和尚さんのさわやか説法155
曹洞宗布教師 常現寺住職 高山元延

 今年は低温注意報続発の冷夏ではあるが、お盆の時節がやってきた。
 お盆は冷夏であろうが酷暑であろうが、あつくにぎわい、お参りの人、人、人でごったがえす。
 いっぱいの人が、それぞれに、お花や法界といわれるお盆の御供物を持って、お盆の御供物を持って、お墓の前にいっぱいに広げ、そして、お線香、迎火を焚いて、一年に一度の御供養の気持をいっぱい表わして、お墓の前を後にする。
 そのいっぱいの気持を込めた、たくさんの御供物が残された、御先祖様のおわす、お墓の前は、それからどのような「ありさま」になるのだろうか…。
 昨今、このことが全国、いや八戸市と限定したとしても問題となり、霊園やお寺の墓地の掲示板や案内に、「御供物(お寺の法界)は、その場で食べられるか、お持ち帰るようにお願いします。皆さんのお墓は、皆さんできれいに致しましょう」と、書かれたものを、数多く見かけるようになった。

「地球をきれいにすると仏さまにほめられる」

 このキャッチコピーは、我が常現寺の宗旨である「曹洞宗」が本年度、各寺院に配布し、お寺の伝道板に、あるいは檀家の皆様の御家庭のお部屋に飾られるようにと配られたポスターの標語である。
 今、我が宗では、全曹洞宗の運動として、地球環境をまもり自然と共に生きていく「グリーン・プラン」を展開中である。
 その根底には「人権平和 環境」の三大スローガンの実践にあるのだ。—つまり—
 私たち人類が住む地球が、地球という生命体の中にあって、お互い人間どうしが、また自然との共存と調和をはかる上で、「一人ひとりの人権の尊重、争いや差別のない平和な世界の実現、大自然の恵みに感謝して環境に思いをめぐらす生活」をすることにある。
 このことは、私達曹洞宗ばかりの標語やスローガンではなくして全仏教、いや全宗教の願いであり、また全人類の問題ではなかろうか。—と、するならば—
「地球をきれいにすると仏さまにほめられる」という標語は、他の宗教の方々に叱られることを覚悟して、言い直しをするならば、
「地球をきれいにすると神さまにほめられる」あるいは「キリストさまにほめられる」と、言ってもいいのではないだろうか。

 私は、ここまで、こうして述べてきて、フト考えさせられてしまった。—それは—
 ほめられるから、地球をきれいにするのかと、いうことである。
 ほめられることがなかったら、きれいにしないのか。
 誰からか、ほめられるからやるのか。
 本来ならば、地球をきれいにするということは、ほめられようが、ほめられまいが、自身の問題としてしなければならないことであるはずである。
 もっとつきつめていうのであるならば、「きれいにせざるをえない」という自己自身の自発的な行為でなければならない。と考える。

—思い返すに—
 今は亡き父親和尚は私が和尚になる決心をしてからの小僧時代の訓誡というか、日頃の口ぐせは、
「いいか、人の見ていない時に 掃除をせい」「それとな、人の見ない所を掃除するんだ」と、言われたものである。「人の見ている時に、これ見よがしに掃除をするんじゃない」「人が見ていなくても仏さまが、ちゃんと見ていてこざる。」と、厳しい眼でにらまれ、そして
「掃除をするということは、自分自身の心を磨くことじゃ」「人知れず掃除することが、知らず知らずのうちに『自己の仏』を磨いているんだ」と、まあー。元来が怠け者の私に、次から次へと訓示をしたものである。

—ところが—
 現代の世相は、この父親和尚の訓誡とは、まるっきり逆である。
 誰かが見ていないところでは、掃除どころかゴミを捨て、それも大量に捨てたりもする。
 仏さまが見ていようが、見ていまいが、一向にかまわない。人に見られなければいい。そんな風潮である。
 大いなるものへの畏怖と敬愛する念の喪失ではないか。—そこで—
 曹洞宗では、教化施策である「グリーン・プラン」を通じて、「地球をきれいにすると、仏さまにほめられる」との標語を提言し現代世相に警鐘をならしているのである。

—ひるがえって—
—今日からのお盆のこと—
—お墓参りのこと— を、考えるならば、さしずめ、こういう標語になるのでは ないだろうか。
 地球を「お墓」に置き換えると「お墓をきれいにすると仏さまからほめられる」そうなんです。
 皆様の御先祖様、亡き人という「仏さま」からほめられるのである。
 身近な仏さまから、ほめられることにもなるし、その仏さま達をきれいにすることに他ならない。

—そして—
—それは—
—とりもなおさず—
「自己の仏心」をきれいにし、清浄にし、磨くことにもなるのである。
 そのように自己自身の行いとして実践していくならば、あの標語の究極は、こうなると考える。
「地球をきれいにすると地球にほめられる」
 地球をきれいにし、環境をまもることは、一番、地球自身が喜び、地球自身が、私達人類をほめてくれるのではないだろうか。
 今、この二十一世紀こそ、地球にほめられることを、私達人類が一つづつ、小さなことから、一人一人が行う時代ではないかと痛感するものである。

 どうぞ 皆様、お盆のお墓参りの時は、お互いに 仏さまに 地球に喜ばれ、ほめられるような墓参りでありたいと思いませんか。
—でも皆さん—
 お墓をきれいにして一番喜び、声に出してほめてくれるのは、きっと、あなたの菩提寺の「和尚さん」だと私は思いますよ。

合掌