和尚さんのさわやか説法330
曹洞宗布教師 常現寺住職 高山元延

 私は、無類の銭湯大好き人間である。
 そりゃあ~。我が家のお寺にも風呂はありますよ!!
 ユニットバスのお風呂ですけど…。
 でも、銭湯派の私にとってはまるっきり「お風呂」に入った気がしないのだ。
 なんたって、脚が伸ばせない!!
 短い脚ながら、膝を折らなきゃ入れない
 それに、浴槽は、その小さい湯舟一つきりだ。シャワーは勿論、洗い蛇口は一つしかない
 選択の余地がない
 もう「ないない」づくしだ。
-その点-
 銭湯は、パラダイスだ。
 脚は伸ばせるは、身を屈(かが)めなくていい。
 両足をバチャバチャだって、背伸びだって出来る。
 また、浴槽の何とバリエーションの豊かなこと!!
 熱いお湯に、少し温かめ。大きい湯舟から、少し中ぐらいの湯舟。
 おまけに泡風呂に、ジェット噴流風呂や、薬草風呂だ。寝風呂に坐り風呂、立ち風呂、それに露天風呂まである銭湯だってある。
 それに何たって、サウナに水風呂だ。
 私は、あまりサウナに入らないが、湯舟にドップリ浸(つ)かって、汗をダラダラと流して、水風呂にザップンと入る。
 あの時の冷水の爽快感は、絶対に家の風呂では味わえない。
 それに、シャワーだ。我が家のものとは、勢いが段違いだ!!
 それこそ「シャワァー」って出るのだ。
 私のお寺のシャワーは「シャワ」止りで「ァー」と流れない。「シャワシャワ」としか出ないのだ。
 トッホッホッホ💧💧💧
 極めつけは、電気風呂である。
 湯舟の中の電極板に背中を押し当てると、ビリビリと低周波の電流が肩に腰にと身体中を刺激してくれる。
 私には、ケータイやスマホの気持ちがよく分かる。
 まさに、「充電中」そのものなのだ。私にとって電気風呂はコンセントだからだ。

-てなことで-
 私は、ここ数年、いや数十年、我が家の風呂に入ったためしはなく。毎日銭湯に行く。
 それも朝と夜の2回である。
 たまには昼も行く。
 八戸市内には、古くから多くの銭湯があり、人口比率での銭湯の数は日本一であるという。
 それも、どこもが朝早くから夜遅くまで営業をしている。
 年中無休のお風呂屋さんだってある。
 だからこそ、あちこちの銭湯巡りもまた楽しい。
 八戸は、まさに銭湯王国であり、銭湯文化が花開いている街なのだ。
「水産都市八戸」「工業都市八戸」に例えるならば、「銭湯都市八戸」「朝風呂都市八戸」であり、「銭湯のまち八戸」なのだ。

 私は湯舟の湯に浸かりながら、あるいは浴槽の縁(へり)に座りながら、入っている男性の方々の人物を眺めるのが好きだ。
 男風呂であるからにして、男ばっかりだ。
 男が好きなのではなく、眺めるのが好きなのだ。
-つまり-
 人物観察である。
と言うか、人間の性格観察だ。
 湯舟につかりながら、あるいは縁(へり)に座ってボヤーっと眺めている。
 生身の人間の姿が見える。飾りようもない、まっ裸の人間そのものの姿が見えるのだ。
 ボディシャンプーや石鹸で身体を流すのだって、個性がある。洗い方、こすり方が千差万別だ。
 これが実に、面白いのである。
 ましてや、湯舟に入るやいなや。
 子供のように無邪気なのか、子ども以下なのか、バシャバシャと両腕ですくい出したり、かき回したりする大人もいる。
 これとは逆に、湯舟の中の「御仏様」の如く、鎮座ましまし、まるっきり動かない人もいる。不動の爺(じい)さまもいる。生きているのか、死んでいるのか。
「極楽極楽」と呟いていた。

-ある日のこと-
 いつもより早く、夕刻前に近くの銭湯に行った時のことだ。
 一番奥の水風呂に入り、その縁に座っていた時だ。大きな浴槽に静かに入っているシルバーグレーの頭髪が目に飛び込んできた。
「シブい!!」
「なんという風格だ!!」
 とてつもなくオーラが感じ取れた。
 その男性は、眼を閉じ、まるで悟った禅僧のような雰囲気を放っていた。
 私は、確かめるべく隣の湯舟に入り、脚で泳ぐようにしてそおーっと近寄った。
-そしたらである-
 何と、私の知っている人物だった。
「ありゃあー。岩渕さんだったのかぁ~。」
「どこの紳士かと思いましたよ」
「ものすごくシブいし気高さを感じたね」と言うと、
「和尚さん。なに言ってるんですか?」
「オレは、渋くないし、気高くないよ」と、笑い飛ばされた。

-この人物とは?-
 元銀行マンで、八戸のシンガーソングライターでも有名なミュージシャンでもあり、小中野は「いわぶち響堂(ひびきどう)」という音楽居酒屋の当主、岩渕弘之氏であった。
 彼の店には、音楽好きのジャズバンドの方々が日々、集い、毎週多種多様なライブが開催されている。
 八戸をこよなく愛し各地区の「街歌(まちうた)」を作詞作曲しては歌っている。
-例えば-
「十三日町物語」
「種差海岸花めぐり」
是川の「縄文浪漫」
「ナイトイン惣門町」
とか、あるいは、
「小中野サこないかい」
そして、常現寺のイメージソング。
「旅する人へ」である。
 1番の歌詞だけを紹介してみよう。
♬悲しい時には
 思いきり
 涙をながしてごらん
 淋しい時には
 故郷(ふるさと)の
 歌を唄ってごらん
 人は旅人(だびびと)
 星明かりを頼りに
 さまよい歩く
 道に迷って疲れた時には
 いつでもここにおいでよ
 ここは 小中野 魚籃山 常現寺 ♬

どうであろうか。歌を聞きたい方は「常現寺HP」を開いて「イメージソング」をタップしてみて下さい。
 PCでもスマホでも聞けますよ!!

-まさに-
 岩渕さんの歌は、音楽を愛し、人に伝えんとする心は、お釈迦様が『法句経』(363)で説示されていることと合致しているのではないか。そう思った。

 比丘(びく)の
 口(くち)をよく制(ととの)え
 言(い)うところ
 賢(けん)にして 寂(じゃく)
 義(よし)と法(のり)とを示(しめ)さんに
 彼(かれ)の説(と)くところ
 甘美(かんび)なり

 この一節を岩渕さんに当てはめるならば、さしずめ、こうなるのであった。

 歌人(うたびと)の
 口をよく調(ととの)え
 歌うところ
 賢にして 寂
 曲の意味と教えを示さんとする
 彼の唄うところ
 甘美なり

 そういう岩渕さんの「響堂」は、音楽堂(おんがくどう)を究めんとする、まさに響道(ひびきどう)なのだ。
 そのひたむきな心と情熱が、あの風呂屋で、裸になった時だからこそ、「今そのものの人物」が滲(にじ)み出(で)ていたのであろう。
「シブい!!」
「気高い!!」と……。
 生身の人間が、裸になって、裸で入る風呂屋だからこそ、隠しようもなく人物そのものが表われるのではないか。
 来月号もまた「銭湯説法」は続きます。

合掌

 参照『法句経』友松円諦訳 講談社学術文庫