか説法」をしたところ、大きな反響があった。
 いろいろな方々より、また読者より「感動させられた」「一緒に涙してしまった」とか、「次号がどのようになるのか」、あるいは、「あの詩集を是非とも読んでみたい」というような声が寄せられた。
 作者の「千葉かをる」さんという少女は、ある日思いもかけぬ病魔に襲われた。
 その病魔とは、
—脳腫瘍(のうしゅよう)—
 少女にとっては過酷な運命が待ちかまえていた。彼女の生命(いのち)を助ける為には、その悪性の腫瘍を取り除かなければならない。
 しかし、その引き換えに「光と音」を失う危険性もあった。
 病気になる前は、元気で明るく、勉強したり、家族や友達と遊び笑いころげたりしていたのだが、その日から漆黒の闇と無音の世界の中にいやおうなく踏み入れさせられた。 

「『盲ろう』という障害は、「見えない」「聞こえない」といった感覚器官の物理的制約以上に”絶対的な孤独”をもたらします。周囲に多くの人達がわいわい騒いでいても、通訳・介助者がいない限り様子がわからなく孤立し、実存的不安感を覚えます。ここに盲ろう者の苦悩の本質があります」(「いのち咲く」はじめ より)

 少女の苦悩は、どれほどのものであったか。
 絶望と不安。全てのことに対する喪失。自己存在の問い。あるいは現実からの逃避感。さまざまな苦しみ悲しみが一人の少女を襲った。
 その「絶対的孤独」の中にあって彼女は、心に光を感じ、音を感じ、その二つの感覚を「詩」というものを通して取りもどした。
—そして—
「生きる」「生きている」「生きていこう」とする実感をダイレクトに語った。

 『心の目と耳』

 心の目と耳で、見たり聞いたりするの
 美しいものを触って
 それを心の目で見て

 風の音や木のざわめきを
 心の耳で聞くの

—そう—
 少女の心の目と耳は触わることによって、いや現実の世界の「振動」そのものを鋭敏に感じとって、彼女には見えるし聞こえるのであった。
 私達の今いる「この世界」は、刻々と変化し、時と共に動いている。
 つまり「無常」という振動だ。
 しかし、私達には、それが見えないし聞こえない。感じとることが出来ないのである。

 『振動』

 目で見る代りに、耳で聞く代りに
 手で触れてみたい、振動を聞いてみたい

 目で見ることができなくたって
 手で触れられる
 耳で聞くことができないんなら
 振動で聞くことがまだできる

 それがまだ残っていたんだっけ
 忘れるところだった
 
 彼女は自分の掌(て)で肌で身体(からだ)の感覚で、見ること聞くことに気づいた。
 それは、喪失からの脱却と未来への「希望」の発見と自己確認であったにちがいない。

 『あしたがあるから』

 あしたがあるから私は平気

 だって、小さな夢・希望が
 少しでも叶うかもしれないから
 明日もまた
 太陽が昇るから、私は平気

 少女は現実から逃避することなく、積極的に「未来」への夢を持つ。
—それはそうだろう—
 彼女は同じ年頃の少年少女が自分の未来に夢を持つことと何ら変りはないのだから。

 『みんなと同じ』

 
 普通の人達と同じように夢もあったの
 そして今も小さな夢があるの
 みんなと同じ
 
 同じ心を持っているの
 普通の人達と同じように

—やがて—
 病状の回復とともに少女は恋をしたのだろうか。
 好きな男の子がいたのだろうか。それともいつも側にいて励ましてくれる男の子があらわれたのだろうか。
 少女が詩に託した「思い」は、同年代の少女達ばかりではなく、あらゆる女性が持つ感情でもあろう。
 この「いのち咲く」の詩集全編の中で、特定の「人物」が想像されるのは、この「好きな男の子」と「お母さん」の二編しかない。
—だからこそ—
 彼女の「せつない想い」がよけいに伝わってきて私はどうしようもなく涙がこぼれた。

 『好きな男の子』

 好きな男の子に心をこめて
 名前を呼んでもらうと
 すてきな女の子になれそう

 だから、女の子は
 好きな男の子に心をこめて
 自分の名前を呼んでほしいのです

 彼女には「好きな男の子」から名前を呼ばれても、それは聞こえない 微笑(ほほえ)み見つめ合ったって、男の子の顔は見えない。
 どんなにかもどかしく想いはつのったのであろうか。
「すてきな女の子になりたい」と…。

 彼女の「小さな恋」は「生きる喜び」を与えてくれたのかもしれない。

 『生きること』

 生きていてよかった
 どんな姿になろうと、いつかは
 生きていてよかったと思う日がくる
 
 人との触れ合いの中で
 その答えがみつかるかもしれない
 生きること、一番大切な宝物だね

 このように自分が「生きる」ことの意味を自覚し、さらに人への「いたわり」を持つのであった。
—なんと—
 彼女の心の豊かさ、大きさ、深さを感じぜざるをえない。

 『お母さんの肩』

 お母さんの肩
 それは苦労したあとがみえるね
 私を育てるのにどんな苦労をしてきたのですか

 今度は、その苦労を私に下さい
 お母さんの肩をたたくと、その苦労が
 伝わってくる感じです
 
—もう—
 私は絶句してしまった。人に対する思いやり、母への感謝といたわりがジンジンと胸を打つ。
—しかし—
 あの病魔は少女に再び襲いかかる。

 『生命(いのち)ある限り』

 生命(いのち)ある限り
 苦しみもそれ以上の辛さもあるだろう 
 でも、負けてはいられない 

 生命ある限り
 それにぶつかり乗り越えていこう
 どんなにいやだと思ってみても
 強い心をもってみよう

 ひとつの決意だと思いながら
 生命ある限り

 少女は短い生涯を終えた。全身が癌にむしばまれようと「生命ある限り」懸命に生き抜いてきた。
 その「証し」が紹介してきた「いのち咲く」の詩であった。
 時に1999年10月25日未明。小さな詩集を書きつらねたノートを残して「小さな生命」は安らかな世界へと旅立った。
 少女の冥福を心より祈るばかりである。

合掌