和尚さんのさわやか説法326
曹洞宗布教師 常現寺住職 高山元延

 今月号も、またまた『十牛図』であり、今回は第8図「人牛俱忘(にんぎゅうぐぼう)」である。
「人も牛も 共に忘れる」と読む。
 先月号の第7図は、「忘牛存人(ぼうぎゅうそんにん)」で「牛」は忘れ去り姿はないが、牧童という「人」が存在していた。
 故に、第1図から第7図までは、牧童なりテーマである「牛」が描かれていたが、この第8図にあっては、どちらもまったく何も描かれていなく、絵の中は、「空白」であり、真っ白けなのだ。
 一体? これは? 何を意味しているのだろうか?

 「人牛俱忘(にんぎゅうぐぼう)」の頌(じゅ)には、こう説かれている。

 鞭索人牛 尽属空
 碧天寥廓 信難通
 紅炉焰上 争容雪
 到此方能 合祖宗

 まっこと難しい。
 では和訳してみよう。

 鞭(むち)も索(つな)も、人(ひと)も牛(うし)も尽(ことごと)く空(くう)に属(ぞく)す
 碧天(へきてん)、廖廓(りょうかく)として、信(まこと)に通(つう)じ難(がた)し
 紅炉(こうろ) 焰上(えんじょう) 争(いか)でか 雪(ゆき)を容(い)れん
 此(ここ)に到(いた)って 方(まさ)に 能(よ)く祖宗(そしゅう)に合(かな)う

 まだまだ難しい。では、今度は意訳してみよう。
 牛を求めて、今まで使ってきたムチも手綱(たづな)も、そして牧童たる「人」も「牛」も、何もかも姿がなく、「空(くう)」なる世界となった。
 それは、あたかも青空が、どこまでも澄み広がっている世界で、何物もなく、青空だけである。
 また、真っ赤に燃えさかる溶鉱炉の炎の中に、小雪が舞い落ちても、一瞬のうちに溶け消えるように、その雪の跡形もなく、炎そのものだけだ。
 このような境地に到ることは、まさにそれは、よく仏祖の宗(むね)たる境地に合(かな)ったことにほかならない。

 つまり、この「頌」での肝要は、この「空(くう)」なるその境地に属す。ということであった。
 それは、喩(たと)えるならば、青空は、「青い空」のままに、紅炉は「赤き炎」のままであって、何物も包み込み、溶け込んでしまった世界であり、その境地なのだ。

-だからこそ-
 第8図においては、「人」も「牛」も、忘れ去り、存在しないのであるからにして、描きようもなく、「空白」そのものしか描かれていないのだ。
 この「空白」は、まさに「空白」そのものであり、「悟り」さえも忘(ぼう)じた姿であり、その境地ではないか。

-今回の-
「人牛俱忘」の「頌」にある「碧天寥廓(へきてんりょうかく)」たる「青い空が、どこまでも澄み広がる」との説示を読んだ時、鮮烈に、若き時代の、2つのシーンが甦えってきた。

-その1つは-
 衆議院前議長「大島理森」国会議員との出合いであった。
 平成2年、大島代議士は3期目の当選を果たされて海部内閣における「内閣官房副長官」に任命された年であった。
 場所は新井田対泉院様での「交通安全慰霊祭」に参列され、終了後の帰り道のことだったろうか。
 大島代議士は、八高17回生の先輩であり、あこがれの先輩でもあった。
 ましてや若くして「内閣官房副長官」に抜擢された郷土の新進気鋭の政治家だ。
 前を行く大島代議士に追いつき、
「わっわっ私は、大島代議士の後輩で、20回生の高山と申します」
「うん?……」
「先輩に、いや代議士にお尋ねしたいことがあります。」
「ほぉ~!!何かな?」
 息急き切って、こともあろうか!!
 こう聞いた。
「代議士は、この度、内閣官房副長官として、政治家として、その心底や、これ如何に?」
 そしたらである。
 間髪を入れず、こう答えた。
「和尚!!」
「あの青き空の如しだ!!」
 指は、遠き空を差していた。
 私は、つられてその方向を見ると、雲一つない青い青い空が広がっていた。
 私は何も返答出来ずに「青き空の如しかぁ~」と呟き言葉を飲み込んだ。
 その時には、もう大島代議士の姿はなく、前をスタスタと歩いていた。

-あの時-
 私は、父でもあり師匠でもある先代住職の、遷化に伴い常現寺の住職になったばかりの時で、これからどのように住職としての道を歩み、どのような心底で向き進んでいくか悶々としていた時代だった。
-だからこそ-
 若き政治家であり、内閣の要職に抜擢された先輩である代議士に聞きたくなったのである。

「青さ空の如し」
 大島代議士は、何を言わんとしたのか?

-2つめは-
 平成19年のことである。
「皆さあ~ん!!この青い空を見上げてくださあ~い」
 すると、詰めかけた子ども達や村人が、一斉に「青い空」を見た。「カンボジアの青い空と、私達の住んでいる日本の空とは続いています」
「私達は、この同じ空の下で、絵本を読んで、大きく育ちました。絵本は人を、空のように大きくする心の栄養です」
 子ども達は、また青い空を見上げた。
「カンボジアの子ども達に、絵本をいっぱい読んで大きく育ってもらいたいと思って、こうして届けることができました」
-そう-
 この光景は、カンボジア国コンポントム州タン・クロサワ村小学校を訪問しての絵本贈呈式でのことだった。
「海よりも広いのは、大空です。大空より広いのは人間の心です」
「どうぞ皆さん!!この大空より広い心を育ててくださぁ~い!!」
 曹洞宗東北教化センター統監でもある、宮城県徳本寺住職「早坂文明」師の挨拶であった。
 当時、私達は曹洞宗の東北寺院より歓募した浄財で、移動図書館車をSVA(シャンティ国際ボランティア会)に寄贈し、日本の家庭で本棚の片隅に眠ってある絵本を集めては「クメール語」に翻訳した紙を1ページ毎に張り付け、その絵本を現地に届ける活動をしていた。

-ひるがえって-
 この大島代議士も、早坂文明師も、両者の「心」は、まさに「大きな心」であり、「広き心」であり、そして、青空の如く「澄みきった心」なのである。
 その「青い空の下」には人々が、子ども達が住み生活をしている。だからこそ、青い空の下で生きている人々の幸せを願い、その心を救わんとする「大いなる心」なのだ。

 大島代議士にとっては、その無私無欲、公正公平なる国民を慈しみ救わんとする理念を以ってしての「政治の心」が、私の問いに対する「青き空の如し」だったのではないか。
 また、早坂師にしても「青き空の如くの心」で子ども達への心に栄養を与えんとする無私なるボランティア活動だった。
 どちらもまさに澄みきった「青空心(あおぞらしん)」だったのだ。
 この「青空心」こそ、大島代議士にとっては政治家としての「宗教心」であり、早坂師にとっては、和尚としての「宗教心」であった。

 今回の第8図「人牛俱忘」は、無求無欲、無垢無心、自己の悟りすらも、求めることも無く、忘れ去ってしまうほどの「無執着」を説いている。
 澄みきったどこまでも「青い空」だ。
 それはまさに能(よ)く「祖宗(そしゅう)」に合(かな)うことなのだ。
-だからこそ-
 何も描かれていないし、描くことすらも出来ない「俱忘(ぐぼう)」、つまり共に忘じ去った境地であり、また「俱」には「全て」との意味にも捉えるならば「全てを忘ずる」とも受けとめることが出来るのではないか。

合掌