和尚さんのさわやか説法179
曹洞宗布教師 常現寺住職 高山元延

 暑さ寒さも彼岸までとか。今年の冬は、寒さも雪も厳しかったですね。
 でも、もう春のお彼岸です。三寒四温をくり返しながら、木々は芽吹き、やがて花を咲かせることでしょう。
 陽光うららかな春が待ち遠しいものです。

—先日のことである—
 本堂に行くと、一人の幼い男の子が、中央にある住職が読経する導師席に、ちょこんと座り、手を合わせ何かをブツブツ唱えている姿が見えた。
 近付いていくと、そばにいたお婆ちゃんが
「これ!!降(お)りなさい!!」
「早(はや)ぐ、降(お)りろ!!」
と、その子をだき抱えようとする。
「まあまあ」と私はその動きを制(せい)すると、
「和尚さん、どうも、すみません」
「うちの孫ったら、御経あげたいと言って和尚様の席に座りたがるもんだから…」
「つい…。」
「すみません!!」
と、平謝りである。
「ヘエー。ボクは、御経あげれるの?」
「すごいねエ」と言うと、嬉しそうに「うん!!」と大きく頷いた。
「なんもなんも。御経たって、御経じゃないっす。」とお婆ちゃんは言う。
「この前、孫が、何(なん)って御経読むのって聞くもんだから…」
「ナムナムって、おがめばいいよ。って教えたら、それがら、いっつもおもしろがって、『ナムナム』っておがむようになったのす。!!」と、恥ずかしそうに必死で弁明する。
「ふーん。そうなの」
「和尚さんも、ボクの御経を聞きたいなぁ」
「ボク!!和尚さんと御本尊様に、君の御経聞かせてくれないかなぁ?」と言うと、満面の笑(え)みをうかべて、「うん」と力強く頷いた。
 側(そば)にいるお婆ちゃんは、手を横に何度も往復させ、「やめろやめろ」の仕草である。
「さあ!!やってごらん」
と促(うなが)すと、幼い声が本堂に響いた。
「ナムナム。」
「なむなむ」
「ナムナム」
「なむなむ」
 このフレーズを、くり返し、エンドレスで唱え始めた。
 私も、にっこりしながら手を合わせ黙って聞いていた。
「ナムナム」
「なむなむ」
 その幼い声はまたまた本堂中に小さいながらも響き渡っている。
「ナムナム」
「なむなむ」
 そして、この簡単フレーズが一向に止む気配がないのである。
 私自身の思いは、こうであった。
「どうせ幼児(おさなご)が唱える『ナムナム』だもの、すぐ飽きるだろうし、すぐ終わるだろう」と…。
—ところが—
 すぐ終わるどころか、だんだんと声が大きくなりはじめ、何かしらその「ナムナム」御経が哀調を帯び、リズミカルな調べとなって私には聞こえてきた。
「こりゃあー。立派なお経になってるわい」
と思わず呟いた。
「ナムナム」
「なむなむ」
 その子の声は、まだ続いていく。
—もう、どれくらいの時間が経過しているんだろうか—
 私もつられて一緒に「ナムナム」と唱え出したくなってきた。
 恐るおそるその子の声に合わせるかのようにして私も
「ナムナム」
「なむなむ」
と唱えた。
 すると、その子は私をチラッと見ると、もっと大きな声で、
「ナムナム」
「なむなむ」と競争するかのようにして唱えるのだ。
 私は、なんだか嬉しくなってしまい私も大きく声を出した。
 エンドレス「ナムナム」御経の合唱である。
—そしたらである—
 なんと!!孫のお婆ちゃんも一緒に唱え始めたのだ。
「ナムナム」
「なむなむ」
 三人の大合唱となっていった。
 私は自分の合掌している手の中に汗がジワッと滲(にじ)んでくるのがわかった。
 私には、その子が無心にして唱えている姿を見て、お経本にはない『南無経』であり、一称念仏の真のあり方であると思わざるをえなかった。
—そしたら突然—
「ちかれ(疲れ)たぁ」
「お・わ・り〜」
と、言うや、お婆ちゃんの膝の上にピョンと飛び乗った。
 それもそのはずである。なんと!!十分はその『南無経』を上げていたのだから。
 私は、あっけにとられながらも「フー」っとため息一つ。背中には汗が流れていた。
「すごいなぁー、ボク」
「すばらしい御経だったよ」
「和尚さんの御経よりずうっといい御経だったなぁ」
と、私は思わず拍手して、その子を抱き上げた。
「すげぇすげぇ。」と言いながら飛びはねると、その子は私の頭を小さな手でしがみつき、同じように
「すげぇすげぇ」と連発していた。
 あの「ナムナム」のワンフレーズを唱えるのに一秒かかって、十分唱え続けると60×10で六百回。「ナムナム」は「南無」の二回くり返しだから、単純計算しても千二百回は唱え続けたことになる。
 まさに「ナム」の世界であり、南無と一体となっていた境地だったかもしれない。

 この『南無』とは、ではどういう意味なのだろうか。
 皆さんは、興味ありませんか?
 この語は古いインドの言葉の「ナーモ」(namo)を漢訳した時に「南無(なむ)」とか「南謨(なも)」「那摸(なも)」等々と表記したものであり、その意味は「帰依(きえ)する」「頂礼(ちょうらい)する」ということであった。
 つまり、御仏(みほとけ)に、仏法僧(ぶっぽうそう)の三宝(さんぽう)に心より帰依し、その自らの信ずる心のあらわれとして生ずる礼拝行(らいはいぎょう)であり、言葉としては「南無」の語を発するのである。
 あの幼児(おさなご)は仏に帰依したから「ナムナム」と唱えたわけではない。お婆ちゃんから教えられたから、あるいは、お婆ちゃんがお家(うち)の仏壇(ぶつだん)の前で唱えている姿を見て、そうしたくなったかもしれない。
—でも—
 声をだし、合掌し、そして十分も千回以上も唱え続けていくということは、まさに「帰依」の世界であり、「南無」という「仏の世界」の中にあって、「仏の世界」に到(いた)っているのであった。

 道元禅師は「彼岸」のことを、こう説かれている。
「修行(しゅぎょう)の彼岸(ひがん)にいたるべしとおもふことなかれ。彼岸に修行あるがゆえに、修行すれば彼岸到(ひがんとう)なり。」
 つまり、修行して彼岸に行くのではないよ。彼岸そのものに修行があるのだから、修行している、修行することが彼岸に到っていることであるよ。と言われる。
—とすると—
 あの子は、自分が気付くと気付くまいと、仏の修行をし、「彼岸」で修行していたことにほかならない。
 現世に生きるあの子の「ナムナム」の世界は、まさに「彼岸」となっていたのだ。
 「彼岸」とは来世の「彼(か)の岸(きし)」ではなく、現実にある自分の岸であるのだ。
 だから、和尚の私もお婆ちゃんもつられ唱え始めたのであり、三才の童子に導かれて「彼岸」の中に到ったのだ。

 どうぞ、この春のお彼岸!!あの幼児(おさなご)と同じように、あなたも「ナムナム」と唱えてみてはいかがですか。
 きっと、あなたも「彼岸」の世界に入れますよ。

合掌