和尚さんのさわやか説法320
曹洞宗布教師 常現寺住職 高山元延

「努力すれば必ず〇〇〇る!!」
 皆さんだったら〇〇〇にどんな言葉を当てはめますか?

「和尚!!俺、4月末に出所するんで、次に刑務所に来る時は、なるたけ早く来てくれねェーかな?」
「ほぉー。刑期満了かぁー。よかったなあー。」
「分かった!!じゃぁ、4月初めぐらいに来れるよう刑務官と打ち合わせてみるよ」
「よろしく頼んまっせ……」
 これは、今年2月下旬、青森刑務所内での、ある受刑者との会話である。

 私は青森県の宗教教誨師として県内の矯正施設(刑務所・少年院等)に出向いては、被収容者に対して「坐禅と講話」の宗教教誨を隔月毎に行っている。
 その受刑者は、服役してからの4年間、ずうっとかかさず私の坐禅教誨を受けている。「名残り惜しい」と言うのだ。
 出所する前に、和尚の話を聞きたい。
 ここまで、受刑者に思いを寄せられたなら、私としても、それに応えなければならない。
「どんな、話をして彼を送ったらいいのか?」
 訪問日が近づくにつれて毎日、考え続けていた。

-4月4日-
 競泳の日本選手権100mバタフライ決勝で白血病から復帰した「池江璃花子選手」が優賞し、東京五輪への出場権を獲得した。
 その快挙をTVの報道番組で私は、それを知った。
 池江選手は入場する時に「ただいま」と言ったように見えた。そして、その力泳に、私はニュースでありながらも、声を上げて応援していた。
 ゴールの瞬間は、立ち上がり、彼女の水しぶきと涙で顔をおおう姿に拍手を送った。
 そのレース後のインタビューに応えて、池江選手はこう語った。
「100mで優勝できるとは思っていなかった。何番でもここにいられることに幸せを感じようと……」
「努力は必ず報われる」
 この言葉を聞いた時私は、TVに向かって叫んでいた。
「そりゃぁ!!池江選手あなただからこそ、努力は報われたんだよ」
 この言葉は実に重く。
 私の心にズシーンと響いたからだった。

 2019年2月、豪州で合宿トレーニング中に体調不良を訴え、帰国後、検査の結果、白血病と診断された。
 誰しもが彼女の選手生命は終わったと感じた。
-しかし-
 池江選手は決してあきらめなかった。不倒の精神と不屈の努力だ。
 古来から白血病は「不治の病」との代名詞がある。
 死を覚悟しての努力。生に向かっての努力。選手生命という「生命(いのち)」を懸けての努力。
 不倒の努力、不屈の努力。闘病という病と闘う努力。そして闘病後の復帰克服の努力。
 それは、「努力すれば必ず報われる」との自分を信じる力、揺るぎない心、信念が、そうさせたのではないか。
 彼女のその果敢な努力と信念は、私、高山和尚ごときの努力とは比較にならない程の重さがある。
 根本から「努力の比重」が違うのだ。
 だからこそ、彼女の「報われる」ということも、その比重が違うことも確かだ。
 池江選手が、あの場で語った「努力すれば必ず報われる」は、自分の努力だけではなく共に白血病で闘ってくれた家族、医療関係者そしてサポートしてくれたスタッフ、応援してくれているファン、全ての人々への感謝と労(いたわ)りの心でもあったのではないか。
「あなた達の献身的な努力が、報われたんだ」と……。

 私ごときが日頃使っている「努力すれば必ず報われる」とは、その意味の重さにおいて丸っきり違うのだ。
-しかし-
 私は、その池江選手の言葉に反応して、TVに向かって叫んでいた。
「世の中には、努力しても報われない人の方が多い!!」
「あなたは、努力の天才なんだよ!!」
「スイマーとして天才なんだよ!!」

-その時だった-
 私は、ある少年野球の監督が、ドキュメント番組で切々と語っていた言葉が鮮烈に、よみ返ってきた。
 それと同時に、
「そうだ!!」
「このことを、刑務所に行った時、受刑者に話してみよう」
 そう心の中で呟いていた。

-4月6日-
 坐禅教誨として受刑者の皆さんと一緒に、まず坐禅をした。
 きちんと端坐して身体を調え、呼吸たる息を調え、そして自己の心を調える。
「調身(ちょうしん) 調息(ちょうそく) 調心(ちょうしん)」である。
 その坐禅の後、講話となった。
 私は、池江璃花子選手の100mバラフライの様子を実況中継をした。
 受刑者達も、勿論このことは知っていた。
-そして-
 彼女の言葉、「努力すれば、必ず報われる」を取り上げて、その意味するところを展開し始めた。
 その内容は、前述したような池江選手の「努力の重さ」を語り、続いて、その言葉に反応した私の思いを語った。
「努力しても、必ず報われるとは限らないよなぁー。」
「99人は、報われない」
「報われるのは1人かもしれない」
「俺なんか、いくら努力しても、報われたためしがない」
「まぁー。たいした努力はしてないから、それも仕方ねェかぁー」
 受刑者達は一様に、「うん。うん」と頷いて笑った。
-そこで-
 間髪を入れず、こう続けた。
「でもね、報われなくても努力すれば必ず、成長する」と…。
「これは、ある少年野球の監督が子ども達に語っていた言葉なんだよ」
「その監督はな。子ども達に、君達は日頃、一生懸命練習し、努力している。でも、その努力は報われないかもしれない。結果は出ないかもしれない」
「努力しても必ず成功する。成果があるともいえない。」
「いや、報われない方がずうーっと多い」
「しかし、努力すれば、君達は必ず確実に成長しているんだよ」
 私は、唸ってしまっていた。
「努力すれば必ず成長する」との言葉に…。

-このことを-
 受刑者達に話した。
「あなた達も、きっと人生の中で努力してきたはずだ」
「その時、成果が表われることなく、報われることもなかったと思う。」
「それで、やけっぱちになったかもしれない」
「でも、結果は出なくても、成長したことは確かなんだ」
「出所すれば、社会の中では、いろいろと困難が待ち受けていることだろう」
「頑張ろうと努力しても、報われないかもしれない」
「しかし、その努力はあなた達の確かな頑張った成長の証しなんだ!!」
 受刑者達は、一様に頷いてくれた。
 私は、この言葉を出所直近の受刑者に一番伝えたかった「贈る言葉」だった。
-教誨が終り-
 帰りしな、その受刑者と握手を交わした。
「和尚!!長い間、お世話になりました!!」
「もうムショに戻ることなく頑張って努力します」
「そうか!!まっ当なヤクザさんになれよ!!」
「努力すれば必ず成長する」
「うん?」
 彼は笑って、握手した手にグッと力を込めた。

-なんとまぁ-
 私はアホな教誨師だ。よりによって💧💧💧(涙)
何という励ましの言葉を💧💧💧(涙)
 教誨師としての努力が足りません。
 私は努力しても、報われるどころか、成長していない和尚であることをほとほと実感した。
トッホッホッホ💧💧💧

合掌