和尚さんのさわやか説法246
曹洞宗布教師 常現寺住職 高山元延
今年は「やませ」の影響で、涼しいというより、寒く感じる夏(7月)であったが、遅い梅雨が明け、お盆の時節ともなると、やはり暑くて熱い。
というのも、私自身、和尚としては、「お盆」は暑さを通り越して、熱く感じてしまう思いがあるからだ。それは独特の「お盆の熱気」ともいえる。
お檀家の皆さんが寺院や霊園、それぞれにお墓参りに訪れ、亡き人を偲び、御先祖様方をお迎えし過ごす。あの供養の心は、まさに熱を帯びた「暑くて熱い心」があるからにちがいない。
御先祖様や亡き仏様のある御家庭においては、精霊棚とか盆棚といわれる「棚」を設けたり、あるいは仏壇の前に「菰」(こも)と呼ばれる、あらく織ったむしろを敷き、その上にお盆グッズの供物をお供えとして、亡き人を迎え、そして送る。
「お盆」の行事は、関東地区では7月であるが、全国的には8月13日〜15日か16日までの期間が多い。
そして、その盆棚に上げる物や、上げ方等々は、地域によって異なるし、また宗派や寺院にても、あるいは各家庭においても、かなりの違いがある。
これはやはり、地域独特の習俗あるいは伝承が異なるからであり定説的なものはない。
—そこで—
今般の「さわやか説法」では、私、高山和尚の私見的立場での見解としてお盆の「お供え」について述べさせていただく。
このお盆の墓参りの時、仏様に供え上げるものを「法界(ほっかい)」と書き、それが、南部弁なまりで「ホケッ」とか「ホゲェ」と言った。
そのことから、お盆の墓参自体を「法界」とも言うようである。
この「法界」は、仏教では、諸方世界とのことから、「一切の世界」「真理のあらわれとしての全世界」を表現する言葉ではあるが、お盆としてのあり方からは「法界施餓鬼(ほっかいせがき)」としての意味であると推察される。
つまり、御先祖の供養と共に、救われない地獄の餓鬼にも施し与え、救って上げようとの「施食(せじき)の行(ぎょう)」なのである。
法界(ホゲェ)には、いろいろなお供え物を上げる。
まずハスの葉である。そこには、オコワ(赤飯)や、お煮しめ、その他に、きゅうりもみや、ナス焼きなんかも供える。
このハスの葉に載せるものは、案外、各家庭で異なっているかもしれないが、ハスの葉の意味は、いわゆる、食べ物を乗せる「お盆」ともなるものであった。
更に、菰の上には、河骨(こうほね)というスイレン科の植物(黄色の花が咲く)の根茎や、18個のハマナスの実を糸で通したものや、ユリの根なんかも供える。
これらを詳説すると河骨(こうほね)の根茎は、南部なまりで「カド」とか「カド—」と言ったりもする。何故供えるかというと、この根茎は先端が細く、いわゆる亡き人が、あの世から帰ってくる時の「杖」となるものであった。
ところが、この河骨の根茎は沼地に生息するもので、都市化が進むにあたり、八戸近郊の沼地減少と生息数の減少によって、根茎であれば細くなくても太くてもいいというようなことから、この頃は杖にならないようなものまで売られている。
次にハマナスの実の輪っかは「数珠(じゅず)」であり、18個は、意味があってのことで「百八つの煩悩」の六分の一の計算からであった。
また「ユリの根」は、あの世の三途の川を渡る「舟」を模したものというのである。
こういうふうに説明をすると、今まで何気なく分けも分からずに上げてただけだが、意味があってのことだと分かると、きちんと供えたくなるでしょう。
そして次に忘れてならないのは、割り箸とか竹で足を形作った「きゅうり」と「ナス」である。
それは皆さん先刻、御存知の如く、きゅうりは「馬」に、ナスは「牛」に見立ててのことであった。
つまり、御先祖様があの世から、この世に戻る時、馬に乗って、早く帰ってきてもらいたいという願いであり、また送り火の日、あの世に戻る時は、「牛」に乗り、ノロノロゆっくり帰って下さいとの切なる思いからであった。
このことを考えると迎え火の日には「馬」である「きゅうり」を供え、送り火の日には「牛」である「ナス」を供えるというふうに、二段階に供えなければならないと私は思うのだが、我が家にあっては、奥様が、迎え火の日も送り火の日も関係なく両者仲良く供えてある。
「これでは 仏様も迷うべな」と、いつも私は盆棚を拝む度に、そう思っている。(T_T)
ここで、当八戸地方で忘れてならないのは16日の送り火の日だけに限って供えられるものだ。
—それは—
—昨年—
—みのもんたと、久本雅美が司会進行する—
—日本TV系列の—
—秘密のケンミンSHOW—
で紹介され、全国的に有名になった
—「背中当て(せなかあて)」—である、何度も今まで語ってきたように「南部なまり」で表現すると「セナガアデェ」となる。
これは仏様が、この世からあの世に帰る時、家族皆ながもてなし、上げてくれた御馳走の供物を背負って持ち帰る時、背中が痛くならないようにとの「思いやり」としてのお供えなのである。
あるいは、帰る時、ノロノロ歩く牛の背中に当て、道中痛くないようにとゆっくり帰る為のものでもあるとの説もある。
要するに、どちらにしても、亡き仏様があの世へ帰る時への、家族の切なる「思いやり」の心であるのだ。
—実は—
この亡き人への「思いやりの心」、愛する人への「思いをいたす心」が、お盆の起源ということなのだ。
お盆は、今から2500年前、お釈迦様が生存の頃、弟子の目蓮尊者が、あの世で苦しんでいる母上様を、救わんが為の浄行(じょうぎょう)としての「供養の心」とされる。多くの供物を祭棚に上げ、多くの衆僧の功徳を以てして、あの世の母に、また、他の苦しんでいる亡き人々の為に供養したのであった。
まさに、「思いやりの心」なのだ。
その「背中当て」をお供えする為、食べる供物として「きな粉」をまぶして食べやすいようにして供えた。
あるいは、うどんとして細く切り、冷麦のようにツルツルと食べるのである。これは、まっこと美味しい。お盆の最高の御馳走といえよう。
亡き人に、御先祖様に思いを馳せながら、仏様と一緒に食する、お盆のお供えの食べ物は、まさに「お盆」ならではの「味」である。
その味の美味しさの根元は、亡き人を偲ぶ「思いやりの心」という調味料が入っていることにほかならない。
どうぞ、読者の皆様におかれては、盆棚を飾り、盆供養のお供えを施し、暑くて熱いよき「お盆」をお迎え下さりますよう祈念いたします。
合掌
参考「八戸市史」民族編