和尚さんのさわやか説法300
曹洞宗布教師 常現寺住職 高山元延

 5月1日、新天皇陛下が御即位されて、年号が「平成」から「令和」へと継承され、新たな時代が始動した。
 その幕開けの記念すべきこの5月に、「さわやか説法」が、300号達成と重なり感無量なる思いが去来する。
—思い顧みるに—
 初めて「月刊ふぁみりぃ」紙に「さわやか説法」が掲載されたのは平成元年9月16日だった。
 ということは、平成の時代が始まった時から30年間に渡って300回連載したことになる。
—つまり—
 さわやか説法の300回は、私にとって平成時代の歴史と共に歩んできた「説法の道」でもあったとも言える。
 それは、とりもなおさず、読者の皆さんが私の拙い文章を…。
 あるいは、愚説な法話を…。そして破茶滅茶な説法を…。
耐え忍んで、毎回読んでくださってきたという歴史でもあった。
「読者の皆様に、心から感謝し、御礼を申し上げる次第であります」
 私自身、皆様の「読んでますよ!!」とか「今月号はおもしろかった!!」とか
「毎回、楽しみにしていますよ!!」との声に励まされてきたことが、その原動力ともなっての30年間であり、更には「さわやか説法」自身も、皆様のおかげで随分と成長し、育てられてきた30年でもあった。

—ことの発端は—
 平成元年7月、「月刊ふぁみりぃ新聞」の編集長 穂積清美氏との出合いからであった。
「和尚さん!!月刊ふぁみりぃという小さな新聞社の編集をしている者ですが…」
「折り入ってお願いしたいことがあります」
おずおずと低姿勢ながらも、玄関口にどっかと仁王立ちした。
「実は、8月のお盆号に『八戸御城下三十三観音巡り』を掲載しようと思っておりまして…」
「常現寺さんは、27番札所でもありますんで、その掲載をする御報告と…」
 私は、その言葉に喜んだ。「へェー。載せてくれるんですかぁー」
 八戸御城下三十三観音とは、明治30年、来迎寺、佐々木恭岑上人が発願し制定された札所である。
 私の寺「常現寺」は明治30年当時は、「梅翁庵」という庵寺であり、御本尊様は「魚籃観音」である。
 私は市民の皆様に広く知ってもらう為にも、その申し出に快く応じた。
—そしたらである—
 その編集者は、続けて、おずおずとこう言った。
「そんなことで、常現寺さんを御紹介する広告もお願いしたいのですが…」
「どうぞ、よろしく、よろしく…。」と両手をさすりながらの懇願であった。
 私は、「なんでぇー。そっちの方が主眼じゃねぇのかい?」
 苦笑いせざるを得なかった。
—かくして—
 商談は成立して、帰りがけの時である。
 廊下に設置していたコピー機の上に、御本山に送るべく用意していたテレホン法話の原稿のコピーが無造作に置かれていた。
 それを目敏く見つけた編集長は
「和尚さん!!これをもらっていいですか?」
と訊ねてきた。
「ああ、いいですよ。まあ、よかったら読んでみてください」と、そのコピーを手渡した。

—この手渡しが—
「さわやか説法」300号の大木に成長する「一粒の種」が大地に落ちた瞬間だった。
 その時は、私も編集長も知るよしが無い。
 1ヶ月後「八戸御城下三十三観音巡り」が掲載された「ふぁみりぃ紙」を届けながら、しっかりと広告代金を集金バックに納めると彼は、こう言った。
「来月の9月号に何か書いてくれませんか?」
「何でもいいです。」
「ちょこちょこっと書いてくれればいいんです」
「この前、いただいたコピーを読みまして、実に感動しましたぁー」と、妙にくすぐるのであった。
 最初は、おずおず
 半ばに、しずしず
 最後は、ずけずけ
私は、もう「たじたじ」となって引き受けてしまっていた。

—その最初の—
 第1号の原稿の題名は「一語一縁(いちごいちえん)」という茶道の「一期一会」をもじっての造語であった。
「一つの語りかけ」から「一つの縁」が生じるという内容の法話であった。
 今般、300号を執筆にあたり、その時の生原稿は本棚の引き出しの中に確か保管していたはずだと思い、探してみた。
 そしたら、その奥底に静かに眠っていたのである。(写真)
 これには、私自身もびっくりした。
「よくもまあー。ちゃんと、残ってたもんだよなぁ…」
「最初は、原稿用紙たったの4枚だ」
「今は、13枚か14枚だから、約三分の一の量だったんだなぁ…」と、感慨深いものがあった。

 令和の時代になってあらためて読み返してみると、30年が経った現在でも、ちっとも風化していないのである。
 そこには、こう書いてあった。その一節を上げてみると…。

 私達は日頃「こんにちは」「おはよう」という小さな挨拶、ちょっとした語りかけから、初めて会う人にも、いつも会っている人にも、その時と時、一つ一つの縁が生まれているものなのです。(中略)
 一語の尊さ、大切さそして一つの縁の不思議さ、有難さ、小さな縁もあれば、大きく育つ縁もあります。忘れ去られる縁もあれば、いつまでも続く縁もあり、離れる縁もあります。でも、その最初は皆な一語をもっての縁ではなかったでしょうか。

 どうですか?皆さん。色あせているどころか今でも新鮮な響きがあると感じませんか?
 我ながら驚きです。

 この「一語一縁」の原稿を取りに来た「ふぁみりぃ新聞」の編集長 穂積清美氏は、その原稿を手にすると、またまた難題をぶち上げたのだ。
「ところで、このお話のタイトルは、どうつけたら良いのでしょうか?」
「表題を付けてくれませんか?」
「ずばり、皆さんにインパクトを与えるようなタイトルを考えてください」
 私は「う〜ん!!」と考え込み、唸ってしまった。
「何と、つけたらいいのか?」
「皆さんに、スパッと分かるようなタイトルかぁ〜」
—その時だった—
 パッとひらめくものがあった。
 それは、ある老師様との「一語一縁」の出合いがあり、その説法の姿を敬愛していたからであった。
 私は、迷わず「さわやか説法」と答えていた。

 その一語一縁とは?何故「さわやか説法」と名付けたくなったのか? その理由とは?
 それは次号の301号にて語ります。
 乞う!!御期待を!!

合掌