和尚さんのさわやか説法161
曹洞宗布教師 常現寺住職 高山元延

 先月号の「さわやか説法」では、「津軽の看護師さん気質編」ということで、青森市での発病体験記を説法してみた。
 読者の皆様は、
「へェー。そうだったの。」
「たいへんでしたね」 と、笑って、たいして心配もしていなかったようで、
次に出てくる言葉は「次号が楽しみです」であった。
—てなことで—  今月号は「南部の看護師さん気質編」
 まあ、ともかく津軽青森市の病院の看護師さん達は、個性が強いというか一人一人が次々と40度も熱のある私に「かっちゃましなく」語り掛けては、笑い励ましながら看護をしてくれた。おかげで、熱はあまり下がらなかったが、帰りの車中では何とはなしに気持ちが安らいだのか、熱による腰の痛みや膀胱付近の痛みは引けていた。
 次の日、這(は)いずるかのようにして、双子(ふたご)の先生がいらっしゃる、とある病院を訪ねた。
 そこで私は、前の日見た津軽の看護師さん達とは違う「八戸の看護師さん」「南部の看護師さん」達の気質をかいま見たような気がした。
 青森の病院も結構大きい病院ではあったが、何しろこちとらの病院は双子先生である。規模も先生も看護師さん達の数も、二倍はあった。
—でも—
 あの「やかましさ」「かっちゃましさ」は半分以下、どちらかというと整然としているのである。各々がそれぞれの患者さん達に対応し、黙々と業務をこなしており、全体的に調和がとれているのであった。
 待合室にしたって然り、あちらは、まあ賑(にぎ)やかなこと「ねぶた祭り」と同じなのである。
「ラッセラ ラッセラ」と跳ねているのではないかと錯覚するほどである。
 それに比べて、こちとらの病院の待合室は「三社大祭」の山車に乗った人形と同じである。一人一人が微動だにしないで自分の名前を呼ばれるのを待っている。
 やがて看護師さんから呼ばれると「ヤーレヤーレ」と立ち上がる。
 まさに津軽、南部を代表する「祭り」が好対照なのと同じで、病院の雰囲気も、看護師さん達の動きもまた好対照なのであった。
—そこで—
この二つの祭りを比較して津軽人、南部人の気質ひいては、その看護師さん達の気質を考えてみたい。
 あの「ねぶた」の情景を思い浮かべてみよう。ねぶたの山車(だし)は確かに躍動感がある。観客に向かって見栄をきり、右へ左へと動きは加速し、跳人(はねと)はそれぞれに「ラッセラ ラッセラ」と個人個人が思い思いに歓呼し乱舞する。まさに個々の主張が夏の夜空に一体化していくのだ。
 それに比べて「三社大祭」は、引き子達が力を合わせ、リーダーの声や笛に呼応して「ヤーレ ヤーレ」と、あの重い山車を懸命に引いて、ゆるやかな歩調で整然と隊列をなしているのだ。
 山車の型体も然り、跳ね人と引き子の掛け声も然り、太鼓の打ち方、鳴り方も然り、まさに好対照である。
 かたや「ねぶた」の山車は、坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)のような武将が雄々しくダイナミックに睨みをきかせている。
 つまり一人が主役なのである。
 こなた「三社大祭」の山車は一人を主役としながらも多彩な人形、動物、魚達までもが登場し背景も考慮しながら全体的に調和を保っている。
 ねぶたは夜型の祭り、三社大祭は昼型ではあるが、数年前から三社大祭も観光客の為に夜にも運行することになった。
 その山車の電飾に至って、まさに津軽、南部の気質を見る思いが私にはあったのだ。
—つまり—
 ねぶたは内側から照明を当てて光り輝かせている。逆に三社大祭は外側から山車全体を包み込むかのように照明をあてている。このことは個人の個性を内側から光らせるのか、外側から照らすかということにある。いうなれば主観か客観かという違いであった。
 以上のような祭り比較論からして、南部人気質というものは、山車運行のように、自分の演ずべき役割を十分に自覚しながら、相協力して事を作すという全体的調和をもととした整然感があり、また外側から山車に照明をあてるように客観的に論理を展開し、ものを考えるというような特質をみる。
 一方、津軽人気質は全体的思考というよりも、まず自己主張をする(決して悪い意味で言っているのではありません。良い意味ですよ)。それも極めて主観的な発想であり行動をする。あのねぶたが内側から照らすように、常に自己主役が光るような、そしてまた「ラッセラ ラッセラ」と熱叫するような自己存在感を示す特質をもっていると思われる。

 このように私の客観的立場で見ているかのような極めて主観的論理から思考して「看護師さん気質論」に展開すると両者はまさに、この「祭り比較論」にピッタリと符号するのであった。
—しかし—
気質は異ってはいても患者に対しての「看護、看病」する本質は同じであることは確かだ。
 その看護師さん達の「看護の心」とは何であろうか?
 それは仏教でいう「菩薩(ぼさつ)の四無量心(しむりょうしん)」に通じるのである。
 菩薩(ぼさつ)とは、人々のために、自分のことはさておき救わんとする心のもとに行動する仏(ほとけ)である。
 その心の内容を「四無量(しむりょう)」といっている。つまり四無量は、慈(じ)・悲(ひ)・喜(き)・捨(しゃ)の四種の無量なる心で、慈無量(じむりょう)とは、人々を慈(いつく)しみ、相手に安らぎを与える限りない心をいい、悲無量(ひむりょう)は、悩み苦しむ人々の悲しみをともに自分の悲しみとし、相手の悲しみ苦しみを分かち合う心であり、喜無量(きむりょう)とは、相手の喜びを私の喜びとして倍化させ、笑顔を共にすることである。さらには捨無量(しゃむりょう)とは、憎しみ、苦しみを捨てさせ、また自己の愛憎を捨て、偏らず他(た)と同じ心になることであった。
 まさに、この四無量心を「医の心」「看護の心」にあてはめるとなるほど、その通りである。
 患者に対して慈しみの心をもち、患者の苦しみ悲しみを共にし、喜びを与え、その苦しみを捨てさせ、安らぎを与えてくれるのだ。
 私は今回の青森市、八戸市での高熱闘病体験を通しての津軽、南部のお医者さん、看護師さん達の献身的な治療から、あらためてその「心」を学んだ。

 さて最後に、私の病気の種明(たねあ)かし…。
 どんな病名かというと、「蜂窩織炎(ほうかしきえん)」という聞きなれない病気であった。先月号の冒頭で紹介したように、私の左膝カブを掻(か)いた「かっちゃき事件」によって、バイ菌が侵入し皮下組織が蜂の巣のように腫れ上がり、それにともない急激な高熱と痛みが襲ったのであった。おかげで「春の彼岸」は病院で過ごし奥様には多大な迷惑をかけてしまった。
 ちなみに奥様は津軽、弘前の出身、私は生粋(きっすい)の南部人、読者の皆様には、もうお解かりであろう。私の立場が…。あちらは極めて主観的「個」の気質、私は客観的、調和を保つ気質。
 これ以上書くと、とんでもない不調和となりますのでこの辺で…。

合掌