和尚さんのさわやか説法234
曹洞宗布教師 常現寺住職 高山元延

  昨年の「あの日」から1年が過ぎた。
 忘れようにも忘れられない「あの時」であり、「あの日」であった。
 私は、「あの時」には、お寺の境内に面する縁側廊下に居て、本堂入口に設置した車イスや脚の不自由な方々へのスロープ工事の状況を見ていた時であった。
 工事をしている石屋さんが「おっ地震だ!!」と叫ぶと、地面のアスファルトに亀裂が走っていくのが見えた。
 私は、縁側の柱につかまりながら、「こりゃ!!でけェーぞぉー」と叫び、次に「こりゃあ!!なげェーぞぉー」と天に向かって叫んでいた。
 皆さんは「あの時」どこにいて、何をしていたとしても、多分、私と同じことを心の中で叫んでいたのではないだろうか。
 揺れが収まると同時に、私は脱兎の如く本堂に向かった。御本尊様や仏様は無事であろうかと…。
 和尚たるものは、寺が危険に遭遇した時、何を真っ先に考えるかというと、「御本尊様、仏様、そして過去帳」のことである。寺を守ることが使命中の使命であり、自分の身を守ることより優先される。
—故に—
 岩手、宮城、福島の大津波の直撃を受けた寺院にあっては、多くの和尚様方も犠牲になられたのも現実のことである。
 私の居る小中野地区に、あの時刻から間もなくして「津波警報」が消防車により連呼され、時を経ずして「大津波警報」に切り替り避難勧告が発令されていた。
 その時、私は「大津波?何とまぁー。大袈裟な!!」とタカをくくっていた。
 そして、その勧告には耳を傾けず、「オレはさぁー。逃げる訳には行かないのよ!!」と、自分に言い聞かせていた。
 事実、あの時、私は奥様や寺の従業員、そして石屋さんには避難させることもなく、散乱した御位牌堂の位牌や傾いた仏像を元の位置に戻すべく作業をしていたのであった。それも、ずうっとである。
—そのことを—
 今から、振り返って考えると「ぞっぞぉー」っとする。もし、岩手、宮城級の大津波が襲来したならばと…。

 「率先避難者たれ!!」
 この提唱者は、群馬大学大学院教授「片田敏孝」氏である。
 片田先生は防災学の泰斗として、つとに有名であり、特に「釜石の奇蹟」と称賛を浴びたのは、先生が震災以前の2004年から、津波常襲地域の釜石市各沿岸において、小・中学校の児童生徒への防災教育の成果が実証されたことによるものであった。
 私は、「率先避難者」どころか、動かなかった。あまつさえ、他の人々も居座らせて、作業させていたのである。
 それは津波の恐ろしさを、私自身が実感していないからであり、自分の寺の地域には「津波は来ない」という妙な過信というか、安心感が「心の奥」にはあったからである。
 その根拠は、小学生の時のチリ地震津波の体験であった。あの時、父親が言った。「ここさば、津波は来ない。周辺より、お寺は少し高いし、なによりも仏様の御加護がある」
 それが50年経ても消えていなかった。
—ところが—
 地震、津波、危険に遭遇した時には「すばやく逃げろ!!」ということなのである。
 災害に襲われたら、まず「自分の命」を守る行動をとれ!!と片田先生は熱く問い掛ける。
—しかし—
 私は、仏教者として「まず自分のことより他の生命(いのち)を守り、救わん。他の人々の為に最善を尽くせ」と教えられてきた。
 菩薩様は、「自未得度先度他(じみとくどせんどた)」と言って「自らを救うのではなく、他を救うことによって菩薩となる」と…。

 ひるがえって、この「率先避難者たれ!!」との提唱は、当初、子ども達は戸惑ったとのことである。
 それは、「自分だけが助かればいいの?」という疑問であり、今まで学んできた倫理観と正反対のことであったからである。
 だから、自分が真っ先に逃げるという行動には、誰もが躊躇(ちゅうちょ)しがちになる。私もそうである。
 ところが、片田先生は、こう力説する。
 「一人が逃げることで、みんながそれにつられて逃げる。そして、それがみんなの命を守ることにつながる」と。
 自分が率先して「逃げる」という決断をすることで、周りの人間を救うことになるということであった。
 事実、それが実証されたのは「釜石の奇蹟」としての、釜石東中学校のサッカー部の生徒達だったのである。
 校庭にいたサッカー少年の大声によって、全校の生徒達、そして隣接の鵜住居(うのすまい)小学校の児童達が避難して、その避難する子供達を見た近所の地域住民も、こぞって高台に逃げたというのである。そして全員が助かった…。

 お釈迦様の説話がある。
 ある時、お釈迦様がこう説かれた。
 「諸君よ!!あの大きな池に舟が浮かんでいて、突然に、その舟が沈み始め、乗っている人達が池に投げ出された」
 「そこには、小さな子供もいれば、女性や年老いた者もいる。あるいは屈強な若者もいた」
 「もし諸君が岸に居たら、誰から助けるのであろうか?」
 その問いに、皆なは考えた。皆さんは、誰から助けますか?
 実は、この説話を、私は若き頃、布教師の研修会で初めて聞き、皆さんと同じように考えた。
 「子どもからか?女性からか?お年寄りからか?」
 考え迷っていると、講師先生は、こう言われた。
 「お釈迦様はな、近くにいる者から助けよ!!と言われた。」
 「それも間髪いれずにだ!!」
 私は、ガツンと衝撃に打たれた。
 「誰(だれ)、彼(かれ)と迷うな!!」
 「救える者から、即座に救え」
 「そして助かった者が更に他の人を助けよ!!」
 「そうすれば、全員が助かり、救うことができる。」と。…。
 この説話は、自己の迷いの打破と「救う」ことの本質を説いているのであった。
 現代風に言うと、スピーディーと決断の行動力によって、人々を救わんとすることであろう。
 この説話は、まさに「率先避難者たれ!!」の片田先生の理念にも通じるものではないか。

 今、大震災以後の教訓として学ぶことは、この「自主防災」のあり方であった。
 「自らを助ける者は、他をも助ける」という防災意識と行動であった。
 言うなれば、自助、共助と、それに近所の人も助ける「近助」という概念なのである。
 即ち、「自らを助け、その行動を回(めぐ)らし以て、他を助ける」このことが、「自未得度先度他(じみとくどせんどた)」の「菩薩の心」でもあるのだ。 

合掌