和尚さんのさわやか説法313
曹洞宗布教師 常現寺住職 高山元延

 日本全国、今日から暑くて熱い「お盆」である。
 例年だと、家族皆なが揃って菩提寺や霊園へと向かい、どこもかしこも車や人の、それこそ「数珠つなぎ」となる。
―ところが―
 今年の「お盆」は、どこの寺院においても今までのお盆とは、まるっきり異る「お盆」となるであろう。
 そう!!新型コロナウイルスの感染予防に配慮しての「新しいお盆様式」での迎え方であるからだ。

 「ソーシャル ディスタンス!!」(><)
 先月、小学2年生の女子児童から、きつくお叱りを受けた。
 お寺の事務机でノートを開き、一心不乱に鉛筆を走らせていたその子の背後にそっと近づいて、
「どんな勉強をしているのかな?」
 ノートをのぞき見ようとした瞬間だった。そう叫ばれたのである。
 私は、ハッとして後方に身体をのけぞらせて退いた。
「近よっちゃ!!ダメ!!」
「今は、ソーシャル ディスタンスなの!!」
 私は咄嗟に
「へェー。よくそんな言葉、知ってるんだぁー?」
と相手が小学2年生だけにちゃかすかのように応酬した。
すると…。
「今の時代はそうなの」(><)
「和尚さん!!分かったぁ!!」
「はい💧💧💧」
「すみません💧💧💧」
「それに、マスクもしてないし!!」(><)
「はい💧💧💧」
「申し訳ありません」
トッホッホッホ…。
「手は洗ってるの?」
「いや、あんまり」
「そうなの?」
「ちゃんと洗いなさいよ!!」(><)
「はい💧💧💧」
「分かりました💧💧💧」
 私は、その女子児童の剣幕にタジタジとするしかなかった。

―それと同時に―
 私は、今般の新型コロナウイルス感染症拡大とその予防、あるいは影響によって、「今の時代」たる現代において、子ども達ばかりではなく私達、日本人全体の意識が変ったことを痛烈に感じさせられた。

 このウイルス感染を防御するには「接触」を回避することが最も重要な対策であるという。
 それは、未だにワクチンや特効薬が開発されていない現状にあっては、それが一番の妙楽だからだ。
―それが―
「ソーシャル・ディスタンス」であり「マスク」着用、あるいは手洗い、手指の「消毒」だ。
 先程の女子児童は、きちんとそれを守り、守っていない私に、注意喚起をしたのである。

 思い顧みるに、9年前の「東日本大震災」の時だった。
 未曾有の大災害の時の私達の社会的意識は
「皆なが寄り添い」
「皆なが向き合い」
「皆なが助け合おう」
お互いが手を取り合い離れ離れになることなく、共に生き、この困難を乗り越えんとする結束意識であった。
 その年の世相を表す「漢字1文字」は何であったのか?
―それは―
「絆」だった。
「絆」という社会的意識が私達日本人の「日本の心」であり、それを確かめ合ったのだ。
―それが―
 この新型コロナによって、一変した。
 離れること、お互いに距離を取る。
 近づくな!!
 向き合うな!!
 寄り添うな!!
 ソーシャル・ディスタンスだ。
それが、お互いの生命を守る、思いやりの心なんだ。
―まるっきり―
真逆ではないか!!
 お互いが結束しないことがコロナ感染からの収束に向うことなんだ。
 まさに、日本人が、いろいろな災害や困難を克服する度に、培われてきた社会的意識が根底からひっくり返されてしまった。

 この意識は、実は宗教界、仏教界にも多大な影響をもたらし、これからの仏教行持や慣習あるいは葬祭事情まで変容させた。
―つまり―
 新型コロナは、日本人の宗教的意識さえも一変させてしまったと、私は感じている。

 この6月25日、常現寺の宗旨である「曹洞寺」より、こんな通達が発出された。
「新型コロナウイルス感染症に対する各種法要執行の基本指針」というものである。
 そこには、「このたび、基本指針を策定しました。感染防止に最大限の注意を払うことが、寺院の社会的責任です。檀信徒の皆さまにその取り組みへの理解を促し、協力いただくことが、命を守ることに繋がります……」と、
 この主旨のもと、指針項目が示された。
 要約するならば、
1、寺院においての密閉 密集 密接の空間、場所、場面が発生しないようにする
1、参拝者のマスク着用の徹底
1、参拝者の消毒剤による手指の消毒の徹底
1、参拝者の滞在時間が「密」にならないように簡潔にする
1、法要前後の飲食・会食を控える

まさに、あの女子児童が私に注意喚起した「ソーシャル・ディスタンス」そのものではないか!!
 その感染防止への注意を払うことが、寺院としての社会的責任であると、通達されたのだ。
 このことを受けて、私は、常現寺のお檀家の皆様への「お盆の案内状」を送付するにあたって、このように「お知らせ」をした。

「お盆のお参り」
①家族全員は控え、少人数にてのお参りとし、各家庭で過ごす
②夕刻時の集中を避け、分散化をして混雑を回避する
③本堂に入る際には消毒液で手指を洗浄してお参りをする。
 まさに「新しい生活様式」ならぬ「新しいお盆様式」だ。
 その上、「3密」回避と参拝者の滞在時間が「密」にならないように簡潔にするとのことからも、御先祖への「お盆供養法要」においては、大勢の僧侶での読経は、各寺院協議のもと、当該寺院の住職・副住職のみとし、檀家参列は自粛中止とした。
 また当寺にては、15日正午からの終戦記念日に併せての「平和祈念慰霊法要」を厳彰しているが、それも住職のみの自粛法要とし、参列中止。
 位牌堂の供養膳、お盆施食塔婆も中止。
 更には、新井田川流燈会主催、八戸仏教会協賛で毎年8月20日に開催されていた精霊送りである「新井田川燈籠流し」も中止と決定した。

―まさに―
「自粛お盆」となってしまったのだ。
 抑々(そもそも)、「お盆」という仏教儀礼は、迎火を焚き、亡き人をあの世からお招きし、現世の私達と共に過ごす「魂(たま)まつり」であり、それ故に「集いの宗教」「家族の宗教」とも称されるものだ。
 故に親密な密度の濃い日本人の心の奥底に培われてきた「共生き」という「供養のひととき」だった。
 しかしながら、今年のお盆は、その「密」を避けなければならない。
 それは「お盆の里帰り」の移動自粛や皆なが集まっての「盆供養」の会食も自粛、あるいは家族や友人との語らいの場も自粛という「仏の世界も感染予防」となった。

―ともあれ―
 「お盆」は「お盆」である。亡き人をお迎えし、共に過ごし、お送りする供養の本質はいつの時代も変わらない。
 むしろ、このような現代だからこそ、亡き人の心と私達の心とがより密なる「絆」を深めたいものである。
―しかるに―
 今年のお盆は、それぞれに「3密」を避け、あの女子児童が和尚の私を叱責したように「ソーシャル・ディスタンス」を心掛け、マスク着用や手洗い、手指の消毒を励行して、御先祖や亡き人を偲んで、心温まる参拝をしてもらいたいものと、切に願うばかりである。
 どうぞ、皆様におかれましては、自粛しながらも「新しいお盆様式」にての「良きお盆」をお迎えくださいませ…。

合掌