和尚さんのさわやか説法336
曹洞宗布教師 常現寺住職 高山元延
私は、この2ヶ月、「和尚のコロナ陽性騒動記」として、その体験を連載してきた。
今月もまた、隔離施設でのコロナ闘病記である。
先月号の「さわやか説法」の後半部分において、私は、お釈迦様の説かれた『法句経』(129)を例示してみた。
すべてのもの
刀杖(つるぎ)を怖(おそ)れ
すべてのもの
死をおそる
おのれを
よきためしとなし
ひとを害(そこな)い はた
そこなわしむる
なかれ
私は、この教えの2行目の「刀杖(つるぎ)」を「コロナ」に置き換えてみるならば、まさに、現今下の「新型コロナウイルス」の恐怖そのものを、ズバリ言い当てているのではないか?と思ったからである。
抗原検査で陽性となり、そしてその後のPCR検査でも「陽性」と出た時の私の心境は、まさに「不安と恐怖」だった。
本当に「死」を覚悟し、「死を怖れた」ことは、紛(まぎ)れもない事実だ。
隔離施設に入所した途端、日毎に熱が上がり、特に夜になると38℃を越え、寝汗を何度もかいた。
身を縮こませ、その汗と闘いながら横向きに寝ていると、胸の奥から「クー」っと小さな音が、やけに耳に響いてきた時なんぞは、「もう、ダメかも?」なんて、恐怖におののいていた。
更に追い討ちを掛けたのは、妙に、身体が「軋(きし)む」ことだった。隔離施設入所の4日目あたりから、ことさらに顕著になってきた。「雑巾を絞る」というか、身体が「ギュッ」と絞られるように軋(きし)むのだ。
これは、非常に辛(つら)かった。起きても寝てもともかく身体が痛い。
でも、温かいお風呂に入っていると、いくらかその軋みが軽くなるのだ。
そこで、まんずまんず風呂に入ったこと!!
朝起きては入り、更に朝昼夜の食事前後、そして寝る前にも入るといった具合で、次いでに下着の替えも底をついたこともあり、毎回、ユニットバスの中で洗濯をしていた。
隔離施設は全国チェーンのビジネスホテルであり、コインランドリーは装備されているはずだが、その階は閉鎖されていた。
私は洗濯しながら、こう思った。
「手洗いで、洗濯するのは、学生時代以来だなぁ~」
「あれは、確か昭和45年、初めて東京の4畳半のアパートで自炊生活を始めた時だよなぁ~」と、湯舟でセンチメンタルになっちまった。💧💧💧
-さてさて-
私は、この軋(きし)み通(つう)に耐えられなくなり、そのことを看護師さんに訴え、担当医の「オンライン診療」で、画面越しにでも訴えた。
「先生!!この痛みは、コロナの影響ではないでしょうか?」
「コロナが私の身体を蝕(むしば)んでいるからではないでしょうか?」
と、矢継ぎ早やに畳みかけた。
画面の向こうの先生は、あまり意にも介さず「あっ、そうっ」というような感じで、こう答えた。
「あんまり、コロナとは関係ないみたいですけどねェー」
私は、てっきり、
「それは、大変だぁ!!」
「すぐに、検査や、処置をしなくては!!」という答えを期待していたのだが……。
まるっこ、当て外れだった。
「熱はあるけど、そんなでもないし……」
「それにSPO2酸素飽和度は正常ですからねェー」
「あなたの軋みとやらは、コロナとはねェー」と、やんわりと否定された。
-でも-
私は、この痛みから逃れたく、ワラにもすがる思いで、切り返しの一発。
こう画面に向かって言った。
「先生、湿布薬でも、サロンパスでも、何でもいいですから、貼り薬を下さい」と叫んでいた。
先生は「ウーン」と唸るようにして考えていたが、
「まぁ、いいでしょ!!あなたが希望するなら出しておきます」
そう言うと、画面がプツンと切れた。
部屋に戻り、また風呂に入っていると、電話が鳴った。
「お薬が出てます。1階の食器棚に置いておきますので取りに来て下さいね」との連絡だった。
早速、行ってみると白い袋一杯に、ズシッと重みがあるぐらいの量の湿布薬が入っていた。
夜、寝る前に両肩、両脚、胸に腹に、そして背中まで、身体中に湿布薬を貼りまくってベットに入った。
-そしたら-
「まぁー何とまぁー」身体中がヒューヒューとして、痛みは、どっかにぶっ飛んでいた。
風呂上がりの火照った身体が、今度はクールミント系ガムみたいになっていたからだ。
トッホッホ💧💧💧
私は、その状態で眠りに就(つ)いた。
これが功を奏したのか、寝汗をかくことなく、久しぶりに朝までぐっすり眠れたのである。
熱は36℃台の平常値になっていた。
私は、隔離部屋で、雄叫(おたけ)びを上げた。
「コロナが退散したぁーーー!!」
「コロナが逃げていったぞぉー」
「何だか 良くなったみたいだぁー」
-もう-
本当に単純、単細胞な和尚です💧💧💧(泣)
-その夜-
奥様からLINEメールがあった。
「今日は七夕ですね」
「夜空には、きっと天の川が輝いているんでしょうね」
「子供の頃、短冊に願いを書きました」
「和尚さん しっかりとコロナを治してね」
「私も頑張ります」とあった。
私は、すぐさま返信した。
奥様は、私がコロナに感染した3日後に発熱し、実家の弘前に帰っていたこともあり、現在は弘前保健所管内の隔離療養施設ホテルに入所している。
-そんなことから-
「彦星様と織姫様は天の川を挟んで、離れ離れになっている」
「私と、貴女とは、天の川ではなく『コロナ川』が横たわっているんだね」とLINEした。
私は「決まった」と思ったのだが、また返ってきた奥様のLINEは「おやすみなさい」のたった7文字であった。
多分、呆れられたのであろう。
「おやすみなさい」の裏側に「アホッ!!」という声が潜んでいた。
-今回の-
私のコロナ陽性で、感じたのは、私の奥様は、なかなか出来た人物であるというか、ものすごく「エライ」女性であると、心からそう思った。
それは、決して私を責めなかったからだ。
普通は、ダンナから感染させられたものなら、責めまくることは必定だ。
ケチョンケチョンにやっつけられても仕方が無いと私は思っていた。
これが逆ならば、私は奥様をボロくそに貶(けな)していただろう。
-しかし-
奥様は、決してそんなことはしなかった。
黙って、弘前保健所管内施設で耐えていたのだ。
私にとって、奥様はまさしく天に輝く「織姫」星なのだ。
私は、この「天の川」を「コロナ川」に代えてのLINEを、ある方に教えた。
-そしたらである-
「ロマンチックですね♡」とのメールがあった。
私は、また、すぐ様返信した。
「違いますよ!!」
「私達は、ロマンチックではなく」
「老マンチックなんです」と……。
今回の私と奥様のコロナ感染は、夫婦の絆が、年老いても、いまだに「陽性」であることも確認出来たような気がしている。
トッホッホッホ♡♡
合掌
※『法句経』友松圓諦 講談社学術文庫