和尚さんのさわやか説法307
曹洞宗布教師 常現寺住職 高山元延

 今月号の「さわやか説法」は、昨年12月号「アニサキスストーリー」の続きである。
 正月特集号及び臨時号は「子年(ねどし)」に因んでの「ねずみ昔話ストーリー」を説法してみたが、読者の皆さんからは「ねずみよりアニサキスの続きは?」とか「和尚さん!!大変だったですねェー」と言いながら「ウッフッフ」と笑うのである。
「早く続きを書いてよ!!」「面白かったなあー」とか、あるいは「私も似たような経験があった。」
「あれはアニサキスなのかなぁ…?」と述懐される方もいた。
―実は―
 あのアニサキスは、偶然にも発見できたからで胃カメラを呑まずにいると、単なる食あたりとか胃痛で終わっていたに違いない。
 私は、お医者さんに診てもらいたかったのは、背中のアレルギーは前晩の救急措置で収束していたことから、絶えず止まらない咳と痰だったのだ。
 特に、胸の食道付近が妙にムズ痒く、そこを直接カメラで視てもらいたかったのである。
―ところが―
 主治医先生は、食道は異常なしとファインダー越しに判断し、胃に向かって、あのアニサキスを発見しては、
「いた、いた」
「高山さん!!いたよ」と告げたのであった。

―だからこそ―
 まさにまさかの産物だったのだ。私は胸のムズムズ感の原因を診てもらいたかったのに…。
 確かに私の胃で充分な栄養を摂り、その上前晩のお酒まで御馳走になっていたアニサキスは、モニターからは酔いも回ってか、くねくねと身を踊らせ、すこぶる上機嫌だった。その分私の身体は機嫌が悪かった。
―でも―
 発見し、除去した後は、それは爽快感たっぷりの御機嫌回復だ。
 しかしながら、あの胸の咳と痰は、一向に回復するどころか、むしろ悪化していくばっかりだった。
―次の日―
 やっぱり気になり、
「先生、胃の方はすっかり良くなりました」
「そりゃあ、良かった。アニサキスを取り除いたからね」
「でも!!先生」
「この胸の痒みと咳・痰はひどくなるばかりです」
「これって、アニサキスが胃に行く途中で、食道を噛んでのアレルギーではないですか」
 素朴な質問をした。先生は手を何度も横に振りながら「ない ない」と笑った。
「まあ、風邪の薬を出しておくから、様子を見ましょ!!」

―ところが―
 様子を見てるうちにどんどんとひどくなる。
「こうなったら、セカンドオピニオンだ」
 勝手な思い込みと、藁にもすがる思いで市内の呼吸器専門医を訪ねてみた。
 受付にて、こちらの病状やアニサキスから始まった咳・痰の話まで及ぶと受付嬢は、
「はぁ~?」と私を見つめ直した。
「よく分かりました。でも当院は完全予約制でして、すぐ対応はできませんよ」
「そうですか?」
「そこを何とか、苦しくて早く診てもらいたいんですが」
「はい、お気持は分かりますが、皆さんも同じで予約して、お待ちいただいております」
―てなことで―
 結果的に5日後の診察となった。
 先生は、ことのほか、私の病状や咳痰がひどくなるまでのことをじっくりと耳を傾け、医者としての思考診断を計ってくれた。
「なるほど、こちらの先生の評判が高いのも頷ける」
「どおりで、1人の診療時間は長いし、待たされる。予約制もむべなるかなだな」とやけに得心した。
―やがて―
 結果が出るというので、また診察室に入った。
「高山さん!!肺炎になってます」とレントゲン画像を指差した。
「えっ?」
「肺炎?}
ため息が出ると同時に聞いた。
「それって、アニサキス肺炎ですか?」
「うん?」先生は「こいつ何を言ってんだ?」という風に私を見つめ直した。
 あの受付看護師さんと同じように。
 それを感じ取った私は、「いやいや、何でもありません」と言葉を濁し、口をつぐんだ。
―でも―
 心の中で、「これはきっとアニサキスが肺の入口を噛んでの喘息だったに違いない」
「それがこじれて肺炎になったのだ」
「アニサキス肺炎だ」と勝手に病名をつけて納得し胸をなでおろした。
(※私のような患者はお医者さんも困りますよね💧💧💧)
 先生の診断と処方が良く、効果は覿面(てきめん)に現われ、徐々に咳も痰も出なくなり、元通りの息や声が出るようになった。

 お釈迦様の教えに「毒箭(どくせん)の喩(たと)え」がある。
 ある修行僧がお釈迦様に質問をした。
 しかし、お釈迦様はその問には答えず、喩え話をされた。
「ある者が毒が塗られた矢に射たれたとしよう。」
―そう―
 毒箭(どくせん)とは「毒矢(どくや)」のことだ。
 その場にいた人々は彼を助けようと、その毒矢を抜き取ろうとした。すると、その男は
「いや待て!!」
「この矢を射ったのはどんな奴だったか?」
「それは、どんな弓だったのだ?」
「今、刺さっている矢はどんな形だ?」
「どんな鳥の羽なのか?」
そして、更にこう言ったという。
「それが分かるまで、この矢を抜いてはならぬ!!」
 お釈迦様は、こう話をされて
「さあ、修行僧よ!!」
「この男は どうなると思うか?」
「はい。死んでしまいます」
「そうだな。大事なことは、今、すぐさま毒矢を抜き取ることだ」
「今、なすべき事は、何なのか」
「それが大事なことだ」
 そう言われて、お釈迦様は「苦集滅道(くじゅうめつどう)」の『四諦』の教えを説かれたと云う。

 私は、今回の一連の「アニサキス騒動」にて、この「お釈迦様の毒箭の喩え」を思い出さざるを得なかった。
 まさに、アニサキスを発見して「いた、いた。」と除去してくれたお医者さんも、「検査の結果、肺炎です」と告げ、適切な処方を施してくれたお医者さんも、どちらも素早く「毒矢」を抜き、「為すべきことを為してくれた」のだ。
 お医者さんにとっての医療・処方は、患者の苦しみを「今」即座に抜き取らんとする『お釈迦様の心』と同じではないか。と…。

 まさに、私はあの時「アニサキスの毒矢」に刺されていたのであった。
 トッホッホッホ💧💧💧

合掌