和尚さんのさわやか説法325
曹洞宗布教師 常現寺住職 高山元延

 今月号の「さわやか説法」も、またまた『十牛図』であり、第7図「忘牛存人(ぼうぎゅうそんにん)」である。
 牛を忘れて「ただ人だけが存(い)る」と読む。
 牛を尋ね、探し求めて、やっと見つけ捕まえ、第6図においてはその牛の背に騎り、我が家へ帰る「騎牛帰家(きぎゅうきけ)」の物語だった。
 それは、自分自身と牛に例えての「自己本来の心」とが一体となっての「無心」なる「安住の境地」へ帰る。との意味であった。

 その安住なる我が家へ帰ったら、探し求めて、せっかく捕えた「牛」のことをすっかり忘れ、その牧童である「人」だけが「家」に存(い)る。というのだ。
 一体、これはどういうことを意味しているのだろうか?

 「忘牛存人序七」には、こう説かれている。

 法無二法 牛且為宗
 喩蹄兎之異名
 顕筌魚之差別
 如金出鉱 似月離雲
 一道寒光 威音劫外

 またまた漢文である。まっこと難しい。
 では和訳してみよう。

 法(ほう)に二法(にほう)無(な)し、牛(うし)を且(しばら)く宗(しゅう)と為(な)す。
 蹄兎(ていと)の異名(いみょう)に喩(たと)え 筌魚(せんぎょ)の差別(さべつ)を顕(あら)わす。
 金(きん)の鉱(こう)を出(い)づるが如(ごと)く、月の雲を離るるに似(に)たり。
 一道(いちどう)の寒光(かんこう)、威音(いおん)の劫外(ごうがい)。

 まだまだ難しい。そこで、今度は意訳してみよう。
 法とは、仏法のことであり、仏の教え、仏の心のことである。
 つまり、法に二法なしとは、第1図から第6図に至るこれまでは、「牛」と「牧童」とは別のものであるように描いてきたが、実は仏の教えを説く為の方便で、本質は2つでは無くしばらく「牛」を登場させていたのだ。
 それは、例えばウサギを捕まえる蹄(わな)や、魚を獲る筌(しかけ)のように、捕獲する為の別な物と同じように「本来の心」を捕まえるための喩えとして「牛」を主題としていた。
 その「牛」たる「本来の心」を捕まえたことによって、気づき悟ったということは、あたかも鉱山から採掘された金のごとく、あるいは雲から離れ、天に皓々と輝く月と同じなのである。
 その一筋の月や金のきらめく光は、歴史当初以前からの仏である「威音仏」という過去世の昔より輝いているのであった。

-まあ-
 この漢文を意訳すると、以上の如くではあるが、これは、どんなことを言わんとしているのか。
 つまり、自己本来が具有している「仏心」「仏性」に気づく、「悟り」を指している。
 それを、「月」とも「金」の「光」と表現し、それは鉱山に埋もれ、雲に隠れているが、実は、その中にあって過去以前からずうっと秘そんでいたのだ。
 その仏心、仏性は、自分自身の心の中にあることに、私達は気づいていない。
-だから-
 今ここに、「牛」を喩えにして、尋ね探し求めての旅を説いてきた。
 それ故に、自分と「自己本来の心」とが一体となったのだから、第7図においては、もはや「牛」は描かれていなく、安住の境地である「家」に、悟りを開いた牧童という「人」そのものだけが描かれているのであった。

 エレキの神様。寺内タケシが本年6月18日御逝去されたという。
 先月、NHKのBS放送で彼の追悼番組「あの人に会いたい」があり、私の青春時代を重ね合わせて見入った。
 そして、寺内タケシが最後に語った一言に唸ってしまっていた。
-それは-
「ギターは、弾かなきゃ、音は出ない!!」

 1960年代、ビートルズの世界的ブーム、初来日、そしてベンチャーズの同じく初来日。
 そこに「寺内タケシとブルージーンズ」が颯爽と登場すると空前のエレキブームが全国の青少年、若者たちの間に巻き起こった。
♫テケテケテケ♫
あのギターテクニックに魅了されたのだ。
 その1人が、今、八戸仏教会の会長でもある「南宗寺」の御住職であった。
「ダンカーズ」なるバンドを結成すると、八戸市内で演奏し、私も何度か無理やりチケットを買わされた。
「禅とエレキ」を融合しての仏教活動なのか。檀家教化であろうか。

 もう1人は、私の弟でもある「高山歯科医院」だ。
 弟がギターに興味を持ったのが、私の高校時代、昔の蓄音機から流れる「ビートルズ」のレコード曲を、隣りの子供部屋で襖越しに聞いたのがキッカケだったという。
 私が駒大へ入学し、部屋が空くと、そこに陣取り、「水を得た魚の如く」に自由奔放。
 弟は仲間を集め「ベンチャーズ」や「寺内タケシ」よろしく、中学3年の時、小中野に流れる「新井田川」にあやかり、「リバース」を結成しては「常現寺」で「テケテケテケ」とやったのだ。
 これには、父親の住職は、苦虫をつぶし、「不良になるよりは、いいだろっ」と黙認したとのことを後で私は聞いた。

 八戸でも、そうであったように、全国的にエレキブームはエスカレートし、ますます熱狂的になっていった。その時に「不良になるよりはましだ」ではなく、「不良化の温床になる」との声が強まり、問題化されることによって「エレキギター禁止令」が教育関係者から打ち出された。
 当時「ジーパン、長髪、エレキギター」は、不良のレッテルとなった。

 寺内タケシの元には、全国の若者達から悲痛な手紙が寄せられたという。
 彼は決心した。
「こうなったら、高校に行って、自分のギターを弾いて、聞いてもらおう」と…。
 しかし、その願いは全く届かなかった。
 そこで、母校である茨城県土浦三高を訪ねると、恩師でもある校長先生が、
「分かった。寺内やってみろ!!」
「芸術鑑賞、音楽鑑賞として認めてやる」
 それが、寺内タケシの「ハイスクールコンサート」の第1校目であったという。
 その高校での「コンサート」初期の頃、「エレキを禁止した大人達が認める音楽を、もしエレキで演奏したら…」
「クラシックをエレキで」
「民謡をエレキで」
とのヒラメキが……。
 あのベートーベンの「運命」を編曲した「レッツゴー『運命』」であり、エレキ版「津軽じょんがら節」となって、全国の大人達を唸らせた。
-爾来-
 寺内の活動は年間180回の演奏の中で、「ハイスクールコンサート」には40回を当て、亡くなるまでに1500回を超えたという。
-その時-
 高校生達に、いつも語った言葉が、
「半世紀以上、泣いて笑って、命を懸けて、分かったことがある」
 それは
「ギターは弾かなきゃ音は出ない!!」
「たった、これだけのことが分かった!!」
「だから、皆な!!」
「迷ったら、この言葉を思いだせ」
「ギターは弾かなきゃ音は出ないだ!!」

 私は、この言葉をTVを通して聞いた瞬間身震いして唸った。
 寺内タケシによるエレキギターの音は、自分とエレキの2つは別物ではなく、一体のものであり、弾くことによっての「音」は、実は「自己本来の心」なのではと……。

 まさにエレキの舞台は寺内にとっての「安住の境地」である「我が家」であり、そこには弾き出された、寺内の「心」そのものが光の如くに輝いていたのだ。

 このことは、『十牛図』「忘牛存人」で説くところの対象である「牛」を忘れ「人」そのものだけの「家に存る」図は、「牛」と「人」との一体なる「心」そのものを表わしていることに他ならない。
-さすれば-
 寺内タケシのエレキは、ギターという対象を自己の演奏と一体化した「寺内タケシ」その「人」の存在だけで、そこには「音」という「心」が弾くことによって具現化している境地なのだ。
 まさに「仏心(ぶっしん)」は「音心(おんしん)」なりだ。
「ギターは弾かなきゃ、音は出ない」は
「悟りは修行しなくちゃ、悟れない」なのだ。

合掌

参考 NHK「あの人に会いたい」