和尚さんのさわやか説法302
曹洞宗布教師 常現寺住職 高山元延

 令和最初の夏は、ことのほか暑い!!日本全国、猛暑酷暑が続き、今また、暑くて熱いお盆を迎えた。
 皆様にとってはこの暑さの中、それぞれの菩提寺や霊園に足を運ばれ、御先祖様を熱き想いでお迎えし、亡き人を偲ぶことであろう。

—さて—
 300号の「さわやか説法」においては第一号を振り返って、連載の発端となる「ふぁみりぃ新聞」との偶然の出会いと出来事物語を述べてみた。
 そこでは、説法の最後に私はこう皆様に語っていた。
 どうして「さわやか説法」と名付けたのか?
—それは—
 当新聞の編集長の提言からだった。
「和尚さん!!ずばり、皆さんにインパクトを与えるようなタイトルを考えてください」
 私はウーンと唸ってしまった。
「皆さんにスパッと分かるようなタイトルかぁ〜」
 その時、パッとひらめくものがあった。
「和尚さんのさわやか説法」というタイトルだった。
 当時、八戸や全国の一般紙で僧侶が連載しての法話やお話しを展開する事例は、あまり見たこともなく、ズバリ「和尚さんの」と付け、更に「さわやか説法」と、軽やかで誰にも親しまれ分かりやすい仏教の話を「説法」という形で表わしたかったからだ。
—それと共に—
 実は、ある老師様との出会いがあったからである。
 その老師様は全国各地の寺院や一般講座の講師として飛び回り、著書も数多く出版されている。
 その代表作が「さわやかに生きる」や「般若心経を生きる」「愛語に学ぶ」であり、当時よりその軽妙な語り口から「さわやか和尚」と呼ばれていたのである。
 だからこそ私自身も、そのような和尚さんと同じように語りたいものだという一種の「あこがれ」だったかもしれないし、そのような説法に近付きたいとの思いがあったからだ。

—実は—
 その「さわやか和尚」さんとの出会いは、まさに「一語一縁」そのものだったのである。

—昭和62年—
 私は師匠でもある先代住職の跡を嗣ぎ、七代目の住職となった。
 春に住職新任式である「晋山式(しんざんしき)」を終えたが、新米住職にとっては、「住職」の責任とその重圧は、かなりのものがあり、いろいろな局面に立たされるのである。

—深まり行く秋の頃だった—
 ある檀家さんの御主人が亡くなられ、御自宅に枕経・仮通夜に出向いた時だった。
 読経が終わると奥様がお茶を出しながら、切々と御自身の心境を語られた。
 奥様の膝元には幼い女の子が戯れ、男の子はお母さんの肩により掛かったりして離れない。
—そう—
 御主人は39才の若さで不治の病にて帰らぬ人となったのだ。
 奥様の御家庭では前年にお祖父さんが亡くなり、それから間もなくして御主人が東京にて入院。奥様は、看護の為に幼い子供達をお祖母さんに託して上京するが、御自身も倒れるのであった。
 その苦難の日々と若くして御主人を亡くされ、その上、子供達への不安を一身に背負う切々なる思いと悲しみをこらえながら話されるのだ。
 そして、こう私につぶやき訴えた。
「和尚さん!!」
「どうして人は 死ぬんですか?」
 私は、この問いにギクッとし即座に答えることが出来なかった。
「人生は無常でして…」
「お釈迦様は死をこのように説かれ…」
とか、いろいろな言葉が脳裡に浮かぶが、それを声に出して言えなかった。
 今、そのような言葉を言ったとしても、目の前の奥様の心を癒し、悲しみは救えない。
 言葉が喉元でグッとつまるのだ。
 出されたお茶を飲むことも出来ず、沈黙の時間だけが過ぎていく。
「何かを言わなければ……」
 でも何も言えなかった。
—そしたらである—
 突然、思いもかけなかった言葉が喉の奥から衝いて出た。
「奥さん。明日は晴れますよ。」
「きっと晴れます!!」
 私自身、この言葉にはびっくりした。
 頭の中で、もう一人の自分が「何で、お前そんなことを言うんだ」と怒鳴っている。
—でも—
 奥様は、その言葉を聞いた途端、ボロボロっとこらえていた涙を落された。
 膝元で戯れていた女の子が、落ちてきた母親の涙に驚き、母の顔を見上げた。

 私はお寺に帰ってから、一人モンモンと自問自答を繰り返していた。
「何で、あんな言葉を言ってしまったのだろう?」
「もっと、奥様を救うべき良き言葉を言えなかったのか?」と…。
 部屋の本棚にある仏教書や経典に、その答を求めようと探した。
 しかし、見つけることが出来ず、たまたま届いていた『大法輪』という仏教月刊誌が机にあり、そのページをめくった。
 そこには「さわやかに生きる」とのタイトルでエッセイ説法が掲載されていた。
 読み進めると、こんな詩が目に飛び込んできた。

 困難にぶつかることよりも
 人にうらぎられることよりも
 つらいことよりも
 悲しいことよりも
 苦しいことよりも
もっとおそろしいのは
あきらめてしまうこと
 そこですべてが
終わってしまうから・・・

 群馬県草津町に住む森田佳代子さん(草津中三年)の「おそろしいこと」という題名の詩ですと紹介して説法が展開されていた。

 私は、この女子中学生の詩と説法に衝撃を受けた。ガツンと頭を叩かれ、胸の鼓童が打ち鳴った。
「そうなんだ」
「苦しいこと、悲しいこと、困難にぶつかった時は、それに立ち向かい、決してあきらめないことなんだ」
「だったなら、俺が言った『明日は晴れる』も、そういうことなのかもしれない」
 一筋の光明を見た思いがした。
—その時—
 エッセイ説法の下段に太枠で囲んだ案内があった。
 そこには「酒井大岳講演会」東京新宿厚生年金会館と記載されていた。
 日時を見ると、なんと明日だ。
 私は、矢も楯もたまらず、この詩を取り上げ、法話を展開する「酒井大岳」なる和尚様に無性に会いに行きたくなった。
—それは—
 自分の思い掛けず衝いて出た「明日は晴れる」は、どうだったのかを確かめたくなったからだ。
 私は葬儀まではまだ間に合うことを判断し、次の日、東京に向かった。(当時は上野⇔盛岡間の新幹線)
—この続きは—
 次回の「さわやか説法」にて語ります。
 皆様、どうぞよきお盆をお迎え下さいませ。

合掌