和尚さんのさわやか説法259
曹洞宗布教師 常現寺住職 高山元延

 新年 明けましておめでとうございます。
 皆様にとりまして、本年が良き年であることを、心より御祈念申し上げると共に、この「さわやか説法」もよろしくお願い申し上げます。
 さて、今年は干支でいうと「羊(ひつじ)年」である。そこで、まず美しいという漢字の「美(び)」の語源を説法してみたい。つまり、これは上に「羊(ひつじ)」を書き、下に「大(だい)」を書いての合字であって、大きい羊のことをいうのである。
 ということは、古代中国の漢字が成立した時代にあってはふっくらと丸々と太った人が美人だったのだ。
—ところが—
 現代は、スレンダーな女性、ほっそりとした方を「美しい」と表現する。まるっきり逆なのだ。
 昔は、ふっくらと、ふくよかな羊のような女性が「美しい」とのことであった。
—因みに—
 私の奥様のお名前は「美子」とかいて「はるこ」と呼ぶ。我が寺に嫁いでこられた当時は、それはそれは現代的なほっそりとした「美人」だと思っていたが、「あれから40年!!」…(涙)
 まさしくお名前の如く、羊(ひつじ)が大(だい)となり、今や、ふっくら、ふくよかを通り超して、ふくらんだ羊になっている。
 だから、私は、「やっぱり、奥様は名前の通りの人だなぁ〜」と感嘆せざるを得ない。
—てなことで—
 今年の「未年」は、ふっくらとした良き年であると予言したい。
 願わくは、景気も「ふっくら、ふくよかに」なり、世界中の人々の「心」もまた、ふっくらとなってもらいたいものである。
—さて—
 昨年後半の「さわやか説法」では、常現寺六世、高山不言和尚が我が子3人に対しての「お前なら、どの軸を選ぶか?」の『禅問答』の逸話を紹介してきた。
 7月号では、私の弟である「高山歯科医院」の裕章が選んだ「白雲去来」を。
 そして11,12月号にて、ブラジル国に移住した末っ子の直己の選んだ「延命十句観音経」の解説をしてきた。
—ということから—
 本号では、長男の私「高山元延」が選んだ軸の話をする。
 私の元延という名は僧名で「げんえん」と今は呼ぶが、幼い頃というか、和尚になる以前は訓読(くんよ)みで「もとのぶ」と呼ばれ、略称で「モト」であった。
 因みに、和尚となる決心をし、仏道に入ったのは、高校3年生の時であり、その時から「げんえん」となった。

 あの時、小学6年生であった私が選んだ軸は「福寿如意」と書かれた軸であり、丸い輪っかのようなものが三個描かれていた。
 それは、小学校如きが読めるような代物ではなく、ましてや、その「輪っか」のようなものも、何たる意味であるかなんぞは、分かりようもない。
 父親に「モトは、どれを選ぶか?」との詰問に、単なる感覚として選んだだけのことであった。
—しかし—
 父親は、その「感覚」を、最も大事に思っていたのではなかろうか。
 それは昨年号では、この「さわやか説法」で書いたことだが、3人の子どもらが、それぞれに「オラ、これでいいじゃぁ〜」と指差した軸は、「選ばれるべくして選んだ」ということだからだ。

 私、「モトノブ」が選んだ「福寿如意」という書は、「福徳と寿命は意の如し」と読み、意味するところは、幸福と長命は、自己の意の如く、自在であるということであり、下部に描かれた輪っかのようなものは「如意宝珠」なるもので、求めるものを意のままに出す「珠」のことをいう。
 これは、仏舎利が変じたもの、あるいは竜王、摩竭魚(まから)(仏教上の巨大な魚)の脳中から出た霊妙なる珠のことであった。
 つまり、禅たる自在無礙(じざいむげ)なる「悟りの境地」を表わした書なのである。

 この筆者は、八戸の郷土の名僧「西有穆山(にしありぼくざん)」その人であった。
 穆山禅師は刻苦参禅弁道し、相模国(さがみこく)(現神奈川県)海蔵寺、月潭全竜(げったんぜんりゅう)老和尚の下(もと)にて、忽然(こつぜん)として、悟りを開かれ、後に大本山總持寺の独住第三世となられた。その年、明治天皇より勅(ちょく)して「直心浄国禅師(じきしんじょうこくぜんじ)」を賜り、近代稀有の「眼蔵家(げんぞうか)」と称せられ、道元禅師の参究、蘊奥(うんおう)を究められた方である。

—もとより—
 私も含めて3人の子どもらにとって西有穆山が、どのような人であったか、どのような書であったかは分かるはずもなく、ましてや「白雲去来」を書いた横山雪堂が、また「延命十句観音経」を書いた関野香雲は、どこのどなたであるかは分かりようもない。
—でも—
 父は子らに、それを選べと言う。
 実は、床の間に掲げた3本の軸は、どれもが名筆家の「名筆」なるものであった。
 横山雪堂は、幕末、明治期の傑物である山岡鉄舟、そして臨済宗は大森曹玄の流れを汲む「筆禅道」の大家であり、また関野香雲は、明治中期に生まれ、篆刻(てんこく)、篆書(てんしょ)の大家であり、俗に「印刻の神様」と称せられた人である。
 つまり、あの三本の軸は、それぞれの道でその道を究められ、禅の境地に達し、悟りを開かれた方々が書かれたものだった。
 父も書家であり、禅僧中の禅僧でもあった。それ故に、床の間に名筆家の「名筆」を掛けては、それを学びとしてたのだ。
 多分に、今思うに、父は、父親として、自己の学びを3人の子どもらに伝授したかったのであろう。
 だから、どの軸を選ぼうが、どれもが正解であり、満足したに違いない。
 もしかした、別な見方からすれば、「あの書」の方(ほう)から、それぞれに3人の子どもを選んでたのかも知れない。私達兄弟が選んだのではない、選ばれていたのだ。それが「未来の人生」への道を暗示するものだったからだ。
—事実—
 3人の子どもらは、選んだ書の如くの人生を選択していた。
 西有穆山の「福寿如意」を選んだ長男は、僧侶の道を。横山雪堂の「白雲去来」を選んだ次男は、歯科医の道を。そして関野香雲「十句観音経」を選んだ三男は、常楽我浄(じょうらくがじょう)なる安住なる道を求めている。
 もし、3人が3人とも「福寿如意」を選んでいたら、3人とも和尚になっていたかもしれない。
 昨年7月号より、この3人の子どもらへの「どの書を選ぶか」の「禅問答」についていささか回顧的に述べてきたが、お許しをいただきたい。
—ともあれ—
 読者の皆様にとりましては、この羊年が、美しく、ふくよかで円満なる年であることを心より祈念しております。
 まさに「福寿如意」なる福徳に恵まれ、長命健康でありますように願ってやみません。

合掌