和尚さんのさわやか説法265
曹洞宗布教師 常現寺住職 高山元延

 全国的に、今日からドバっと「お盆」である。
 皆様にとっては、待ちに待った楽しい家族団欒の日でもあろう。
 それは、亡くなられた父や母、あるいはお祖父ちゃんやお祖母ちゃん、愛する人を…。
 そして、御先祖様方をお迎えして、今生きている人も、亡くなった人も一堂に会して過ごす年に一度の「家族の集い」であるからだ。
 それぞれの御家庭においては、お仏壇の前に精霊棚を飾り、御位牌をまつり「こも」と称せられる敷物の上に、お盆の供物や御馳走をお供えして、亡き人をお迎えする。
—そうして—
 「お盆の入り」である13日には、墓前で「迎火」を焚く。
 各御寺院や霊園においては、その日の夕刻。お参りの人々は手に小さな数珠を持ち、車は渋滞の大きな「数珠つなぎ」となる。

—さてさて—
 お盆は日本においてはいつごろ始まったものだろうか?
 文献に残るものとしては、推古14年(606)ということであり、今から1400年前のことだ。
 このお盆はお釈迦様からの仏教独自の行事というものではなく、古来日本での民間宗教的な祖霊を祀るという習俗とが合体し、やがて江戸幕府による「寺檀家制度」と、中国から伝来した「仏説盂蘭盆経(ぶっせつうらぼんきょう)」の流布により、現在のお盆の風習へと変遷してきたものと考えられる。
 この「仏説盂蘭盆経」は、「仏説」と称してはいるが、お釈迦様自身が説かれたものではなく中国に於いて作られた「偽経(ぎきょう)」とされている。
 ここには、目蓮尊者というお釈迦様の十大弟子の一人を登場させ、そこにおいて、地獄に堕ちて苦しんでいる目蓮尊者のお母さんを救わんとする「孝心」が説かれ、供養の心が示されている。
 実は、このお経は中国の儒教の中心とする「孝」の教えが元となっているのではないだろうか。
—つまり—
 江戸幕藩体制においては、君主に仕え、家にあっては家長(かちょう)を敬い尊ぶという「忠義」であり、「孝行」の礼節を尽くすことが本分とされた。
—即ち—
 この儒教の「孝心」と仏教、古来日本からの祖霊信仰に、そして更には仏教を基盤としての檀家教化活動において確立された「日本の風習」ともなったものではないかと、私は考えている。
 故に「お盆」の風習は、日本全国、各地域また各寺院においては、いろいろと習わしやら形体等は異なるわけだが、しかし、その「教え」の根本は先祖を敬い、そして迎えるという「孝心」という供養なのだ。

—ここまで—
 「お盆の起源」を推論、邪論、極論してきたわけだが、こうなったら更にまた空論、愚論を展開してみよう。
 それは、「温故知新」という格言だ。
 実は先月、フトした会話から突然、この格言が思い浮かんだことによる。
 ある檀家さんの御葬儀が終わっての初七日法事会食の席で、私の隣りに一人の青年が座っておられた。
 「私は、本日の喪家の親戚筋にあたるもので、○○家のもので、その孫です。」
 私は、ハッと思い出すものがあった。
 青年のお祖父さまの風貌と笑顔を…。
 その方は事業家であり、また篤信家でもあった。菩提寺はもとより、市内随所の神社仏閣には事業で得た利益をめぐらしもって寄進の浄行を積んでいた方である。
 私は、その話をしながらも、お祖父さんの創業時の事業展開での「先見の明」、そしてその苦心談を語り、更に二代目にあたる青年の父上様の初代から継承した事業を、いかに成就していったかの親子二代の一端を話した。
—そして—
 次にこうつけ加えた。
 「今、ここにある貴方の会社は、初代、二代が苦労して築き上げてきたものです」
 「その先代の苦心苦労を自己の学びとして、更に自分自身も同じく苦労していこうとする覚悟が肝要なのです。」
 三代目ともなると、往々にして完成されたものを継承するが、それをそのままとしてだけで安住していると、自己改革が出来ないのである。
 「自己向上」は、三代目であろうが、四代目であろうが、常にその時代の「自己の工夫弁道」なのだ。
—その時に—
 自己自身を振り返るには先代の「先見の明」や「先見の行動」、「先見の苦心」を如何に見据えるかにある。
 先代の生き方を学びそして、先代の構築した今ある現在の会社を事業を見据え見抜くことが大事なのである。
 そんなことを話した後、寺に帰ってから思い浮かんだのが、「温故知新」の格言だった。
 温故知新とは、孔子の『論語』の中の教えである。
 訓訳するならば「故(ふる)きを温(たず)ねて 新しきを知る」と読む。
 一般的な解釈とすれば、「昔の人の物事を研究し吟味して、そこから新しい知識や見解を得ること。」である。
 この「温」は、二つの読み方がある。それは「たずねる」と「あたためる」であって、漢字表記は同じではあるが、意味するところは微妙に異なる。
 また、「故」は「ふるき」とは読むが、「古」ではないのである。
 つまり「故」の「ふるき」とは、故人であり、故事のことだ。
 いうなれば、亡くなられた先人のその当時のあった事柄、来歴、生き様を指すものである。
—とするならば—
 温故知新は、先人の歴史を学び、先人の事象や足跡をしっかりと感得し、そこから自己の学びを通して、今の自分のあり方を検証し、新しき向上を図るものということなのだ。

 単なる漫然とした古きを温めたり、たずねるものではない。
 それは僧侶たる和尚にとっては、お釈迦様や先人たる祖師の教え、あるいは生き方を学び、修行の足跡を求めては自身の新しき「仏向上」「工夫弁道」に精進することである。
 それを私達一般家庭に置き換えてみるならば、先人たる御先祖や祖父母、父母の生き方を振り返り、その「心」をたずね、温めることにあるのだ。
 その学びから、現在の自己に生かすことが、即ち「新しき」ことを知ることなのである。
 その「新しき」ことが更に進化すれば、「知進(ちしん)」となり、深めることによって「知深(ちしん)」となり、先人の心を更に知ることによっての「知心(ちしん)」ともなるのではなかろうか。
 そのような子孫の成長が、とりもなおさず先人たる御先祖への「孝心」たるものにほかならない。

 私は隣りに座った青年との出会いから、あらためて「温故知新」の意味たるところ、そして「お盆」における御先祖様を迎えての「家族の集い」の意味を学ばさせられた。

 どうぞ皆様におかれましては、良き「お盆」を迎え、御先祖様や、亡き祖父母、父母の心を思い返し、その生き方を温め、たずねてみてはいかがでしょうか。

 今回の「お盆特集号」には愚考を重ねてしまい心よりお詫び申し上げます。
 

合掌