和尚さんのさわやか説法152
曹洞宗布教師 常現寺住職 高山元延

 昨年暮、曹洞宗の重鎮であり、八戸の名物和尚でもあった糠塚は大慈寺御住職、吉田隆悦老師が従容として遷化せられた。
時に、平成14年12月27日、午後10時15分、世寿96才であったという。
 隆悦大和尚様は、まさに資性闊達にして、洒洒落落、即妙当意の人であり、生涯を自己の参禅弁道と師と仰ぐ郷土八戸の偉人、西有穆山禅師の学道参究に身を投じられた方でもあった。元来勉強好きで寝食を惜しまず、よく机に向かっており、まさに本の虫であった。
 私達若年僧には、老師のいつもの口ぐせは、
「勉強せよ!!勉強しなければだめだ」「和尚たるもの、常に書に親しみ勉強せねばいかん!!」との叱咤する御言葉であった。

—12月28日 早朝—
 隆悦老和尚様の息子さんである隆法師よりの訃報を聞き、厳寒の大慈寺山門を駆け抜け、方丈の間に眠る老和尚の御尊顔を拝した時、その現実に身を震わさざるをえなかった。
 と、いうのも。私は「吉田隆悦」という方は、「死なない人だ。」「絶対に百を超えるまでは生きておいでになる方だ」「百を越えたって、ピンシャンとしている方だ」と思っていたからである。

 江戸時代の狂歌師として有名な太田蜀山人(1749〜1823)がこんな戯歌を作っている。

  冥土から もしも迎えに きたならば
  八十八まで 行かぬと答えよ

  八十八を 越して迎えに きたならば
  九十九までは 留守と答えよ

  留守ならば 帰りを待つと 言ったらば
  いっそ行かぬと 言い切ってやれ

 まさに私は、隆悦和尚様という怪物はこの狂歌の如しの人だと思っていたのである。
しかし、さすがの怪物も「生老病死」の四苦無常の中にありて九十九を、百を待たずにして亡くなられた。
 きっと、こんな風に思って仏天に旅立ったかもしれない。

  今までは 人のことだと 思うたに
  俺が死ぬとは こりゃたまらん           

と…。これも蜀山人の狂歌である。

 お別れの香を焚き、静かに合掌し老和尚の屈託のない「オッホッホ」と笑う笑顔や、それに反して厳しき表情となり「ガツン」とやられた時のお顔を思い出し、惜涙が頬をつたわった。

—それとともに—
 一年前、仏教会の仕事の所用にて大慈寺様をお訪ねした時、老師と声を交わすことが出来た最後の「あの場面」が彷彿としてきたのであった。
 迎えでた隆法師と奥様と一緒に会話をしていた時、奥の方丈の間の方から「エヘン エヘン」という老師独特の咳払いが聞こえた。フッとその音に耳をやると、隆法師が思いたったように「元延さん。おじいちゃんに会っていく?」と尋ねる。「よろしいんですかぁ?もし差しつかえがなかったら、是非!!」と頷いた。「方丈さん方丈さん。元延さんだよ!!常現寺さんがだよ!!」と老師に声を掛ける。
 部屋に入ると、老師は机にうず高く積み上げた本の中に顔を埋め、しきりにペンを動かしていた。
 私は老師のその勉強している姿に驚き、もっとビックリしたのは、その本の山と本の種類であった。中国の漢文で書かれた禅籍、宗祖道元禅師の正法眼蔵、そしてその注釈書あるいは古今の仏教哲学書や仏教辞典等々のおびただしい本であった。
 「九十五も越えた老僧が……。」と、私は絶句してしまった。

—その時—
  ちょうど老師の側にいたヘルパーさんが、声を失っている私にこう言った。「まんずまんず。こちらのおじいさんは勉強が好きでェー」「本さえやっていれば、おとなしくてなす、手のかからねぇおじいさんで、私は楽であんす」と、言う。
 私は、その声をさえぎるかのようにして、「方丈様、お元気ですか?」と合掌した。 「常現寺です。元延です。わかりますか?」老師の耳もとに口を押しあてて叫んだ。

— すると —
 老師は私の顔を、一瞥すると「若い者は勉強せんといかん!!」「ワシは、まだまだ若いから、こうして勉強をしておる!!」と、例の口ぐせの激が飛んだ。
 私は、その声を聞くと何となく嬉しくなり「ハイハイ。本当に方丈様はお勉強がお好きですねェー」とチャカシ半分、アキレ半分で答えると、「いいか!!本を読むには、極意がある。」「本に何が書いてあるのか。それをきちんと読み取るには極意があるのじゃ」と、本をバンとたたいたのである。私はその勢いにヒュンと跳びはねてしまった。「じゃ、方丈様、その極意とやらを教えて下さい。お願いします」「わかった。では教えてやろう」
 私は、ぐっと身を乗り出し、そばにいたヘルパーさんも耳を傾けた。「本を読むにはな!!目次から読むことじゃ」「目次をちゃんと読め!!」
 そういうと、手元の本の目次を開くと、それをブツブツと読みながら、やおら赤線を一行ずつ引き始めたのである。
 その言葉と仕草をみていたヘルパーさんは、「あれー、まあ!方丈様ったら。そんなことは私でも分かりますじゃぁ」と言って手をたたき笑いころげてしまい、私自身も「プハー」と吹き出してしまった。

— しかし —
 老師は黙々として目次に線を引き、何かひらめいたかのように余白に線やら文字を書き込んでいた。その鬼々たる姿に、私達の笑い声はいつしか、かき消されてしまっていた。

 今、老師が死して「あの場面」を思い返すに「確かにそうだ」「本を読む極意は、目次を、きちんと読むことにある」のだと得心する。
 本の大意を把え、内容を捕まえ、その真意を見るには、標題、目次をしっかりと読むことにあるのだ。
 老師は言ったではないか!!「きちんと読め」と、決して漫然と読むことではないのだ。
 このことは、「本」ばかりのことではない、お釈迦様や、古来の祖師の方々、西有穆山様の勝蹟に参ずることにほかならない。つまり、古人の行履という「目次」をきちんと読みとらなければならないのだ。
 そしてまた自分を顧みるならば、自己参究の道程は如何なるものか。自己自身の「目次」立てがきちんとしているか。その目次点検をしっかりとしなければならない。という 「自己目次」のあり方にあったのだ。
 私は今、老師の訓戒を通して、そのことに本当に気づかされた。
 本日「さわやか説法」を読まれた読者の皆様!!あなたの今までの「人生目次」はどうでしたか?
 そしてまた、これからの目次をどうしようとしておりますか?                                      

合掌