和尚さんのさわやか説法303
曹洞宗布教師 常現寺住職 高山元延

 今月号もまた、どうして「さわやか説法」と名付けたのか?の回顧録であり、酒井大岳先生との出会い パートⅡである。
 その出会いのきっかけを作ったのは、先月号で述べた如くの、ある檀家さんの切々たる思いの一言。
「和尚さん!!どうして人は、死ぬんですか?」であった。
 私は、この問いが、あまりにも率直で、いつも「死」に直面し、その死に対しての「お葬式」を勤めているのに、即座に答えることが出来なかったのだ。
 確かに、いろいろな言葉は頭には浮かぶが、どれも答えにはならず喉元でグッと詰まり、何も言えないでいる。
―沈黙の時間だけが―
刻々と進む。
 出された目の前の茶碗が冷めていくのが見えていても、その茶碗を手に取ることすらも出来なかった。
「仏教では…。」
「世は無常であり…」
「お釈迦様は…」と、何かを続けて言おうとするが、やっぱり喉元で止まってしまう。
―その時だった―
 考えてもいなかった言葉が突然出たのだ。
「奥さん!!明日は晴れますよ」
「きっと晴れます」
 これには、当の本人である私自身が驚いた。

―でも―
 そこで、やっと目の前の冷えたお茶を飲むことができ、そして立ち上がることが出来た。
「はたして、あの答で良かったのか?」
 その夜、お寺の自室で苦悶していた時、偶然にも机上にあった仏教月刊誌のページを開いた瞬間だった。
 一筋の光明が射し込んだ。
 私はその疑問を確かめるべく次の日、矢も楯もたまらず東京は「酒井大岳講演会」「さわやかに生きる」の会場に向かった。

 何とか講演会場を捜し当て、すべり込むと、そこは、公会堂のような所ではなく、教室的なセミナー会場であったが、多くの聴衆者で席は埋まっていた。
 酒井先生が登場し講演が始まった。
 聴衆は、先生の洒脱であり、かつ仏教や禅の教え、また御自身の体験からのお話に、時には笑い、時には頷き、どんどんと引き込まれていく。
 しかし、私は自分の先生に確かめ聞きたい質問をどう切り出せばいいのか、そのことだけを考えていた。
 講演が満場の拍手で終わると、司会者から「では、先生に何か御質問のある方は、いらっしゃいませんか?」とアナウンスがあった。
―すると―
 2、3人の方が勢いよく手を挙げた。
 私は手を上げようとしたが、その勢いに、思わず手を引っ込めてしまっていた。
 その方々が終わったところで、意を決して手を上げた。
「わっ私は、青森県の八戸から来ました高山というものです」
「それはそれは遠いところを、わざわざ」
 先生は笑顔を向け、「どんな質問ですか?」と促すと、聴衆の視線が一斉に私に集中した。
「せっ先生!!今日の講演に関することではなく、先生に確かめたい私の疑問のことでもよろしいでしょうか?」
「あぁ いいですよ。何でも聞いて下さい。」
「はっはい、実は、昨日檀家さんのお宅にお伺いし、亡くなられた御主人の枕経の後、奥様から、こういうことを言われたのです」
 私は、その時の奥様の切々たる心情を話し何も答えれなかったことを吐露すると、会場はシーンと静まりかえっていった。
「でっでも、突然私自身もビックリするような言葉が出たんです」
「ほぉー。それはどんな言葉だったんですか?」
「はっはい。奥さん!!明日は晴れますよ」
「きっと晴れますと、答えました」
「せっ先生!!私の答えはそれで良かったのでしょうか」
「それを確かめたくて、先生にお聞きしたくてやって来ました」
―すると―
 会場は「えっ!!」とか、「はぁ~?」とか騒めきが起きた。
 先生は苦笑まじりに「それは、ずいぶんとトンチンカンな答えでしたね」
 会場内は、その先生の言葉にドッと沸いた。
―その瞬間―
 私は頭の中は真っ白になり、うなだれ、うつむき立ち尽くしていた。
 先生は、私の質問に対して何かを言い始めた。しかし、何も聞えなかった。
ショボン💧💧💧

―帰りの最終新幹線―
 座席に身を沈め、上野駅の売店で買ったワンカップをプシュっと開けると、グィっと一気に飲み乾した。
 その液体は五臓六腑に、また、あの何も言えなかった喉元に染み込んでいく。
―そして―
 車窓から見える東京の夜景にボーっと目をやりながら、酒井先生の言葉を思い出していた。
 あの時、真っ白になった私の頭には何も聞えてなかった。何も入ってこなかった。
―でも―
 先生は最後に、こう言ったのだ。その言葉だけは聞こえた。
「高山さん、あなたの明日は晴れるの答えは正解です」
「えっ!!」
 私のうなだれた顔が上がった。会場内の聴衆からも「えっ!!」との声が上がった。
「人が死に直面し、どうして人は死ぬんですか?の問いに、あれこれと仏教的な説明をしても、それは、その人を救うことにはなりません」
「仏教者という者は、如何に救いを求める人を、如何に救うかなんです」
「それは、突拍子もない言葉であっても良いのです」
「あなたの救わんとする心の奥からのほとばしる思いなのですから」
「もしかしたら、私もあなたと同じように『明日は晴れますよ』と言うかもしれませんね」
「きっと、あなたの心を奥さんは分かってくれると思いますよ」
 酒井先生のその言葉に会場内に拍手が沸き上った。

 その時の状景を思い返し、先生の言葉を噛み締めながらワンカップを、また飲み干すと、やけにしょっぱく感じて、仕様がなかった。

 寺に戻り、少し安堵した気持になり、ご主人の葬儀を滞り無く終えることが出来た。
 そのあとの初七日法要後の会食の席に座っている時のことだ。
 奥様が幼い我が子二人を両手に引いて来られた。
「和尚さん!!この前はありがとうございました」
「和尚さんが、明日は晴れると、言ってくれたおかげで、この子達と頑張っていこうという気持になれました」
「本当に、ありがとうございました」
 奥様のその笑顔に私の目から、思わず涙があふれ出たのだ。
 すると、目の前の女の子が、母の涙を見たあの時と同じように、私の顔をけげんそうに仰ぎ見た。

―まさに―
 酒井先生が言ってくれたように、奥様は分かってくれていたのだ。
 かえって、私自身が奥様の心に、言葉に救われたのである。
 酒井先生からも救っていただいてもらったのだ。

―爾来―
 酒井大岳先生との「出会い」によって、私自身、先生のように人々を救えるような和尚になりたいものだとの信念が心の中に生まれた。
―ということから―
 月刊ふぁみりぃ紙に、説法を連載するにあたって、編集者にそのタイトルを、ネーミングをどうするかを、訊ねられた時、私は即座に酒井先生の「さわやかに生きる」に因み、「さわやか説法」 にしたいと答えたのである。

合掌